きつね

うどんが美味しい妙齢になってきた。

以前は肉うどん、天ぷらうどん、鍋焼きうどんとそこから何なら丼ものもと炭水化物同士のコラボもばっちこい!

だったが、今は

『きつねうどん』か『わかめそば』

どちらかなのである。

年を重ねていくにつれ少食になるという表現が使われるが、決して老いた=少食では無いと思う。

自分の身体の声をしっかり聞けるようになったのでは無いだろうか?と私は考察する。

若い頃はアレもこれもと経験したい。
そして何より周りの人間たちと共存して共有する事に喜びを感じる。
そうして激辛料理あたりで味覚の違いにと気付くのである。

私は本当に激辛が苦手である。
ストレス社会で麻痺した五感に更に味覚からストレスを与えて痛覚を目覚めさせ麻痺からの離脱、
そして忘れた頃にもう一度次の日に粘膜からアウトプットして痛覚を目覚めさせる。

何故そんなことをしなけらばならないのか、、、高度なSMプレイにしか見えない。
私は変態だが、そんな肉体的損傷を脅かすかもしれない行為など結構である。

名古屋に出張に行った時、激辛四川ラーメンが名物の店に友人が連れて行ってくれた。
ラーメンをすすって、むせる、そして顔面の色んな粘膜から水分が迸る。水を飲む、ティッシュはお供。
ちょっとした地獄絵図である。
どうした!名古屋!!大阪と東京に板挟みにされてそんなに我慢することを選んだのか!
大丈夫か??とドキドキした。

海外は文化、風習、風土、気候の関係でわかる。 

しかし、日本で激辛料理を食べるメリットは?
汗をかきにくい、代謝が悪い、滞りを促す、、、。

何故そんなに頑張るのか、、、
そうか好きなのだ。
誰になんで言われようが、たまらなく好きなのだ。

これは性癖にもリンクするのだろうか?
もしくは真逆なのか?
もしくは全てを委ねれる安全地帯を見つけることができたら味覚は変化するのだろうか?

私はよく仕事で韓国へ行く。
そして韓国人なのに辛いものが食べれないの?
と言われる。
『それはpoint of view。
あなたの面白いものの見方である。ちなみに私はココイチ辛さは1〜2まで可能である。』とお伝えする。

私の韓国のビジネスパートナーは
生まれも育ちも韓国だが味覚はとても近い。
こよなくジャンクフードを愛し、
こよなく肉を求める。

なるほど。それは仕事が上手く行く。
味覚と感覚はよく似てる。
人に合わせても何も良いことなどない。
自分軸がブレるだけだ。
本当に非効率的である。

私は体力と好奇心と探究心が人一倍、
いや3倍ほどあったので自分の限界までしてみる。そしてやめる。する。やめる。
一見趣味なら凝り性の飽き性。

何も知らない人は多重人格者なのか?
騙された!最低!人が変わった!非常識!理解不能!!この狐の皮をかぶったタヌキめ!
と心から嫌われ、避けられ、
人によっては徹底的に怒られ叱られる。

私は私の中の二極化の中庸をただ探している時に出会っただけなのだ。

人が離れて行っても仕方ない。
ただの旅の途中であるから。
そしてそんな途中で徹底的に真っ向から怒って向き合える体力がある人は大体一緒にいる。

お酒の量も無理をしない。
お酒の神バッカスに誓いを立ててるので、いつもお酒の味覚がわかる程度までしか嗜まない。

昭和のビジネススタイルはどうしても戦後の復興から創造の時代だった。そしてアメリカも来た。なので新しい融合とそして相手に合わせる。
強者に合わせるビジネススタイルで接待が行われてきた。

が、いまはどうか?
今の若者はウンタラカンタラとよく嘆かれるが、

まず、私はどうか?
食事を一緒にしたくない人とは仕事はしたくない。私は食事は粘膜を見せ合っている時点でsexと同じと考えている。
男でも女でも気に入ったら食事の誘いに乗るし、誘う。

1人で食べる時は何でも食べれる。
私は大のジャンクフード好きだし、1日の活動量ではほとんど味のしない料理をたべる時もある。

じゃあお食事=sexならお誘いすれば、、、と淡い期待を持たれるのだがら

何のメリットもないのでしない。
お食事だけで充分なのである。
それ以上もそれ以下もない。

お酒を一緒に飲むことで同じ液体をある一定の時間同期させるのである。
着床行為と何が違うのか?
大体sexに対して特別に考えすぎである。
何だったら、手を握った時点でもうsexである。
エネルギーの融合である。
それで充分なのである。 
ハグでも良いじゃないか。

それ以上なら価値が自分にはあります!と私が心が動いたら自分からオファーを出すだろう。

それよりもきつねのモフモフしたあの尻尾に触りたい。

エキノコックスが境界線である。


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