岩田さん

伝説のゲーム開発者兼経営者より学ぶ経営者の姿勢と、コンテンツ提供者の在り方

岩田聡さんをご存じでしょうか?

任天堂の社長に席を置いたまま、2015年7月11日に若くして、お亡くなりになられた伝説のゲーム開発者です。

任天堂と言えば、京都に本社を置くことで、私が暮らす関西にもなじみがある会社にはなるのですが、祖霊以上に、「ファミコン」、「スーファミ」、「ゲームボーイ」、「ニンテンドーDS」、「Wii」をはじめ、最近では、どこでも遊べて、つながることができる「Nintendo Switch」が、人気ですよね。

そんな任天堂に、42歳の若さで社長に就任し、「ニンテンドーDS」、「Wii」をプロデュースし、自身の軸である「ゲーム人口の拡大」に貢献されたのが、岩田聡さんです。「 Nintendo Switch 」の骨組みについても着想していたと言われています。岩田さんが世に送り出したゲームシリーズで言えば、「星のカービィ」「大乱闘スマッシュブラザーズ」「大人の脳トレ」をはじめ、世の中のゲームに対する価値観を変えた様々な作品があります。

また、経営者としても、任天堂に身を移す前職のHAL研究所の社長時代に、15億円の借入金を6年で返済したという強烈な伝説があります。ゲーム開発者が、経験もない巨額の借金を抱えて社長に就任してからの6年ですよ。順調な会社を引き継いで会社を後退させてしまう経営者が数多くいる中で、ゲーム開発もしながら、圧倒的な経営手腕と言えるのではないでしょうか。 任天堂とのかかわりでいえば、山内家が創業した任天堂を初の親族外後継者として、42歳の若さ、かつ、任天堂への移籍後2年目で社長に抜擢されています。そんな、数々の伝説を持つ岩田さんとはどういう人物だったのか、生前どんなことを言っていたのかを、生前親交が深かった糸井重里さんが、まとめられたのが、本書となります。

本記事のポイント
①岩田さんの名言を深堀り
②岩田さんの人物像を深堀り
③宮本さんと糸井さんが語る岩田さん

伝説のゲーム開発者兼経営者より学ぶ経営者の姿勢と、コンテンツ提供者の在り方

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