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8年間やりたいことをやれた幸運と不運

3年くらい前、ある作家の方から「今あるものを手離してみると新しい発見がありますよ」と言われたことがある。

その頃、ライター業優先で手のつかなかったべとまる(自分のベトナムブログ)に手詰まり感があると話したときに言われた言葉。その頃はまだ手離す…それこそ畳むなんて考えられなかったけど、最近になって彼の言った「新しい発見」を見た気がする。ただ、手離したものはべとまるではない。

ウェブマガジンの編集長を退任した

準備から数えると2年半以上つづけてきた海外ZINEというウェブマガジンの編集長を退任。海外28カ国のカルチャーを、36人のライターやイラストレーターとともに伝えてきた。編集部は私ひとりだったので、コンセプトを考えたりクリエイターの方に声掛けしたり、企画も編集も、ぜんぶやってきた。

でもそれが受注案件である以上、自分は生母ではなく乳母だと思っていたので、割り切っているつもりでいた。ただ、2年半という時間と260近い記事は、ちょっと長すぎて多すぎた。しかし気持ちで状況は変わらない。我を通すに足る仕事をしてこなかった。自虐じゃなくて、ただの事実としての話。

そして目の前に突如としてポンと時間が生まれた。奇しくもそのタイミングで半年ほど拠点にしていた中部都市のダナンを離れ(拠点といってもベトナム国内あちこちを回っていたのだが)、タイを経由して、さぁいったん帰国するぞという、これまでの環境をガラリと変えるときだった。そのとき、もともとはそれからなにをしようと思っていたのか。たった三カ月前のことなのに、これまでいろんな転機が重なりすぎて今はもうサッパリ思い出せん。

これから書くものは、その時期に訪れた転機と思考の話だ。

"やりたいことをやる"なら稼がなくちゃ

俺がベトナムに渡った理由を無理やり一文にまとめるなら、「やりたいことをやりたかったから」だ。広告クリエイターに憧れて学生時代から広告学校に通ったが、就活で夢は叶わず大学の紹介でSEに。贅沢しなければコツコツ貯金をしながら東京でも暮らしていけるだけの給料だったが、自分は「やりたくないことアレルギー」持ちであり、今動かなければこの先ずっと地獄がつづくと思い退職。コンプレックス克服もかね人生初の海外旅行に出たところ、ベトナムでウェブ制作会社からスカウトされて、おもしろそうだったので転職したけど、話が違ったんでそこも辞めてブログをはじめた。ざっと要約してみたが、そのへんの経緯はここに詳しく(長たらしく)書いてある。

それから今までのほぼ8年間、「やりたいことをやる」「やりたくないことはやらない」を頑なに守ってきた。どれだけお金に困っても。やりたいことを邪魔する人は、やりたくないことをやらせる人は、全員が敵だと思って暮らしてきた。その分だけ嫌われもしたと思うが、そんな自分をおもしろがり助けてくれてる人もいて、なんとか生活もできるようになり。それからも「やりたいこと」を「仕事」に選ばせてもらってきた。海外ZINEもそうだ。

自分ひとりの生活を支えているだけにすぎなかったが、いっときYouTubeのCMで謳っていた「好きなことで生きていく」を地でいったつもりで、アレルギーを前向きに克服したことを誇らしく思っていた。世の中には「やりたいことをやりたい」がさまざまな事情で我慢している人も多いようで、こんな自分を羨ましがってくれた。だが、そんな半端に得られた小さな成功体験こそが、自分に「稼ごうとは思わなくていい」と刷り込ませていったのだ

でも、編集長退任にあたって強烈に感じたのが「稼がなくちゃ仕事(=やりたいこと)もできない」という当たり前。世間一般では「仕事をしなくちゃ稼げない」だろうに、なんでいまようやく気付いたのか。それは「やりたいこと」が変化していったからだと思う。それまでは記事執筆などのソロワークだったが、予算を預かる共同制作というチームワークに変わった。使うリソースが、「自分の時間」ではなく「他人から預かったお金」に変わった。

稼ぐ。それは果たして編集長という業務内なのかということもあるが、「やりたいことをやる」を守りつづけたいなら、つまりお金を使いつづけるのなら、だれから頼まれずとも稼ぐ必要性があったのだ。チャンスはあったが、「やり方が違う」と突っぱねた。そのあと、すぐに自分で動くべきだった。

"スポンサー思考"になっていた8年間

こうして書いた経緯と結論は自分ひとりでたどり着いたものではなく、ある人から教えてもらったと言ってもいい。タイにいるタイミングで以前から一方的に知っていた「先輩」と飲む機会があり、また今度ぜひと言って別れた数日後に編集長の退任が確定。「このまま帰国は致命的にヤバイ」という予感に従って、タイを離れる直前で家まで押しかけて星空の下で人生相談。

身の上話と現状を伝えた上で、これまでの人生でたくさんのことを教えてもらったであろう3日間を過ごした。中でも自分の胸に刺さったというか、みぞおちど真ん中を貫いたものが「ネルソンはスポンサー思考になっている」という言葉(ネルソン水嶋=俺ね)。もっと具体的に言うと、それは、「人からお金を出させてやりたいことをやろうとしている」という意味だった。

実は退任が決まったときなんとなく、「次の案件を探すかぁ」なんて思っていた。覚悟が決まった今だから反省の意も込めて告白すると、「海外ZINEでやった仕事を切なげに書きたてばだれか案件くれるんじゃないかなぁ」くらいに思っていた。まさしく"スポンサー思考"が似合う状況で、グサリというよりもズドンと来た。大砲だ。無意識だったにも関わらずバレてしまった!という感覚。つづき「稼げ」と言われ、自分に欠けたものが明確になった。

そこでようやく、先述の、「稼がなくちゃ仕事(=やりたいこと)もできない」という当たり前に思い至ったというワケだ。海外ZINEの仕事をもらった際、はじめての編集が務まるかと迷った末、経験やスキルアップにつながると思って引き受けたが、その中最大の成果は、8年かけて自ら増長させてしまった「稼ごうと思わなくていい」という勘違いに気付けたことだと思う。

だから俺は、やりたいことをやるために、8年前に結んだ自分への約束をこれからも守るために、いっしょに仕事したい人と仕事をするために、稼ごうと思った。でなければ、この先ずっと地獄がつづく…ほどではないにしろ、幸せだともう思えない。それから今に至るまでの三カ月、常に「稼ぐ」ってなんだろうと考えているが、そこでようやく腑に落ちたその一歩目が、「自分の立場や能力を活かして困っている人の支えになる」ということ。あちこちで言い古されているし、俺自身も何度も見聞きしたような、何ひとつ新鮮味もないことが自分の答えだった。ただしこれまでと見え方は違っている。

南の島で手ぶらになって自分さがし

「自分さがし」はバカにされがちだと思う。しかし、自分なりに考えて動いてきた人間が、ふと足を止めてやるそれには、意味があるのかもしれない。自分の過去が、他人とぶつかって、鏡に映った自分の未来を教えてくれる。

タイのあと、奄美群島の沖永良部島(おきのえらぶじま)に渡った

沖縄と奄美大島の間にある離島。母の出身地で、今は祖母がひとり住んでいる。退任が決まる前から、島に缶詰してべとまるのために記事や動画をつくり溜めようと考えていたのだ。すでに離れた実家に戻って世話になるより、祖母のそばにいる分、家族のためになるだろうとも考えて。ただ、ひとつだけ、(当初は)ついでくらいに考えていた、ある「ミッション」があった。

以前から、母を通して「最近町の広報誌のデザインが一新された」と聞いていた。なんでも移住してきたデザイナーの方が手掛けたらしい。それまでの自分にとって島は祖母祖父が暮らす島という認識でしかなかったので、「若い移住者が島(町)の広報誌を生まれ変わらせた」というストーリーにも、そして変化を受け入れる町の姿勢にひっそり興奮していた。知りたかった。そこには自分自身が長く海外「移住者」だったということもあったと思う。

島に移って早々に、移住者の方がやっているカフェへ。これもたまたま、本当にたまたま、ベトナムでの友人から、「大学の先輩」がやっているカフェだと教えてもらってオンライン上でつないでもらったのだ。ちなみにその友人とはダナンで会って話を聞いたのが半年近く前で、その前にいつ会ったかというとさらに5年ほど前になのだから、偶然に偶然が重なって今がある。

それから先の展開は早かった。ベトナムに住んでいたこと、島にルーツを持つこと、物書きであること、俺のいろんな「属性」に対して、島内のいろんな人や場所や活動を教えてくれ、一週間後に集まりましょう、紹介します、という話に。それからいったんの大阪での年越しを挟んで、これまで島には計6週間ほど滞在しているが、島内のベトナム人実習生と農家のみなさんとの交流会や、自然公園や出店や催しを楽しむ地元のフェスタに関わらせてもらったり、移住相談員の方と発信方法について話したり、観光の在り方について学んだり。そして今は私がベトナムについてお話しさせていただくイベントの準備が進んでいたり…。最初の接点がT子さんで本当によかったです。

そんな状況は、今の自分にどんなことができるのかたくさん教えてくれる。ベトナム交流会におけるアドバイスだったり、島の魅力を伝える情報発信だったり、シンプルに催しのためにテーブルを運ぶことだってそうだ。人からだけでなく、島の環境もまた同じく教えてくれる。キャンプ系YouTuberアリやなとか、レモングラス育てたらおもしろそうとか。その先には、「自分の立場や能力を活かして困っている人の支えになる」があるのかもしれない。

そんな今の自分自身を振り返ってみて、冒頭の「手離してみると新しい発見がありますよ」という作家さんの言葉をふと思い出し、自分にとってそれが今なのだろうと噛み締める。編集長という仕事が手から離れて、やりたいこともいったんそばに置いてみて、手ぶらになってなりゆきにまかせて五感を開いてみると、自分で思っているよりはできることは多いのではと思った。

やりたいことをやるには稼がなくちゃならない。
稼ぐには自分の強みで人の役に立たなくてはならない。
自分の強みで人の役に立つにはやりたいことをつづけなくてはならない。

「やりたいこと」という車に乗り思うがままに走らせていたら、「稼ぐ」というガソリンがなければこの先進めないということが8年経ち分かり、「人の役に立つ」という名のガソリンスタンドに向かおう。そんなイメージ。

まるで、タイで座学を終えたあと、沖永良部島でワークショップをしているような流れだ。実習生交流会のタイミングなんてピンポイントすぎて、そもそも自分も実習生について取材したこともあったので、何か運命的なものすら感じる。と、そんな話を年越しの大阪で両親にしたところ、父が母を指して、「『たける(名前)は守られている』とたまに話す」と言っていた。それが7年前に亡くなった祖父か、べつの誰かか分からないけど、確かにいざというときの引きが強すぎると思っていたので、そんな気がしなくもない。

これから

まだ極々一部の人としか会っていないけど、すでにこの島はあまりあるほどおもしろい。このおもしろい人たちが、またおもしろい人たちを呼び、おもしろい島になる確信がある。いるだけで勉強になるし、一方で自分がこの島にできることがもし見つかれば拠点にしたいと思っている。ただ自分の「立場や能力」は外とのつながりあってのものだと思っているので、それなら宿り木みたいな感じになるのかなと勝手に想像しているけど。島から種を飛ばすような、外から種を持ってくるような。これは…いい感じに書きすぎか?

とはいえ、島に惹かれたことはつい最近で、それまでに考えていた虎の子的な計画もあるので、その準備で2~3月頃は東京にいます。自分の強みが生きているし、困っている人も大勢知っているし、まだ気づいている人も少ないというか、地味すぎて気づきづらいんじゃないかと思う。やったるぞ~。


※カバー写真は島でハマったけん玉をしている様子

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「ネルソンがんば!」と思われたら、たまにベトナムビールをおごってください。大衆ビール"333"は50円。なんと100円でビールが2杯も飲めます。300円なら接待用"サッポロプレミアム"を即買いです。

\爆吉/
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ベトナムに詳しめの文筆業、編集者、企画好き、ふざけたがり。大阪出身。海外の日本人街と日本の多文化社会化に興味しんしん。2011年からホーチミン市を拠点にさまざまな人物文化場所を取材。ブログ「べとまる」のほか、「デイリーポータルZ」「エキサイト」などで執筆。ただいま起業準備中。
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