見出し画像

《シャニマス》人生という海と青春という航海の話 2/3《「海へ出るつもりじゃなかったし」【がんばれ! ノロマ号】解釈と感想》

 パート1に引き続き、第4話『汽水域にて』からエンディング『うみを盗んだやつら』、【がんばれ! ノロマ号】の3つのコミュについての感想と解釈を記載していきます。

汽水域にて

 変わらず4人の正月休みの様子が描かれていますが、少し変化が生まれます。

 雛菜は旅行先でツイスタを見ていて、自分の好きな情報だけを選んで見ているようです。浅倉は世界を自分なりに見ていましたが、雛菜は世界の中でも自分の見たいものだけを見ています。

 小糸ちゃんは引き続き勉強していますが、かなり遅くまで頑張っていますね。本当に偉いです。現国の優先順位で悩むってことは得意なんでしょうね。
 みんなが仕事についてどう思っているのか、それについて何か連絡をくれるのではないかと気にしている様子です。

 浅倉は親戚が遊びに来たり、樋口は買い物に行ったりと正月休みといった感じです。お菓子を食べる音やバイクの音など、環境音から休み特有の雰囲気が感じられます。
 親戚の子の正直な疑問に正直に暇だと答える浅倉、直後に笑い声が入るように面白い返しと言えばそうなのですが、暇なままでいいのかという疑問もわいてくると思います。浅倉もそうした疑問を感じたのではないでしょうか。

 プロデューサーは仕事に余念がない様子でまさにプロデューサーの鑑といった感じですが、年末だけでなく年始も事務所にいるなら一体いつ休んでるんでしょう。事務所は構造的に住居を改造(?)して使っているっぽいようなので事務所に住んでたりするんでしょうか。過労死すると社長とはづきさん含めた事務所のみんなが曇るのでたまには休んでほしいし、なんなら休日何やってるかの描写ももっと出てくると嬉しいです(家で惰眠を貪ってるのでもいいので)。
 ここでは、善村記者とのやりとりから、プロデューサーの考えの断片が見えてきます。

ダウンロード (21)

 この考えがノクチルとの向き合い方をどう決定するのかは、これ以降のコミュで具体的に明らかになっていきます。

 このコミュでは、雛菜はツイスタで、樋口は書店で番組の話題を目にしたことから、浅倉は親戚の子との会話から、それぞれ自分たちがしているアイドルという仕事に目を向けます。自分たちはアイドルではないのか、アイドルとそれ以外の境界線はどこにあるのかということを考えるきっかけになります。
 タイトルにある汽水域とは淡水と海水が混ざる水域で、川と海の繋ぎ目のことを指します。4人が海へ出ることが間近に迫っています。

ココア・説教・ミジンコ

 ここからは正月休みが終わってからの様子が描かれています。
 コミュのタイトルは、みんながココアを飲んでいたこと、説教を受けたこと、ミジンコの絵がうまかったことを指していて、これらはミーティングをしたことや補講を受けたことを象徴する単語です。浅倉は、象徴を通して印象深いものごとを捉えています。

 小糸ちゃんは、ミーティングのように仕事(アイドル)らしいことができると嬉しいし、他のアイドルと同じように冷蔵庫を使ったりはできないと思っているなど、自分たちはアイドルではない、他のアイドルとは違うとの思いがあるように感じられます。

ダウンロード (23)

 浅倉は自分のテストよりも隣の男子のミジンコの方が気になる様子だったり、自転車とぶつかりそうになったり、ミーティングに遅れることを連絡していなかったりと、まだボーっとしている様子です。

 今回4人が仕事を受けたのは、正月休みとは違って断る理由がなかったからだといえますが、それぞれが正月休みに感じた疑問を解消するために受けたとも考えられます。
 浅倉は、ミーティングの後に樋口から出たかったか聞かれたときに、ヨットを思い出すようにしてから、「いいじゃん」と答えています。浅倉としては、4人で何かをすることの象徴がヨットであり、4人での活動に価値があると考えています。

 4人が参加を決めてくれたことにより、プロデューサーとしては少なくともアイドルとしてやる気がないわけではないことを確認できました。4人は自分たちなりに考えをもっていて、やる理由もやらない理由もないわけではないのです。
 そこで、プロデューサーは、今まで他のアイドルにしてきたように何をすべきかを示すのではなく、求める結果を示すことによって何をすべきか考えてもらうことにしました。優勝してきてほしいという条件は、優勝すること自体が重要なのではなく、目標のために何をすべきかを4人なりに考えることが重要なのです。

ダウンロード (24)

 小糸ちゃんにはプロデューサーの意図がなんとなく伝わっているようですが、他の3人にはあまり伝わっていないようです。
 しかし、結果的には4人で様々な考えを出して収録に臨むことになるので、プロデューサーの意図は功を奏したといえます。

ダウンロード (27)

 樋口のこの発言は自信の現れともとれますが、自信があるように思い込みたいともいえます。強い言葉を使うときはそう思い込もうとしてるとき、という樋口の発言そのままです。

 このコミュでは4人がココアを飲んでいましたが、めぐるのpSR【小さな夜のトロイメライ】がそうであったように、ココアはしばしば子供の象徴として描写されています。
 雛菜の自由さ、小糸ちゃんの臆病さ、浅倉の無自覚さなど大人になり切れていない部分を表しています。それでは樋口はどうかというと、ミーティングが終わった後、浅倉と2人で帰るときに自宅近くで飲んでいます。4人の中では一番大人的な(建前的な)対応ができているとともに、家に帰れば子供なんだということが伝わってきます。浅倉の前では子供になってもいいんですね……。

 このコミュでは浅倉と樋口の関係が気になる描写が多かったですね。
 まず、補講のあとに会うシーンです。

ダウンロード (30)

 浅倉は樋口が来ることを確信しているし、実際に来ています。樋口は浅倉を理解していると思って(思い込んで?)いますが、浅倉は樋口のことを自分に必要な範囲で十分に理解できているのだと思います。浅倉には樋口がどう思っているのか全てはわかりませんが、樋口がどういう行動をしそうか、どういう行動を欲しているかは理解しているように見えます。

 次に2人で帰る場面です。
 プロデューサーとの朝コミュや他のコミュでもそうでしたが、浅倉って相手が同じで話している状況が以前にした会話と似ている場面に遭遇すると、その以前の会話と似ている話しを返すんですよね。
 今回なら、歩きながらココアを飲んでいた時の「止まって飲む?」、仕事について意識を持ってほしい(と樋口が解釈したこと)を指す「ココア飲んでたらたら遅刻してんじゃない」という樋口の発言を、2人で帰る場面で樋口に返していました。
 こういう返しって個人的にはかなり面白いと思うんですけど、どう表現したらいいかわからないので説明が難しいです。芸能界の挨拶がおはようございますなのをもじって、夜の挨拶として「おはようございました」と言っていたのと似たような面白さがあります。(確か浅倉のsRのコミュだと思います。)
 今回特にヤバかったのは、浅倉が樋口のココアをもらっていくところですね。まさに家族同然といった感じですが、世間の幼馴染みはここまでするものでしょうか。玄関を入るまでは平然としていながらも、暗転してから長いため息を漏らす樋口に「関係性」の深さを感じます。鈍器のようなとおまどで殴らないでくれ。

あけの星に口づけ

 あけの星とは明けの明星、つまり明け方に東の空に昇る金星を指していると考えられます。金星と海との関係がよくわからなかったのですが、夜が明けることを4人が行動を始める様子に例えたものだと考えられます。

 このコミュの回想シーンでプロデューサーの条件について詳しく描写されています。「優勝したら、見えてるものが変わるって思う」という発言の通り、やはり優勝すること自体が重要なのではなく、浅倉たちに何か考えてもらうことが目的のようです。
 「出る価値のある案件じゃないと思ってる」とも言っているように、そもそも映る機会が少ないうえに、他のアイドルが中心の番組なので優勝したところで大して注目されないため、番組に出ることの意味はほぼないのでしょう。それでも、収録という場を利用して何かしらの体験をさせることは可能なので、その体験を支える意思や動機づくりとしての条件なのだといえます。

 騎馬戦の練習をしている場面ですが、浅倉と樋口の背が同じくらいで雛菜の背が高いので騎馬としてのバランス良さそうですよね。
 ここでの浅倉の独白には『風のない夜』と似ている「本当の世界になる」という表現と、『口笛』で出てきた「風」という表現が出てきます。
 口笛という行動によって風が来るように、練習をすることによって意思が伴ってきていて、収録するとか練習したといった単なる経験ではなく一連の体験へと変化しつつあります。また、その意思の高まりが、騎馬戦をすることが浅倉にとって特別な体験になりそうだという予感を感じさせています。
 補講の後に連絡することを思い出していることも、前のめりな姿勢で取り組むようになったという浅倉の意思の高まりを表しています。海を想像し、口笛を吹いていることが象徴的です。

 浅倉の部屋の場面では、オウムはすっかり浅倉のような受け答えをするようになっています。樋口が途中で出ていったのは、オウムと浅倉に重なるところがあったからなのではないかと思いますがよくわかりません。
 小糸ちゃんが浅倉の本に言及する場面では、樋口のセリフが気になります。

ダウンロード (37)

 『タック用意』と同じように、樋口は本を読んでいましたが、小糸ちゃんが読みたいと言いやすいように言い方を工夫しています。相手に選択を委ねつつも、相手がどちらの選択もできるように配慮しているという気遣いが感じられます。
 また、小糸ちゃんと樋口は本に出てくる4人と自分たちを重ね合わせています。この会話での樋口の「海を知らないわけじゃない」というセリフについて、海と湖の違いが分かるはずだから現実が見えていないわけではないという意味にとれます。小糸ちゃんはこのように取ったと思います。
 ただ、樋口はこの時に浅倉を思い浮かべています。浅倉にとって海が重要な象徴であるように、樋口は海を目指す浅倉を重要な象徴として見ています。樋口には海に見えなくても、浅倉が海だと言えばそこは海であり、浅倉の反応を通して海であることを実感できるという意味にとれます。樋口にとっては浅倉の存在こそがほかでもない現実なのだと考えることができるかもしれません。

 小糸と樋口が話している後ろでは雛菜がオウムにシャケとしゃべらせようとしています。「しゃ、け~」って言ってる雛菜めちゃくちゃかわいいですよね。もっとも、このセリフはただかわいいだけではありません。
 鮭は川で生まれて海へ下り、海で成長した後再び川へ戻って産卵し一生を終える魚です。海とは「うみ」であり、ロゴに描かれているように4人は魚に例えられます。
 そのため、海に出ようとしている成長途中の魚という点で、シャケ(鮭)とは浅倉たち4人を例えているといえます。
 雛菜に自分たちを例えるような意図はないと思いますが、なぜ梅でもおかかでもなくシャケなのか、つまりなぜライターがシャケ(鮭)と書いたのかはこれが理由だと考えられます。(鮭ではなくシャケなのは、雛菜がシャケと言いそうだからだと思います。)

うみを盗んだやつら

 控室で4人が完全に蚊帳の外になっている様子から始まります。普通の人なら居心地が悪くてメンタルが削れそうな状況ですね。大衆から歓迎されることが無い、大衆とは異なる利益や秩序で動いているという点で海賊という例えと整合的です。

ダウンロード (39)

 ただ、リハーサル後の会話にあるように、4人なりに目標を掲げてそのためにいろいろ考えている様子は他人と比べると笑えるようでもあり、充実感を感じるものでもあったと思います。

 このコミュでのプロデューサーと善村記者との会話は『汽水域にて』での内容を具体的に述べたものだと考えられます。

ダウンロード (40)

ダウンロード (41)

 プロデューサーは「天塵」で見た浅倉たちの輝きを知っていて、その輝きをさらに素晴らしいものにしようと考えています。
 しかし、その輝きは浅倉たち自身が自然と発するものであり、他人の干渉によって失われるおそれがあるものです。また、浅倉たちは一見すると自由奔放に行動していますが、他人に伝わらないだけで自分たちなりに考えて行動していて、その点でも他人からの干渉はむしろ害になりえます。
 そこで、プロデューサーは可能な限り浅倉たち自身に考えさせることにして、考えるきっかけや目標を与えることにしました。
 プロデューサーの行動は浅倉たちに特別な場を与え、考えるきっかけを与え、それによって特別な体験をさせるものです。浅倉たちの輝きの源は特別な体験、いわば青春のようなものにあり、その体験を積み重ねていくことが「いっぱい生きろってこと」であり、積み重ねの結果が人生だと考えられます。
 プロデューサー自身はまだ気が付いていないかもしれませんが、特別な体験こそが浅倉たちの輝きを引き上げるものだと考えられます。

 リハーサル後の話し合いでは、雛菜の理解力と観察力の高さが見えてきます。自分の好きなものしか見えないのではなく、見たいものを取捨選択できるということですね。
 本番で最後の3騎に残った場面では、浅倉がジャンプしようと提案したのは、みんなで年越しジャンプをしたことが思い出されたからだと思います。年越しジャンプが特別な体験になったように、今回もまたそうなるだろうという予感があったのだと思います。

 本番直前から浅倉の独白が始まります。このシナリオの総まとめといった感じです。
 「――――起きてるよ、鳥」という部分は、目が覚めていること、つまりはっきりとした意識、意思を持っていることを指しています。「それで、帆を上げる」という部分は、そうした意思を行動に反映できるようにすることを指しています。
 本番を前にして、浅倉の中で十分なやる気、意思がみなぎっていることが表されています。
 最後の3騎まで残った場面では、「ピース・オブ・エイト」が読んでいた小説に出てくる言葉であることを思い出し、4人で協力して敵に挑むという状況から小説の内容と自分たちとを重ねています。少年たちの湖での体験と同じように、自分たちも特別な体験をしていることを感じているのだと考えられます。

 そして、事務所でのプロデューサーの様子を挟んで、収録後に4人で帰っている場面に移ります。ここでの4人の会話は、正月は退屈な日常、年が始まることは新しいものごとの見え方を発見したことを例えていると考えられます。海を見ているような背景になっていることも、4人のものの見え方が変わったことを表現しているように感じられます。
 さらに、浅倉の独白が続いていきます。

なんかに似てた

なんかに似てた

なんか、すごく最近見て
すごく昔から、知ってるものに

海に出るつもりじゃ
なかったけど

海に出てしまったから
風を探している

そういう夢に

 この夢は『口笛』で見た夢であると同時に、4人での日常を指しています。4人は偶然の事情や思い付き、なりゆきなど、意図するかどうかを問わず様々な経験を共有していますが、船は帆を上げて風を受けなければ進むことができないように、特別な場、時間であってもただ4人で過ごすだけでは特別な体験にはなりません。

帆走準備

 いつでもセイルを上げられるように、いつ風が吹いてきてもいいように、再び特別な体験をできることを期待して待っているのです。

 タイトルのうみを盗んだとは、「その海は僕らの手に落ちる」というセリフの通り、周囲の世界が自分たちのものになったこと、つまり場所や時間、そこにいる人、動作といった経験が体験へと変化したことを表現していると考えられます。周囲の人間が持つ目的(通常考えられる目的)と違う目的をもってものごとを経験したという点で「盗んだ」という表現なのだと考えられます。

 ここからは報酬カードのコミュについてです。
 浅倉は要らない服をみんなにあげてますが、幼馴染みでもこういう兄弟とか親戚みたいなことしてるのが良いですね。浅倉のクマの服がどんな感じなのか気になります。ここで出てくるのは昔着てた服と着なくなった服なので、浅倉が忘れている過去の思い出を表しているのかもしれません。
 オウムが絶妙なタイミングで的確な返しをしてくるのも面白いですね。樋口がかなり嫌そうな顔をしているのも印象的です。本編のコミュでもそうでしたが、オウムが言葉を理解しているかのように振る舞うのに対して、浅倉は話している意味に注目して言葉を返していますが、樋口はどんな単語をしゃべっているかに注目しているように感じられます。オウムの存在が何かの比喩なのかもしれませんが、結局私には分かりませんでした。

かんぱい

 参加した番組をみんなで見ていて、浅倉とか雛菜はかなり楽しみそうなのは分かるのですが、樋口がのめり込んでいるのが意外に感じました。樋口は感情の機微(が伝わる仕草)に敏感なので何か感じるところがあったのかもしれません。
 完敗って言いながら乾杯してる浅倉が面白いです。こういう言葉遊びが好きなのも良いですよね。

いつか忘れること

 オウムがいたことはいつか忘れてしまうかもしれませんが、オウムがいた日々、経験から感じたことは確かに覚えています。また、口笛を吹いて風が吹いてきたことに対して、「あの時みたいだ」と述べていて、具体的に何を指しているのかは分かりませんが何かを感じ取ったことは覚えています。同様に、「ピース・オブ・エイト」という言葉が何を指しているかは忘れてしまっても、今回の収録での体験は忘れることはないはずです。
 個々の具体的な経験、状況はいつか忘れてしまいますが、その経験から得た体験は感情、考えの変化として記憶されているはずです。浅倉が見ている象徴は変化していくかもしれませんが、その象徴が意味するものは共通のものに行きつくはずです。

コミュ全体のまとめ

 浅倉たちの家族が詳しく描写されていたり、4人の日常が見えてきたりととても面白いコミュでした。
 また、全体的にフワッとした言い回しで「よくわからないけどなんとなく言いたいことは伝わる」といった感じで、4人の空気感、キャラクター性が伝わってきた気がします。
 ただ、そうした曖昧さに加えて、私自身がしっかりと感想を書いた経験があまりないことから、感覚としては理解できても言語化するのが難しいと感じました。(難しく考えすぎているのかもしれません。)
  次のパート3では、このコミュ全体を通してのテーマなのではないか、と私が感じたことについて書いていきたいます。(イベントは終わってしまいましたが時間を見つけて書き進めています。)

パート3に続きます ⇒

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?