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留学と同郷と言語

イマジナリーブラザー(from🇰🇷)と話していて興味深いことがあったので書きたいと思います。

同郷との交流を求めるか?

ブラザーの場合🇰🇷

ブラザーは、いまだにヨエンスーで韓国から来た学生とリアルで会ったことがありません。
ただ、お互いにすすんで会おうとすることはないと思うと言っていました。

これは、私のように「向こうは私に会いたくないかもしれない…」的謎マイナス思考を発揮しているわけではなく、韓国の文化的背景があるそうです。

ブラザーは特に西欧文化に馴染みがあり、英語で話す方が合っていると感じているというのもありますが、韓国語で話すとなると相手との年齢差を気にして呼び名や言葉を変えなければいけないのが心地悪いそうです。

なので、韓国出身の相手でも英語を話すのならなるべく英語をメインで使いたいとも言っていました。

なんとなく、海外在住の韓国出身同士ではあえて集まろうとはしない雰囲気があるそうです。

日本でも目上の人に敬語を使ったりしなければいけないというマナーはありますが、この話を聞いて韓国の方がより年齢と対応の違いに厳密なのかなと思いました。

ルームメイトの場合🇻🇳

一方で、ルームメイトを含めた周りのベトナム出身の方々はコミュニティを作って一緒にいるイメージです。

ルームメイトのお友だちが来た時に「私何歳に見える〜?」と聞かれたことから(めっちゃ若く見える人だった)日本や韓国と同じように年齢を気にする文化なのだなと思いましたが、20歳近く年下のルームメイトともフランクに話している(ベトナム語なのでわからないが、そのように見える)様子を見るとそこまで上下関係は厳しくないのかなと思いました。

余談ですが、ルームメイトが作ったご飯を食べる代わりに片付けはお友だちがやって、最後には「帰るついでに捨ててきて」と卵のパックのゴミを渡されていたのを見て良い関係だなと思いました。まだ2ヶ月くらいの付き合いのはず。

言語と文化

ブラザーの話を通して、言語が文化といかに密接に関わっているか、改めて気付かされました。

しかも、そこに「留学先」という状況が加わると留学先の言語でなく「あえて」出身地の言語を使うことになるので、言語を通して出身国の文化をわざわざフィンランドに召喚しているような感覚になるのだと思います。

中学の友だちは大好きだけど、卒業してから会うと嫌いだった学校の雰囲気が呼び起こされるのですすんでは会いたくはない、みたいなことと似ているのかなと思いました(例えが個人的な思い出すぎてわかりにくい)。

異国の地で同郷の存在は心強くもありますが、必ずしも「同郷」という共通項だけで仲良くなれるわけではないよなと当たり前ながらに感じます(留学に限った話ではないですが…)。

サンプル数が少なすぎるので、国ごとの特徴というよりも私の周りの人々の様子という前提ですが、興味深いテーマだと思いました。

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