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2020.8.5 安全な国土を子孫に残そう③

「2度あることは3度あってはいかん」

人工的な防災措置で、津波から無事だった村もあります。

岩手県・三陸海岸北部の普代村、人口約3000人の漁村には高さ15.5メートルの防潮堤と水門が作られていました。

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普代村魚協の太田則彦氏は当時を振り返り、
“高台から見ていましたが、津波がものすごい勢いで港に押し寄せ、漁村や加工工場を一気に呑み込みました。
バリバリという激しい音がして、防潮堤に激突。
皆祈るように見ていましたが、波は1メートルほど乗り越えただけで、約1000世帯が住む集落までは来ませんでした”
と語っています。

港に船を見に行った男性が行方不明になりましたが、防潮堤の内側にいた人の被害はゼロ、住宅への被害も一切ありませんでした。

ちなみに隣の田野畑村では、高さ8メートルの防潮堤では津波を防げず、死者・行方不明者40人、全・半壊533戸の被害が出ました。

普代村で15.5メートルもの堤防を造った経緯について、村役場住民課の三船雄三氏は
“防潮堤は1970年に約6000万円をかけて造った。水門は35億円で、1984年に完成しました。普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。
1933年の津波でも約600人が死傷しました。
戦後、和村幸徳(わむら こうとく)村長が
『2度あることは3度あってはいかん』
と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。かなりの費用がかかるので、当時は
「他のことに使えばいいのに」
「ここまでの高さは必要なの?」
といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。きっと今は天国でホッとされているのではないでしょうか”
と語っています。

つづく…

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