2020.8.5 安全な国土を子孫に残そう②
「此処(ここ)より下に家を建てるな」
京都大学の藤井聡教授が提案した『列島強靱化論 日本復活5カ年計画』では、来たるべき大震災から日本列島を「強靱化」するための8策を提案していますが、そのいくつかは東日本大震災で住民を守った事例に基づいています。
今回は、これらの成功事例を見ていきたいと思います。
岩手県宮古市の重茂半島東端の姉吉地域では、太平洋に張り出して津波をまともに受ける地形にも関わらず、12世帯約40人のすべての家屋が被害を免れました。
この村ではかつて明治、昭和の二度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人、4人という壊滅的な被害を受けました。
その経験を踏まえ、1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に
「此処(ここ)より下に家を建てるな」
という石碑を建て、以後、すべての村民が石碑より高い場所で暮らすようにしました。
東日本大震災での巨大地震発生後、港にいた住民たちは皆、高台にある家を目指して駆け上がり全員が助かりました。
震災後、自治会長の木村民茂氏は、
「幼い頃から『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と語りました。
同様の例は原発にもあります。
東北電力女川原発は津波対策として、主要な建屋を海抜約15mに設置していたので、13mの津波に襲われても何の被害も受けませんでした。
当時想定されていた津波の高さは約3mでしたが、同社の元副社長が強硬に海抜15m以上と主張したといいます。
この元副社長の脳裏には、昔からの地域の知恵が残っていたのではないでしょうか。
つづく…
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