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普通の生活、という幻想に囚われないために

note初投稿のSALLOWです。

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普通の生活って?

突然ですが、皆さんは「普通の生活」とはどんなものを想像するでしょうか?

先にネタばらしをしておくと、この問いに対してどんな生活を想像したとしても、それは問題ではありません。
問題になるのは二つの場合。
そのうちの一つは「普通の生活」の定義が皆同じようなものだ、と思っているケースです。

もう一つは記事の最後で紹介するとして、まずは上記のケースの紹介から始めたいと思います。


京都総評の試算結果


2019年の年末、労働組合の京都総評が「最低生計費試算調査結果―30代~50代の子育て世帯」と題するレポートを公開しました。
京都市在住で30代の4人家族が「普通の生活」をするには、月48万円必要という内容です。

このレポートは、以下のページからダウンロードすることができます。

最低生計費資産調査結果-30代~50代の子育て世帯|京都総評

労働組合系が主催した発表ですので、そこには偏向があります。
当然この場合の偏向は「給料が足りないからもっと増やせ」という内容になるでしょう。

月48万円といっても、ここには税金などを含みますので可処分所得としては月38万円程度。
決して贅沢な暮らしをしているわけではない、ということについては同意します。

内容についても、通信費、交通費、一部消耗品費で改善の余地はありますが、おおむね贅沢や浪費はしていないと思います。
しかし、この統計は他のところに問題があります。


普通なのか? 最低なのか?


それは、「普通の生活」と謳っているにも関わらず、このレポートのタイトルが「最低生計費試算調査結果」となっているところです。

当然ですが、「普通」と「最低」は異なります。
「普通」を「標準」あるいは「平均」と同義だとすれば、そこに至ることができるのは良くて全体の半分でしょう。
 
・「30代夫婦、車あり、子供二人」
・「子供を二人とも私大に通わせる」
・「食費10万円オーバー」
・「一般的な教育娯楽、自由裁量費もある」

 
というのは、果たして「普通」なのか。
ましてや「最低生計費」のレポートの前提としてふさわしいものなのか、私には疑問です。


普通は権利ではありません

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もちろん、この家計は贅沢をしているわけでも散財をしているわけでもありません。
しかし、あらゆる生計費を「普通」に支出しているこの家計は、どちらかといえば「こうありたい」という生活ではないでしょうか。

そうなるとこのレポートは、「(普通の生活という名前の)こうありたいという生活は、当然の権利として与えられなければならない」という内容を言っているように、私には思えます。

その行き着く先は、「能力も努力も関係なく、万人が等しく幸福となる世界」という悪平等です。
そのような理想の国は、残念ながら世界のどこにもありませんし、ありませんでした。これからもないでしょう。
つまりそれは理想ではなく、ただの妄想の類というわけです。

普通は権利ではありませんし、万人の普通は同じではありません。
良し悪しの議論とは異なるところにおいて、そこには格差があるのは当然のことだと思います。


心理的貧困の源

このような「普通の生活」と共通点があるものが、「心理的貧困」です。

「所得が等価可処分所得の中央値の半分以下」という相対的貧困とは異なり、心理的貧困には基準がありません。


もっとも、相対的貧困と心理的貧困の間には大きな違いがあります。

それは、相対的貧困が「物を持つ・持たない」という財産の有無を問題にしている一方、心理的貧困は「高級外車と中古自動車」「タワマンと古アパート」という財産の質の問題だからです。

財産有無であれば、物資が豊かになれば問題は解決されます。
しかしいくら物資が豊富にあったとしても、財産の質の違いはいつでもあります。
このため、どんな世の中であっても、比較する対象がある限り心理的貧困は存在し続けることになります。


心理が貧困を引き起こす


心理的貧困とは、その名の通り心理の問題であると私は考えています。
 
心理的貧困を根治しようとすれば、それは万人が所有している財産を均一化することです。
しかし、これが資本主義の原理に反した絵空事ですし、人の本能的な部分で達成は難しいでしょう。

そもそも、人々の持っている財産に違いがあり、格差があるなんていうのはいつどこでもあり得る事です。
それを心理的貧困と思う人がいて、思わない人もいるというだけのこと。

つまり心理的貧困は、格差という事実の上に各自が生み出した幻想に過ぎません。
実体がない以上、国や地方自治体がどう手をさしのべたところで解決すはせず、対処は自分自身でするほかありません。

その格差に発憤して上を目指すための努力をするもよし。
それとも、そんな程度の格差なんてどこにでもあるから一々問題じゃないよ、と軽く受け流すのもよいでしょう。
別にどちらでもいいのですが、他責にすることだけは間違っています。


各個人が考えるべきこと

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冒頭で述べた「もう一つの問題」について書きます。

万人の普通が同じと思っていると、先のレポートや今まで書いてきたような結論に陥ることになります。
これは、物事をマクロに見た時の問題です。

もう一つ問題とは、物事をミクロに見た時の問題。
つまり、(自分の考える)普通の生活と現在の生活との間にギャップを感じているのに、それを解決する検討をしない状況のことです。


自分自身の状況が普通でないと思うなら、収入を増やし、支出を抑えることをすれば良いだけ。
そして稼ぎの中で生活をするというのも、当然のことです。

普通の生活をしたいなら、それこそ「普通」に考え、実行して結果を残し、自分の生活を改善し続けるしかありません。
それをすることなく外部環境に要求をするのでは、オモチャ売り場の床に転がる子供と同じです。

普通の生活とは、普通の努力の上にのみ存在するものだと思います。
そして世界が成長する中で、普通の努力とは少しずつハードルが上がっています。その中で同じ努力しかしないのなら、得られる糧が少なくなるのは当然のことだと思います。


まとめ

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普通の生活と言われてどんなものを想像するか、それは各個人で様々であり、正解や間違いを論ずるものではありません。

問題になるのはまず一つ、世界に共通の「普通の生活」があると錯覚してしまうこと。
そして二つ目は、自分の思う「普通の生活」に届かない時、自助努力無しにその責任を外部環境に転嫁してしまうことだと思います。


大切なのは、「普通の生活」という幻想に囚われないこと。
自分の人生は自分のもの、どうせ上を見ても下を見てもキリがないのですから、やれることをやって暮らしていけばいいだけのことだと思います。

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クラウドファンディング/ソーシャルレンディング投資家・サラリーマン・ライター・ブロガー。温泉好き。駆け出しサウナー。 note練習中です。