見出し画像

2021年の抱負

新しい年が始まりました。

大晦日や元旦。365日の中で当たり前に訪れる始まりと終わりの日なのに、何だか特別な日に思ってしまうのがいつも不思議だなあと思っているのだけれど、大晦日と聞けば「今年のうちにやり残したことはないだろうか」と妙な焦燥感に襲われるし、元旦を迎えれば「今年はどんな年にしようか」と考えずにいられない。

例にも漏れず、わたしも2021年のことをぼんやり考えていた。
年越しそばは食べないし、元朝参りにも積極的ではない。おせち料理は嫌いだし、お餅だって結局食べないで三が日が終わってしまった。
そんな、お正月の代名詞となるものに全く興味がないわたしだけど、今年の抱負くらいは残しておきたいと思ったので、久しぶりにnoteを開いてみた。

今年の抱負が定まるきっかけになった話。

最近、わたしが憧れている人がラジオで、あるアニメの台詞を自分の糧となった言葉として紹介していた。
それは「しっかりしてないと人生に逆襲されちゃうよ」という言葉。
人生に逆襲されるというのは、今を怠けてしまうと後々それが全て自分に返ってきてしまうということで。だから、自分自身でしっかり考えて、充実した日々を生きなきゃいけない。しっかり生きた分だけ、自分にフィードバックが来るし、怠けて生きた分だけ、自分にフィードバックが来る。だから頑張って生きていかないといけないと大人になって感じることが増えてきた、とその人は語っていた。ここ数年、昔大変だったことや辛かったことを頑張ってきたからこそ今の自分があると実感することが増えてきた、と。
考えてみれば、すごく当たり前のことなんだけど、ハッと気付かされた気がして、このラジオを聞いた後なかなか眠れなかった。

今の自分に、ものすごく当てはまる話だった。
自分自身が向き合うべき問題からずっと目を背けて生きてきたことにやっと気づいたタイミングだったからこそ、その言葉が胸に刺さった。

ここ数年仕事のことでずっと悩んでいたはずなのに、わたしはそれに気付かないように何とかやり過ごしていた。仕事は卒なくこなすタイプだし大きなミスもない。わたしの就いている仕事にはマニュアルも正解もなくて、ひとつの仕事をどこまで突き詰めて遂行するかは自分次第。でも、そんな忙しく難しい仕事を続ける中で、少しずつ自分自身の目標を見失って行った。

仕事を始めた頃は「もっとこんな風になりたい」「こんな仕事がしたい」といった夢や希望があった。でも、年齢を重ねていくと、自分自身の限界が見えてきてしまう。頑張ってもここ止まりだとか、意味も価値もないことだとか。見えなくて良いことさえ見えてきてしまう。
そうして少しずつ心を削られていく中で、わたしは「適度にしか頑張れない自分」になっていった。いつも省エネで動いている自分に気付きながらも、それなりに仕事をして自分を誤魔化してきた。

毎日を何となくやり過ごして、趣味や娯楽に逃げ込む日々。今は幸せだし楽しいけど、きっとこのままじゃ「人生に逆襲」されてしまう。今を誤魔化して怠けてきた自分自身にツケが回ってくる。そう思った。
今のままだと10年後のわたしは、きっと今よりもずっと絶望しているに違いない。ラジオを通してそれに気付かせてもらったから、今日からわたしは少しずつでもいいから変わって行きたい。

年齢を重ねれば重ねるほど、人は変化に憶病になる。
今のまま変わらずにいられるのなら、それが一番安心だし居心地がいいはずだけど、でもきっと変わるなら今なんだろうなって。自分をもっと好きになれるように、自分に自信を持つために。

そんなわけで、2021年は自分と向き合って、自分を高める年にしたい。
仕事はもちろん仕事以外のところでも、たくさん学んでたくさん努力して、愛をくれる人を大切にできる人になりたい。具体的にこれを達成するという目標は掲げてないけれど、1年後の自分がこの記事を読んで振り返ったときに、少しでも成長していられますように。

そして、noteを読んで下さっている皆さん、2021年もどうぞお付き合いよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?