[散文日記] 新しい帰省.
15歳から親元を離れている僕にとって、帰省歴は10年を超えている。旅行の時でさえ、新幹線に乗り込むと「地元に帰るんだな」と脳が自然に思うほどには定例行事になっている。
のどかな田園風景を見ると、幼少期だけ過ごした異世界に戻るような気持ちになり、勝負の世界から逃げ出せる感覚に陥る。そして、家族に会うと世の中の中心だと思っていた過去の分人が出現する。
幼少期の心が開放されている感覚を投影できるリフレッシュ期間だ。
さて、今回は”妻を連れて”の帰省だった。入籍後の初盆で家族として二人で実施した新しいステージの帰省だった。
余談だが、帰省は「帰るのを省みる」と書く。由来はこうらしい。
今回は、各所からお祝いの言葉をかけてもらったり、妻の目を通しての自分や両親、祖父母という視点が加わり、今まで以上に省みることが多かった。
帰省というイベントを終え、何を感じ、何を省み、何を報告したのか。
そして、今後の帰省をどのようにアップデートしていきたいと思ったのかを記したい。
ばあちゃんたちからのお祝い
結婚のお祝いとして、両親の祖母と叔父、叔母たちから、少なくない量のお包みを頂いた。
受け取る時、僕はいつものように軽い感じで「ありがとうな!」とおちゃらけた感じで受け答えてしまったけれど、今思い返せば二人のばあちゃんの目は特別な目をしていた。端的に言えばふたりとも目頭が熱くなっていた。
だからこそ、僕は真面目に受け取るのが怖くて、軽くあしらってしまったのかもしれない。
彼女たちの、死を目前にした覚悟と孫の門出を心から喜んでくれてれいて、感激しているような、そんな目をしていた。
冗談だとわかりつつ、「次会えないかもしれないから」という言葉は彼女たちの本音の一部であることは自明であった。
そんな彼女達の目を見て、妻もなにか思うことがあったのだろうか。お祝いを受け取る瞬間の振る舞いについて自宅に戻ってから、うまく振る舞えなかったことを省みていた。
残された彼女達の時間の中で、僕ができることは何だろう。元気な姿を定期的に見せることはもちろん、自分が何を目指していて現在地はどこなのか、こういう人間になりたいんだと自分の未来像を彼女たちに知ってもらうことは、死を迎える安心材料になるのかな。それが、遠方で生活しながらもできることなのかもしれない。手紙やSNSなどのメディアを通して。
あと先に次のステージ行ってしまった、爺ちゃん。俺結婚したよ。あなたに、ちゃんと報告できてなかった気がするのでこの場を借りて。
今からあなたにも胸張って報告できる仕事していくから、見ててくれよ。
地元の友だち
はじめて妻に中学時代の友達に紹介した。今も変わらない僕の核心、一部が素直に表出していた時代を知っている彼らが想う人格は、僕が認識している僕と限りなく近いと思っている。
そんな彼らと接するときのぼくや彼らの口から出てくる僕を形容する言葉を通して鎧が剥がされた自分を妻に見てもらえた。
そして、地方創生やコミュニティに関心が向いている今の僕にとって、「地方に住む彼らのために何かをやりたいと思うのか」というのが一つの裏テーマだった。
その答えは、地方という主語ではなく「彼らと面白いことがしたい」ということな気がする。自分が旗振り役となって、面白いプロジェクトを仕掛けて創り手やメンバーとして巻き込んで行きながら、オモロイ時間をもっと共有したい。
それをできるように、経験を積んだりスキルを磨いたりする。それが、僕の目指したい方向だろう。
滋賀・近江商人・琵琶湖・自然
滋賀県にある、ラコリーナを初めて訪れた。
「これは何もない自然のテーマパークだ」
人が集まり、訪れ、涼み、感じる。それだけの施設。ただ、めちゃカッコいい。
僕はこういう箱物もプロデュースしてみたいなぁ。それが、地元にあるなんて誇らしい。
とりあえず本読も。
帰省のアップデート
年に1~2度訪れるこのイベントをどうすれば、みんながハッピーになりSalient状態に遭遇するのだろうか。
自分の人生や生活について、報告することを決めて持ち帰る
友達とゆっくり話す機会やコンテンツを準備する(プロジェクトの持ちかけだと理想)
家族の一人ひとりを観察し、発見したことをブログにまとめる
こんな感じで次の正月はやってみようかな。
おまけ(中1の従兄弟との5,000m走)
もう、中1には勝てないのかもしれない。正月はリベンジ。