誰か攻殻機動隊第2巻の感想か解説か書いて

 攻殻機動隊第2巻を読んでる。おもしろい。攻殻機動隊はまず原作好きなひとと原作以外が好きなひととにわかれて、さらに2巻も好きなひとと2巻は意味不明ってひととにわかれる。2巻が好きじゃないなら1巻の何が好きなんやとわたしは思う。いやまあわかるけど。1巻はふつうのクライムアクションの出来がいいやつみたいにしても読める。2巻はそもそも何の話なのっていうところからつまずくひとはけっこういそう。でも「これって何してる?」ってことを(コマを追うのとはいわば別のところで)意識しながら読んでいけばまあわかってくると思う。けっきょく1巻もそうやし。

 AIの子分たちとか3話の鎖使った戦闘シーンとかわかりやすいけど、意味あるものをヴィジュアルに描写して繋げていくっていうやりかたがすごいうまい。そんで、じつはそれは1巻のころと変わってない。だから1巻がわかるひとなら2巻もわかるはずやし、2巻がわからんのならたぶん1巻もあんまりわかってない。ただまあ2巻はわかりやすく情報量が多いし、好みじゃないと理解する気が起きんってのもあるやろけど。

 テーマ(?)としても、1巻で素子がみたもの・なったものを展開してるだけといえばだけなので、繋がってる。どこまでがそれなのか、どこまでいったらそれでなくなるのか、それでなくなったらどうなるのか。自分とは何なのか、何かを知るとは何なのか。もう最初に言ってるんやってな。

既知限界サイボーグである素子にとって
アクティブなドライブは全て自分の身体であり
アクティブなソースは全て自分の記憶である
それらは常に可変であるが
周期的に「生物部品」が燃料や睡眠を要求し
基本帰属層を思い出させてくれる
物理も情報も共に現実であり
全てはいつまで続くか分らない人生そのものなのだ

『攻殻機動隊2』p1

 「既知限界」の「既知」は素子にとってのなんか作中でなんかっていう問題がまずあるけど、すぐあと登場人物のセリフで「既知宇宙で最も複雑成るもの」とか言ってるのでたぶんこれは作中で(「既知宇宙で」)ってことやと思う。基本的には士郎正宗のこういう地の文みたいなのはいわゆる神視点。
 知られてる範囲で限界までサイボーグ化を進めた素子にとって、アクティブなドライブ(たとえば中継して接続してる義体とか)は全て自分の身体で、アクティブなソース(たとえばデカトンケイル介してみてる情報とか)は全て自分の記憶。アクティブなドライブとかアクティブなソースとかっていうのは固定されてもんじゃなくて、したがって身体とか記憶もかならずしも物理的に固定・制約されたもんでもなく、「自分」みたいなもんを見失いそうんなるときもあるけど、周期的に体のサイボーグ化しきれてない部分が「めしくいたい」「ねむい」とか言ってくるおかげで自分がありていにいえば「人間」(的なもん)なんやと、「自分」のありかたを、思い出させてくれる。アクティブなドライブもアクティブなソースもサイボーグ化できてる部分もできてない生体部品も「自分が直接知ってる」という気がしてるものも「仮想的に体験してる」というふうに思ってるようなもんもぜんぶひっくるめて現実そのものなんであって、現実の外というもんはない。そういう(ある意味現象学的な)現実全てがいつまで続くかわからん人生そのもの。
 っていうことやと思う。このへんは少なくとも1巻のころ(ゴミ回収業者とか)にはあったもんで、それが引き継がれてる。

 こういう図式は崩せんっていう前提やと思う。でもアクティブなドライブとかアクティブなソースとかをひろげていったときに結局のところ何がどうなるかわからん、その質をべつのもんにしていったら「自分」とか「現実」っていう枠組みすらこえでていくかもしれん、みたいなことが2巻の話なんじゃないかと思う。

 でもまあじっさい難しいしわかってない。だから誰か解説かいてほしい。感想でもいい。第2巻はまじちゃんとしてる2次情報がなさすぎる。

 『スペクトラルウィザード』なんかは長編的なほうより短編的なほうがおもしろかったけど、攻殻機動隊は短編的な1巻より長編的な2巻のほうが好き。うまくなってる・徹底されてるかんじがする。

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