父性(エッセイ)4

父はお腹が弱い人だった。
脂っこいものを食べ過ぎたり、ストレスが溜まると下痢をする。
父の実家に行く時も、トイレ休憩ばかりしていた記憶がある。
私もその体質を受け継いだ。歯の矯正をはじめてた頃にお腹を壊しやすくなった。
でも父は力仕事をしていたから筋肉むきむきだった。対照的に私は、痩せすぎていて周りに心配されていた。

父は賭け事が好きだった。
夏の甲子園のトーナメントが出ると、どの高校が勝つのか職場の人と賭けをしていた。
全国の高校球児に謝りたい。

父は、給与を振り込みではなく手渡しでもらっていた。だから父は銀行通帳の作り方や、カードの存在を知らなかった。
母が父から封筒を渡されるたびに、へぇ、と反応をしていたのを覚えている。悪い反応ではない。母としては普通にもらっているだけだ。
しかし、父は子供のままだ。
働いたなら褒めてほしいと思っている。

母が父が頑張ったことを褒めないから、父は拗ねていた。子供ながらにそれをわかっていたから、私は父の力こぶを褒めた。すごい!お仕事たくさんしてると、二の腕がこんなになるんだね!と明るく言った。
父は誇らしげにしていた。構ってあげたときは素直なのだ。無視をすると拗らせる。

ときどき、私は父に似たのだろうかと考える時がある。父を反面教師に生きてきたけど、たまに拗らせる。過去の父が私を乗っ取りにくる。
おそろしい。

父がたびたび仕事をサボって公園にいるのを母は気づいていないようだった。母はあまり家にいないから、家族の変化に気づかない。
私はそれを母に言わなかった。

公園までアンパンマンの自転車を走らせて父の様子を見に行った。
公園の車の中でお酒を飲んだり煙草を吸ったり寝ていたりした。新聞を読んでいる時もあれば、文字を書いている時もあった。

父は当時、携帯電話を持っていなかった。連絡は家の電話で十分だった。父は友達がいないし、自分で契約をすることもできない人だった。結局、母が契約をした。私が高校生くらいの頃だったと思う。父の着メロはあんしんパパの「はじめてのチュウ」だった。

父の工場の社長は優しかった。
家の保証人になってくれたし、父がサボってもクビにしなかった。仕事を辞めても、戻ってくるように言った。父は悪口を言っていたが、父を最後まで見捨てなかったのはこの人だけだったと思う。

中学生になった頃から父は私に対して態度が変わった。話しかけてくる時もあれば、無視をすることもあった。おそらく、私が子供から女に変化していると悟って、距離感がわからなくなっていたのだと思う。
私は父が子供に見えるようになった。

父が中学生の頃に仕事を辞めた。
私はそれを知らなかったけれど、高校に行かせることはできないと母に言われて、家が貧乏であることを知った。

私は中学に通いながら働くようになった。
父は私が持っているものを売ってお金にしたり私の財布からお金を抜いて、お酒や煙草、パチンコを楽しんでいた。
とても困ったけれど、父が銀行のカードの存在を知らなかったおかげで、貯めているお金はとられずに済んだ。もし、父が知っていたら高校に進学できなかった。



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