父性(エッセイ)1

幼い頃、父と手を繋いで橋を歩いていた。
私がたくさん話しかけて、父は私の話を聞いていた気がする。
父と、町に唯一ある、駄菓子屋さんに行った。
そこには駄菓子のほかにぬいぐるみやおもちゃが置いてあった。私は黒と茶色の猫のぬいぐるみを買ってもらった。

その頃の父は、実家の鉄工所に働いていた。
父の兄が継いでいて、父は祖母に甘えてサボっていた(母が言っていた)。
本人は小学生の頃から家業を手伝っていた。仕事をしていた。だからお前も早く働けと小学生の頃に毎日のように私に言っていた。

実家と揉めた父は、どこからか仕事を見つけてきて、私たちは引っ越しをした。住む場所を決めていなかったし、引っ越し費用すら危うい家計だった。母の実家近くの壁がトタン貼りの家に住むことになった。近くに幼稚園はなく、私は四歳、弟は二歳。母は実家に私たちを預けて復職をした。といっても1ヶ月に一度くらいだったと思う。母の実家は、山奥の田舎町で、子供がほとんどいなかった。だから遊び相手は弟だけだったが、それで十分だった。

その後、父はその鉄工所と揉めて、海沿いの工業団地の鉄工所で働くことにしたらしい。どうやって仕事を見つけてきたのかは知らない。近くの町に家を建てることにしたと言い出した。勝手に外装などは決められていた。
家が建つまでの間、住む場所を父は決めていなかった。母は急いで、隣町の借家を見つけ、そこに住むことになった。私は橋のある町に住んでいた頃、保育園に通っていたから、ある程度のコミュ力があった。近所の子供と友達になったが、弟は家にこもっていた。

家が建った。小さくて、壁が真っ白な家だった。他の家は古いけれど大きい。だから、とても目立つ。一階は、両親の部屋とリビングがあってその上の家に私と弟の部屋があった。
といっても、私はまだ五歳だったため、私の部屋が家族4人の寝室となっていた。壁は真っ白な中にピンクや紫の柄が入っていた。カーテンはピンクで、花柄だった。弟の部屋は、アメリカンな古着屋さんみたいなレトロな柄の壁に似たような柄のグリーンのカーテンが付いていてかっこよかった。
母はその頃から、私たちを幼稚園に入れて、本格的に復職をした。母の仕事は夕方に終わる時もあれば、私たちが寝る時間の時もあった。私たちは、母の友達の家に預けられた。そこには、保育園の友達がいて、楽しかった記憶がある。

私は、破天荒な父に憧れていて、小学生2年生くらいまではパパっ子だった。父は今度こそいい工事で働けるようになったらしい。仕事場の人とバーベキューをしたことがあった。私と弟も連れて行かれた。父が社員旅行でハワイに行った時は寂しくて泣いた。猫のぬいぐるみを抱きしめて待った。
父はその頃から、工場の人に貰ったものを次々と家の中に移動した。セガサターンなどのゲーム機をもらった時は弟とプレイをした。一つ、えっちなゲームがあった。女の子のスカートをめくらせるゲームだった。弟とスカートをどちらが先にめくれるか勝負した記憶がある。
父がオルガンを貰ってきた時、母が父に反抗しているところを初めて見た。置く場所がないでしょ、と。それにオルガンを弾ける人がいない。と。私はそのオルガンに一度も触れることはなかった。両親の寝室にあったからだ。寝室の半分は大きなタンスに洋服がぎゅうぎゅうに詰められていて、オルガンを置いたら布団は一つしか敷けない状態だった。

いつのまにか、私たちは自分の部屋をゲットしていた。私の部屋には、祖父が買ってくれた勉強机があった。弟の部屋には勉強机とテレビと本棚があった。本棚の上の方はアルバムが並んでいた。私たちは手が届かなかった。弟はその頃近所の子たちと仲良くなって、友達が読まなくなった漫画を本棚に入れた。初めて貰ってきた漫画は、名探偵コナンの三巻だった。
母と会う頻度は減っていき、母の友人の家に預けられたり、父が夕食を作ったりした。ホタテのバター醤油焼きやこてっちゃんがメインだった。酒のつまみのような夕食を私と弟は食べていた。

父と弟の部屋で、2人きりになったことがあった。小学三年生くらいの時のことだ。
父は、母が結婚前に百万円の毛皮をコートを買ったため借金をしていたこと。自分が建て替えたこと。母はその頃二股をしていたこと。だから、お前は俺の子供じゃないかもしれない。結婚式の写真を見せながら話した。
とても嬉しそうだったのを覚えている。おそらく酔っ払っていたのだ。
私は、何を言っているか理解ができず、ふうんと聞いていた。私は他の同級生より鈍い子供だったから、「建て替えた」とか「二股」がよくわからなかった。でも、母が悪いことをしている人だということがわかった。
母は土日に仕事をしていたから、父とすれ違いの生活だった。

父は土日に私たちをパチンコ屋に連れて行った。私たちは車内で待っていろと言われた。私と弟は古本屋さんで買ってもらった漫画を読んで時間を潰した。私は「赤ちゃんと僕」を読んでいて、弟はコロコロコミックに連載されているような漫画を読んでいた。
一度だけ、弟がぐったりして動かなくなったことがある。真夏だった。窓は少しあいていて、私は「おとーさーん!」と叫び続けた。
すぐに、パチンコ屋の店員がきて、病院に連れて行かれた記憶がある。
その直後くらいから、父に古本屋やスーパーに連れて行って欲しいと頼むと、百円を払うように言われた。ガソリン代だそうだ。私たちはお小遣いをもらっていなかった。弟が当時ハマっていた友達に貰ったらしい遊戯王のカードを売ってお金にして、ガソリン代を渡した。

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