父性(エッセイ)ラスト

ずっと父とは縁が切れていたが、弟が亡くなった時は知らせなくてはならなかった。
父方の親族に伝えてもらうようにした。
父は、すべての連絡を無視したらしい。弟の死を、近所の人から聞いて知る形となった。
(と父が電話で言っていた)

葬儀に来るように、親戚が連絡をした。父は全てを無視した。親戚は連絡をし続けた。葬儀場の番号からもかけてもらった。
離婚をしていて、母が喪主になっているから来るのに抵抗があるのだろうと、通夜が終わってから、誰もいないからおいでと留守電を残して、親戚と母は寝ずに父を待ち続けた。

私は正常な判断はできないくらい落ち込んでいたし、キレていた。
父が葬儀に来ることを猛反対した。来る資格がない。弟に会う資格がない。と訴えた。
外面を気にして、通夜に来なかったとしたら、私は父を追い出そうと思っていた。

父は来なかった。

葬儀が終わってすぐ、携帯電話に父から大量の留守電がきていた。
葬儀場の近くのコンビニでずっと行動を監視していたことがわかった。
ここまでは、父らしいなと思った。

その後は、私が殺人犯として扱われ、将来を介護するように言われ、子供を何人堕胎したのか問われた。どれも意味がわからなかった。
元夫の家に火をつけにいくと言い(まだ結婚していると思っていたらしい)、私をなんとしてでも殺すと言った。具体的な方法についても話していた。
あと、弟の骨を渡せと言った。
父は弟の骨が当時母が住んでいたアパートにあると思ったらしい。びりびりに破いたメモを復元し、父は母が住んでいたアパートを特定していた。
しかし、部屋番号はわからず、別の部屋に宝くじを入れた。
それを知った私たちは急いで、取りに行った。
墓代にしてくれ、とのことだった。
弟の骨は自分の実家のお墓に入れる、骨を渡せ!と言っていた人がやる行動としては不自然だった。なぜ、現金ではなく宝くじなのかは今もわからない。

母は他の部屋の住人に迷惑をかけなくないから、部屋番号を馬鹿正直に打ち明けた。
父は、刃物と殺害予告の手紙や、私が子供の頃に気に入っていた猫のぬいぐるみをポストや部屋の前に置いた。

私たちは荷物をまとめて家を飛び出した。
それから父から逃げる生活を送った。ホテルに暮らしていた。暇で、私は日記をつけていた。その日記を書き写して、九年後の今、本にしようとしている。11月の東京文学フリマで販売する予定だ。

私たちは父に縁を切ると書いた内容証明を送り、父は、警察に接近禁止命令を出された。
それからは会うこともないし、連絡もこない。
しかし、父が死んだら、父が住んでいる市からなにかしらの連絡は来るだろうと思っている。その時は全てお任せして、相続を放棄する。

生活保護を父が申請した時、連絡が来た。
父は体を壊していて働ける状態ではなかった。
私が支援してやれないかという話だった気がする。内容証明と警察の話をしたら、私は父に支援しなくてよいということになった。
(おそらく入院をしている)

父が死んだら、私はそれもどこかに書くのだと思う。私なりの供養だ。何度も心の中でさようならした父との本当のさようならはいつ来るのだろうか。

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