父性(エッセイ)8

弟は無事高校に進学をした。
しかし、両親は離婚をしなかった。
父が無言の抗議を繰り返したため諦めるしかなかったのだ。

父は、家の水道を全て出しっぱなしにするという嫌がらせをはじめた。トイレの便器を割って壊したり、炊飯器を破壊したり、ちまちま破壊をするようになった。キッチンの壁はケチャップとマヨネーズまみれになっていて、はじめて家にゴキブリが出た。
私は何かあった時の証拠になるかもしれないとすべて写真を撮って残した。

弟もいろいろなことを悟ったのだろう。
活動が活発的ではない部活に入って、すぐにアルバイトを始めた。私が声をかけると、周りもみんなしていることだから、普通だよと言われた。
私は普通の高校生活を知らなかったから、弟が楽しそうにしているならそれでいいと思った。
弟は反抗期が終わって、私といろいろ話すようになった。

みな、父を避けていた。父も私たちを避けていた。私は、あれだけショックを受けていた離婚も早くしてほしいとイライラした気持ちになっていた。母は、借金を返すために仕事を増やした。

私は父にアメを使うことにした。ずっと鞭を与えていたから、父はへんてこな行動でしか自己を表現できなくなったと思った。
だから、リビングの机の上に手紙を置いた。
父の健康を気にしたり、困ったことはないか書いたり、わざと母を悪くいうようなことも書いた。私は実は父の味方ですアピールだ。

父は、すぐに返事をくれた。
手紙が自転車のかごの中に入っていた。
いつも遺書を書くのと同じ用紙で、相変わらず筆ペンを使って書いてあった。
習字のお手本のような綺麗な字だった。
すべて、母の悪口で埋まっていた。ほぼ妄想だった。ドン引きした。
いろいろ考えて、妄想はお酒のせいだと思うことにした。
それからネットで調べたセンターに相談に行くことにした。

家族の悩みの相談に乗るセンターだった。
怪しい施設ではなかった。
父の破壊したものを写真を見せて説明し、妄想だらけの手紙を見せた。
センターの人に家族みんなで協力しておとうさんのお酒をやめさせましょうね、と言われて終わった。アルコール中毒についての冊子をもらった。もっと、介入してくれると期待していた。具体的に、と聞かれたら回答に困る。
生まれて初めて家族の悩みを人に話した。もう誰にも話さないと決めた。

父との文通は、私が高校を卒業するまで続いた。父が母の悪口を書いて、私は父に全て同調した。父は、満足したのか、物を破壊しなくなっていった。水道の蛇口もきゅっとしまっていた。割れた便器は、上にシーツを重ねて誤魔化したままだったし、炊飯器は放置されていた。サトウのごはんを電子レンジで温めて食べていた。
壁は手紙でうまく言いくるめて掃除させた。父がどんどん更生していく姿に私はほっとしていた。

しかし、母の悪口(ほぼ父の妄想)が私の脳に刷り込まれてしまった。
私は母に少し反抗的になった。
母の目の前で、煙草を吸うようになったし、お酒を飲むようになった。しかし、母はなにも言わなかった。
父の構ってほしい願望が、私にも伝染した。煙草やお酒はお金がかかるので、続かなかった。父は自分の給与を全て自分で使っているからできるのだ。羨ましいし憎らしかった。

高校三年生の頃、就職先が決まった。
父がお祝いにと、少しいいレストランに連れて行ってくれると言った。(手紙に書いてあった)
父に指定された日時に私は父とちょっといいレストランでご飯を食べた。嬉しかった。
子供の頃のように、父に私はたくさんのことを話した。友達のこととか、新しい会社のこととか。父は、いい具合を相槌を打って聞いていた。
父とまともに会話をした最後の日になった。





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