父性(エッセイ)3

小学四年生の頃、父とテレビを見ていた。
十代の女の子が、「30歳になるまでに死にたい。自分が衰えていくのをみたくない」と言っていた。衝撃的な発言だった。私はよく意味がわかっていないまま分かる、と口にした。

父が、じゃあ、今死ね!すぐに死ね!と怒鳴った。父は酔っ払っていた。ヤジを飛ばすような怒鳴り方だった。
煽られて死ななくてはならないと思った。
父に勇気がないなら一緒に死にに行くか?と言った。答える前に腕を引っ張られて、車に乗せられた。

家の裏に海があるというのに、父は2時間ほど車を走らせた。私は恐怖で震えていた。息苦しかった。でも、嫌だとは言えなかった。
父が砂浜の上に車を停めた。海水浴用の海ではないようで駐車場はなかった。

父はスコップで穴を掘り始めた。お前も手伝えと言われて、私は手で穴を掘った。海に近い、濡れた砂浜の砂はどろどろしていた。なかなか進まなかった。
額から汗が流れた。
父が帰ろうと言った。私はわかった、と言った。2人とも砂まみれだった。

父が本格的に死を意識し始めたのは、父の兄が自殺をしてからだった。父は葬儀で喪主ができないことに怒って暴れていた。外面はいい父も、親戚の前では甘えん坊になる。
おばあちゃんが甘やかされて育てられたから、父は他の人は自分の言うことをなんでも聞くと思っているようだった。

おじは、車に練炭を用意していた。そうして亡くなった。遺書は、工場のデスクの中にあった。父は車に練炭を乗せてはじめた。母がすぐにやめさせた。同じことがなんども繰り返された。

父は遺書を書きはじめた。リビングの机や棚にあった。
無視をした。構ってもらえないから寂しかったのだろう。父は、壁に「遺書」と書いた紙を貼りはじめた。
私は、父が死ぬのだと思うと複雑だった。でも、昔のように父に甘えようと思わなくなった。

それでも、父が作った夕飯を食べた。ときどき私が作った。父は汚いと言って食べなかった。
父は電子レンジを使ったものは、健康に悪いから汚いと言っていた。
ベビースモーカーでお酒をたくさん飲んでいた。健康に悪いと思ったけれど、指摘はしなかった。

休みになると父が頻繁にでかけるようになった。母に頼むとお金がもらえたから、食べるものには困らなかった。
父は実家に帰っていた。おばあちゃんに会いに行っていたらしい。おばあちゃんは会うたびにお金をくれる。父は、時には私も弟をダシにして、お小遣いをゲットした。ほとんどは父のパチンコ代になった。

父は、その頃仕事に行くふりをして、近くの公園にいた。私はその父を発見したことがある。その時は、町の友達も一緒だった。ゆうちゃんのお父さんだ!と言われて私は慌てて違うよ。と言った。

父は暇があると、字を書いた。新聞の端に自分の名前を書き続けた。私の教科書やノートも気づけば父の名前でいっぱいになった。
学校で変な子扱いをされた。筆ペンで書かれているから消すことはできなかった。

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