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9月24日のマザコン68

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翌、水曜日。
今日は施設見学の予定はなく、その代わり母の病院へ面会に行く。

午後から出発しようとしていたのだが、昼前にうちに知らない番号から電話がかかってくる。出てみると、母が入院しているKM病院(精神科専門の病院)の、担当医H先生であった。

母は父と違いだいぶ病院運が良い方で、担当のH先生も私が会ったことのある精神科医の中では1,2を争う、すこぶる感じの良い女医さんである。
私の通っている(そして母も通って入院先を紹介してもらった)わかばクリニックのわかば先生と同じで、患者や家族に対してまったく偉そうにせず、裏表もなさそうなところが良い。仕事に対する真摯さを感じられる。

しかし良いお医者さんとはいえ、親が入院中の病院からは「便りがないのが良い便り」であり、直接電話なんてかかって来ようものならこちらは「な、なにがあったんだっ!! もしや母が自殺未遂を!!?」と慌てふためく。
焦ってだいぶ噛みながら「お、お世話せわせになったっております……」と応答した私に、H先生は「お忙しいところすみません。お母様が入院して1ヶ月になりますが、少し症状も落ち着いて来た感じもしますし、そろそろ退院か、あるいは施設への入所という方向で考えられればと思うのですが、いかがでしょうか?」と仰った。

………………。

ウソでしょ………。

私は絶句した。

いや、ぜんっぜん、落ち着いて来ていないと思うんですけど……。
先週も面会に行ったばかりだが、その時の母の様子は入院直後とほとんど変わらず、絶賛頭がおかしい状態だった。
入院してから環境の変化によるストレス増(なにしろ恐くてたまらない精神病棟に入れられたのだから)で、家にいておかしかった時よりもさらに混乱に拍車がかかっている。
入院当初から比べれば少々は落ち着いたのかもしれないけど、入院前やもっと以前の母の正常状態を知っている私から見れば、まだまだ十分狂っている。

そして私の現状……。
私は父をようやく再入院させて、タイムリミットに追われながら父を入所させる施設を探し回っているところなのだ。
心身を病んだ父とこのまま一緒にいたらもう自分も母の後を追って間もなく狂う、という限界でなんとか父を病院に入れられたのに、それからさほど時も経ずして同じく心を病みきった母が家に戻って来たら、もう私は死ぬ。

退院もしくは、施設への入所を検討、ということだがそれもイヤだ。
私はそれどころではないのだ!!! 
今の私は、これ以上のものを背負えない。父一人の道筋をつけるのに七転八倒しているのだ。母はちゃんと回復するまで病院にいてもらわないと、いま母がまた我が家に対して存在感を増してきたら、家族で唯一正気である私が潰れて家族も完全に潰れる……。


というより、もっと根本的に、母には元の母に戻ってもらわないと困るのだ。
私の計画というか目標、その目標があることだけが今の私を動かしているのだが、「父は病院を出て施設に入り、母は病気を治して家に帰る」。これが私の希望だ。かすかな希望の光だ。治っていない状態での退院や施設入所というのは、治ることを諦めるということではないか。それは、母がもう永久に元の母に戻らないということを決定することだ。
そんな方針を受け入れることはできない!!

であるからして、私は「つい先週も面会に行ったばかりですが、私から見たら母はまったく回復しているとは思えません。あの状態で退院なんて考えられないのですが……」と率直に言ってみた。
すると先生は、「元々のお母さんの様子と、今のお母さんの様子はだいぶ違いますか?」と。
はい、まったくの別人です。通常の母はネガティブなことはほとんど言わないし、趣味も多ければ家事全般なんでもできる前向きな人です。今の母は違う人間になっています。と私は説明した。
先生は「えっ、そうなんですね。元々こういう、すごく心配症な方だというわけではないのですね!」と驚いた様子であった。

なんだか病状の解釈にだいぶ行き違いがあったようである。
まあよく考えてみれば、先生の感覚もわかる。なにしろKM病院のH先生は母が「入院が必要なほどおかしな状態」になってから初めて母と接したわけで、その母しか先生は知らないのだ。
私は40年以上母を知っているので今の母がいかに異常事態に陥っているかをよくわかるが、今の母しか知らない人からすれば、「不安妄想が強くてマイナスなことばかり言っている、心配症の性格のおばあさん」に見えてしまうだろう。私から見たら本来の母と今の母はジキル博士とハイド氏くらいの別人格、明らかに脳の病気を発症していると確信できるが、今の母といきなり知り合ったら「ちょっと行き過ぎてはいるが病気というほどではない心配症のおばあさん」くらいに思ってしまうのも普通のことな気がする。
以前から診てもらっていたわかば先生なら母がほぼ正常な時と異常になった時の違いがわかり、だから入院が必要だと判断し紹介状も書いてくれたのだが、変化後しか知らないH先生はその違いがよくわかっていないのだ。

そういうことはわかば先生も紹介状にいくらか書いてくれたのだろうし、私も入院時にH先生に詳しく説明した気はするのだが、情報量が少なかったのだろう。私もその時は切羽詰まっていたし。

私がH先生を信頼できると思うところは、上から目線にならず、ちゃんとこちらの話を聞いてくれるところだ。
私の説明を聞いて、H先生は「なるほど、よくわかりました。それをうかがって、今後の治療方針も見えて来ました。お話しできて良かったです。お忙しいところ失礼しました」と丁寧に返してくださった。
そして、そろそろ退院を見据えるという話は、なかったことになったのである!!
母はまだまだおかしいです、退院なんて到底考えられません、という私の主張に、先生はしっかり納得してくださった。
助かった……。命拾いした。これで担当の先生にはきちんと情報が伝わったので、母にもより適切な治療が施されることだろう。私としても先生と話せて良かった。

私は先週から5日くらい母と会っていなかったわけなので、午後になって、「ひょっとしたら、先生が退院を考えるくらいだからこの5日の間で母は劇的に回復していたりして!?」とわずかな期待を込めて面会に行ってみた。
が、今日の母も、やはり息子から見たらいつもの(病気になってからのいつもの)母と変わらない病んだ母であった……。
やっぱり全然落ち着いてなんかいない。表情が深刻なまま固まっているし、なにか喋ればネガティブなことばかり、自分はみんなに嫌われていて看護師さんにもイジメられている、お金の不安、ネガティブが高じて「お金がないのに入院なんてしてられるわけないでしょう!」「あんた借金してるんでしょう!」「あんたもおかしくなってるよ!」と息子を責める。

母も父も「家族には本性(異常な姿)を見せるが外では案外しっかりしてしまう」という、要介護者の高齢者にありがちな家族受難最悪行動パターンを示しがちなため、先生の前では大人しくしてしまい、それで病状がうまく把握されていないというのもあるかもしれない。
でも私の前では、圧倒的に精神を激しく病んだ人である。
こんな母が家に帰って来て私が毎日四六時中一人で相手をすると、想像するだけで失神しそうなくらい恐ろしい。それは完全に一家心中コースである。
しかしものすごーく気の弱い人だったら、先生に「そろそろ退院を……」と言われてそのまま受け入れてしまう家族もいるのかもしれない。そして全滅してしまった家族もいることだろう。
お医者さんの判断というのは決して絶対ではなく、家族の意思をしっかり伝えることは大事なのだなあとあらためて噛み締めた。医者の判断を盲信して人生が終わっている父のような犠牲者を、もううちの家族からは二度と出さないのだ。

この日の日記では、私は母について「入院してから悪くなってそのまま。痩せて老人みたいになってしまっている。悲しい。」と書いていた。
うつ病は食欲が無になる(うちの経験上では)病気なので、とにかく痩せる。私も、多分うつ病の発症はしていないがメンタルが追い込まれたこの1ヶ月で5キロ痩せた。
母はもう70代に入りはしたが、それまで私から見て「老人」というイメージはなく、ここ数年も私の中での母は「歳は取ったが元気な母親」であった。
それが、今の母は会うごとに痩せて行って、しわしわのおばあさんになってしまっている。人間はある程度の年齢になると痩せると老けるのだ。
でも、食べられないのはよくわかる。母は自分がうつ病な上に、食事の時に周りにいるのも精神を病んだ人ばかりなのだ。私も面会の時にちらほら見かけるが、同じ病棟の患者さんには言動だけでなく外見もとてもおかしくなってしまっている人もいた。そういう人たちと一緒の食堂で、ごはんなんて美味しく食べられるわけがない。健康な人でも精神病棟(しかも閉鎖病棟)の食堂では食欲をなくすのではないか。
ともあれ、自分の親が短期間で急激におばあさんになってしまった姿を見るのは本当に悲しい。せめて心が元気であってくれればいいんだけどなあ。

面会が終わる時には、母は「もう来なくていいからね」と何回も言っていたが、断る!! 来る!!

帰りにまた家具屋さんに寄って家具を物色する。東京インテリアだ。
病院への往復2時間くらい、その車内で知人がやっているPodcastの放送を聴いたり、途中で寄り道して自分のための買い物をする時間が今の私にとっては数少ない休息の時である。

さて、翌日、木曜日。
本日は、父の方のS病院へ行く。
しかし今日の目的は面会ではなく、医療相談である。

父が入院した日に、荷物を抱えてヘロヘロになっている私に怒濤のように「早く施設を見つけて退院しましょう!」とせっついて来た、医療相談室のK澤さんという方。パート58の時の話。
その時に私は「申し訳ないんですが、今はくたくたで頭が働かないので、後日にしていただいてもいいですか?」と言ってお引き取りいただいたので、今日という後日にあらためて話をしにやって来たのだ。
あの時にはなんだか「感じ悪い人だなあ」と思ってしまったが、あの時は私がストレス過剰状態であった。父との暮らしで疲弊が限界だったので心に余裕がなさすぎた。反省する。

なにしろ病院の医療相談員さんと言えば、介護の問題や介護・医療関係のサービス、そしてなんといっても「退院後に入所する施設」について精通している方である。その道の専門家だ。施設探しについてアドバイスをしてくれるのはもちろん、めぼしい施設をピックアップしてくれたり、場合によっては入る施設を見つけてくれることすらあるという。
「年老いて病院に入っている親をもうすぐ退院させなければいけない。でもうちで一緒に暮らせるわけがない。介護なんて無理。ああどうしたらいいんだ、どうしようどうしようどうしよう……ああどうしよう………」となった時に、入所する施設を探してくれる相談員の人って、神様みたいな存在ではないか? ことによってはお医者さんよりも患者を、なにより患者の家族を助けてくれるヒーロー&ヒロイン、それが医療相談員のみなさんなのだ。

私もそんな神様に頼りたい。
私一人で、しかもこの制限まみれのコロナ禍に老人ホームの見学を何件も何件も続け、父の退院と入所まで私だけでこぎ着けられる気がしない。どういう基準で施設を選べばいいかもわからない。入所するにはどんな手続きを踏めばいいかもわからない。父とどう話せばいいかもわからない。

こんな悩める子羊を、父の担当相談員である医療相談室K澤さんなら救ってくれるに違いない。

そんな多大な期待を込めて私はS病院へ向かったのだが、そう言えばそれまでの人生での行いのせいか、父はとても病院運が悪かったのだということを私はこの後思い知ることになるのであった。


なお、無料記事はここまでで、次回からはいつもの有料(110円)に戻る。ごめんなさい。我が家にはどうしてもお金が必要で……。
1回につきお茶1本の値段なので、私と我が家の命運を気にしてくれる方は、この先もぜひ購入して読んでいただけたら嬉しい。感謝感謝。


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