見出し画像

9月24日のマザコン19

ひとつ前の記事を読む  記事一覧


金曜日の朝。
8時過ぎに起きて、昨夜買っておいたロキソニンを飲む。
自分では特に発熱している感覚はないが、もし昨日くらい熱があったとしても、解熱剤なのでこれで下がるであろう。
母はもう入院については観念しているようで、出発にあたってイヤだとか行かないとか抵抗を受けることはなかった。
9時ごろ、母を乗せてKM病院へ向け出発。
カーナビを頼りに南へ向かい、3年間通っていた県立高校の前を通過し、東海道線の線路を越え、40分ほどで病院に到着。
……高校の前を通るルートは、もう次からはやめよう。もうあそこは通らない。校舎を見ると、あの頃は家族みんな元気だったなぁとか、ムクは天国で元気に走り回ってるかなぁとか、考えてもなんの解決にもならないことを考えてしまうから。
KM病院の受付で、わかば先生が作ってくれた紹介状を提出する。
体温チェックをすると、無事36度台の数値が出た。さすがロキソニン……。

受付前の広い待合スペースで、母と並んで座って受診の順番を待つ。
今、私の両肩には、1トンずつの重りが乗っている。片方が父、片方が母だ。
昨日入院を念頭に紹介状を書いてくれたことで、わかば先生がその片側の、8割を取り除いてくれた。あとの1割は、この後正式に入院の許可をもらえたらまた軽くなるだろう。最後の1割は、母が完治するまでは消えることはないが……。
ただし、もし、今日ここで入院を断られてしまったら、いったん外された8割の重りが一気に帰って来て、私は潰されるであろう。1トンの8割が突然空から降ってきたら、私の頭蓋骨は粉々になり頸椎は砕かれ、眼球は潰れて折れた鎖骨や肋骨があらゆる臓器に突き刺さり体中の骨が皮膚を突き破って体の外に飛び出て、私は血まみれの骨肉塊(こつにくかい)となってKM病院の待合室に散乱することだろう。そしたら、後は市や区の福祉関係のみなさん、母をよろしくお願いします。

うつ病でおかしくなってしまった母を連れて、紹介状を持ってKM病院に来て、待合室で診察を待つ。
………7年前と、まったく同じシチュエーションだ。違うのは父がいないことくらいである。
なんでこうなってしまったのだろう……。7年前そうなって、うちの誰もが「こんな辛いことは死んでも、もう二度と味わいたくない」と思ったはずなのに。それなのに我々は同じことを、繰り返している。防ぐ道はどこかにあったはずなのに。愚かな家族だ。

7年前の場面でよく覚えているのが、症状が極まった母と、その直前に診察室で倒れた父を連れてこのKM病院に来て、私が息も絶え絶えに「すみません母の入院ということで紹介状を書いてもらって来たんですが、入院は、させてもらえるんですよね!?」と受付で尋ねたことだ。
それは、冷静に考えれば受付で聞くようなことではない。診察を待ってから先生に尋ねるべきことだ。ただあの時はそれまで総合病院で何度も入院を断られて………「次の診察こそ入院させてもらえるようにお願いしよう。次はきっと大丈夫だ。だから、あと1週間だけなんとかがんばろう」と、心身の限界状態で必死に1週間を堪え、ようやく次の受診日になり先生に入院を懇願すると「まだ入院するほどではないですよ(笑)」と言われ、放心状態になりながら母を連れて帰ってまた1週間極限の日々を耐える……、という状態だった。
だからやっと紹介状を書いてもらえても、「本当に入院ができるのだろうか」という疑いと恐怖でそれを確認せずにいられなかったのだ。
受付の人は普通の事務員さんなのでそんなことに答える権限があるわけがなく、「それはこの後診察して先生が判断しますので……」と言われて、私はその後入院が決まるまで不安に打ち震えていた。今日決まらなかったらもうダメだ……今日決まらなかったらもう終わりだ……、そんな切羽詰まった心境で何時間も待ち続けていたことをよく覚えている。

同じ不安は今日もあるのだが、ただ2回目で多少は流れがわかっているのと、わかば先生への信頼感もあるので、今は7年前ほどの焦りはない気がする。
最初は、先生ではなく、臨床心理士の方に呼ばれて、症状やこれまでの経緯を話すことになった。
精神科の初診はだいたいこのパターンだ。
精神科の病気や症状というのは、話すと必ず長くなる。「転んで骨が折れました」とか「3日前から下痢が止まりません」みたいにひと言で済むようなものではない。家族構成から通っていた学校まで聞かれるし、下手したら何年も遡っていきさつを説明しなければいけないのだ。……いや下手をしたらではなく、良い病院こそ、そこまで細かい背景をヒアリングしてくれるのであるが。
だから、最初は話を聞く専門の人(それが臨床心理士さんという方なのだろう)が対応して、その人が、話を整理して先生に伝えてくれるのである。
私はもう母の症状とこれまでのいきさつを話すことに関しては、ベテランとなっている。これまであちこちで話したように、ここでも7年前から順を追って今日まで至る事態について説明をした。
臨床心理士の方は若い男性であったが、真摯に話を聞いてくれた印象だった。

この病院はとても良い病院だと感じているが、ひとつ不満なところは、待ち時間が長いことだ。
臨床心理士の方から「ではまた番号を呼ばれるまで待合室でお待ちください」と指示されて、それからまた1時間以上待機させられる。

その間は、母と話しながら待つ。
母はもう入院することは覚悟してくれているようだが、「私が入院することは誰にも知らせないで」と言う。
しかし私は、「そういうわけにはいかないでしょ」と返す。
母が入院となったら、1番困るだろうと思われるのが、着る物のことだ。昨晩ある程度母は自分で荷物をまとめていたが、今後あれがないこれが足りないとなった時に、私は女性の、特に高齢の女性が着る服や下着については、なにひとつわからない。そうなったら、母と仲が良いご近所の方たちに助けを求めるしかないのだ。私は今回のトラブルに関しては、厚かましく容赦なく、いろんな人に助けを請うと決めている。
しかし母は仲良しのご近所さんの名前を順番に出して、「みんなそれぞれ自分の家庭があって大変なんだから、なにも頼んじゃダメだよ!」と言う。
……あいかわらず、他人への配慮はちゃんとする人だなあ。「自分が1番」の父とは真逆だ。そのあたりは私が40年知っている、優しい心を持つ母の態度だ。周りの人のことを思いやることができる人で……困っている人や動物がいたら、つい助けてしまう性格。
ただ、病気以前はその思いやりを私にもいつも見せてくれていたのが、今はなぜか家族は蚊帳の外に追いやられている。家族は例外というか、むしろ率先して私のことをとことん困らせてくる。
近所の方たちに頼らないということは、私が1人で全部やるということではないか。母の衣服が必要な時には私がどこかのデパートやらショッピングモールやらの婦人服売り場に行って、「入院中の母の服を揃えたいんですけど……」と店員さんに尋ねながら、慣れない買い物をしなければいけないじゃないか。私が一人で。ボケた父の面倒を見ながら……。
私が大変な思いをするということは、なんで考えてくれないのか。

……というようなことを、ああでもないこうでもないと母と言い争っていると、受付の方がこちらに来た。
受付の方いわく、先生の診察は午後になってしまうので、お昼を食べて13時にまた戻って来てくださいということだった。
………………。
待たされるなあ……
そういえばこれも、7年前もまったく同じ流れだった。診察は午後になるので昼食でも食べて待っていてくださいと、言われて院内の売店でビスケットやらなにやらを買って、3人で分けて食べながら待っていたものだ。

うーん。今から外に食べに行く気にはならないな……。
そもそも私はいつも通り日中の食欲は無なのだ。私は別になにも食べなくていい。とはいえ、母にはなにか食べて欲しいし、母も私にはなにか食べて欲しいと思っているだろうから、今回も院内の売店に行くことにした。
私がきょろきょろしていると、母が「売店はこっちだよ」と道を教えてくれた。そうだ、母は1年もここに入院していたので、この病院の造りには精通しているのだ。なにしろ元住人なのだから。
2人で病院の廊下を売店へ向かって歩くのだが、そこの角を曲がると売店、というあたりで、母は急に立ち止まった。
なんだろうと思っていると、母は見るからに怯えた様子になり、「怖い、怖い……」と呟いている。
どうやら、入院していた時のことを思い出したらしい。
受付や待合室のあたりは外来用なのでそうでもなかったが、この先、病院の奥のエリアはまさに母が過去に長く閉じ込められていた空間である。母が「二度とあんな思いはしたくない」と常々言っていた7年前の入院、その記憶が蘇って、売店に近付くだけで怖くてたまらないようだ。

こういう姿を見ると、非常に辛くなる。そんな怖いところからはさっさと出て、車に乗せて、家に帰してあげたい。これが全部夢で、目が覚めたら両親とも元気に家で暮らしていたらいいのになあ……
少し経つと、母は諦めたように「怖いけど、入院するんだから、行かなきゃダメだよね」と言って、再び私と一緒に歩き出した。
売店に入り、小さな菓子パンと、パックの飲み物を1個ずつ買う。
待合室で食べ物を口にするのもなんだかはばかられたので、一度駐車場に出て、狭い車の中でパンを食べた。なんの味も感じなかった。私の人生で、1番悲しい昼食だった。

12時半まで軽自動車の中で待機して、待合室に戻った。
さらにまた1時間近く待った気がする。ようやく院内放送で母の番号が呼ばれて、我々は診察室へ入った。


次の記事 9月24日のマザコン20

もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。東京浜松2重生活の交通費、食費に充てさせていただきます。