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9月24日のマザコン5

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急遽受診予約を入れてもらったこともあって、わかばさんはだいぶ混んでいた。
しばらく待合室で待機するのだが、母の症状には「歩き回らずにいられない」というものがある。構造はよくわからないが、本人曰く「足がむずむずしてじっとしていられない」ということだ。
最初の10分くらいは待合室の椅子に大人しく座っていたが、やがてその場で立ったり座ったりし始め、一応周りには配慮して私だけに聞こえるように小声で「もう帰りたい……!」と囁いてくる。
そう言われても無理なので、私はなだめたりすかしたりちょっと強めに言ったりして、45分ほどの待ち時間を粘った。
幸い、母は私の言うことにはゴネながらも最終的には従ってくれる。私がマザコンであるということは、母は母で一人息子を大事に思ってくれているということで、なので私が強めに「病院に行くからね!」「大人しく座って待ってて!」と言えば、おそらく半分は残っている母の理性が働いてしぶしぶ従ってくれる。そこはこれまで積み上げて来た関係性があって良かったと思う。
一方父とはそれがあまり無いことがこの後私と父を追い込んでいくのだが……それはまた後で書く。

受診の順番が来て、母と一緒に診察室に入る。
わかばクリニックというのは仮名なので、先生も同じく仮名で「わかば先生」と呼ばせていただくことにする。
私は先生と会うのは前回の自分の受診以来、2ヶ月ぶりくらい。母はここに来るのは2週間ぶりくらい。私が8月に受診を勧めて、それから2回ほど通ったそうだ。

わかば先生は、たまにいる権力にあぐらをかいて社会常識を忘れてしまった横柄な壮年の男性医師……、というイヤなタイプの医者とは、まったく対象的な雰囲気の方である。
男性で、年齢は私と同じかちょっとだけ上くらいに感じる。アラフォーからアラフィフではないか。個人のクリニックなのでここで1番偉い立場にいるにも関わらず、おっとりとしていて偉ぶる感じが皆無な……さらに薬をぽんぽん出すだけでなく気の持ち方や生活上の注意点なども話をしてくれる、とても信頼できる先生だ(ただし精神科の先生は相性の問題も大きいと思うので、全員にとって良い先生かはわからないけど)。
私は7年前の第一次家族崩壊でうつ病になって以来、帰省するたびにいつもここに通っている。最初に私が受診したきっかけが「両親が精神を病んだことの影響によるうつ病発症」だったため、先生は我が家の状態もそれなりに把握してくれている。

診察室に入るなり私は、昨日の午後に母から緊急の連絡が来て慌てて帰って来たことと、1週間前に父が退院して来たこと、それによって母がストレスで別人のようになってしまった……7年前とまったく同じ症状を発現してしまったということを、先生に話した。

すると、話を聞いてすぐ、先生は「そうですか。そういう状態でしたら、入院して休養することを検討してもいいかもしれませんね」と仰った。

………………。
この先生の言葉。これは私にとって、ものすごく大きな言葉であった。
「入院」というキーワードが含まれているのだ!

今日のところは、まだ母は投薬治療も始めていないので、とりあえず抗うつ薬を開始して様子を見ましょうという方向なのだが、しかしともあれ受診してすぐ先生が「入院」という単語を出してくれたことで、私は相当気持ちが救われた。わかば先生は、今の時点ですでに入院の選択肢を考えてくれているのだ。

多分、母は雰囲気も表情もここ1週間でがらっと変わってしまっているので、専門家である先生は前回受診時との状態の違いを早々とわかってくれたのだろう。
それが医者というものである。さすが日本の医療はすごい。日本のお医者さんは、レベルが高い……。とは、残念だが簡単には言いきれない。
これは個々の先生のスキルと、仕事への向き合い方の問題であると思う。
なぜなら、7年前はそうではなかったのだ。

思い出すのもうんざりなのだが、7年前は、母の入院が絶望的に遅くなった。
前述したように、7年前、複合的なストレスが一斉に襲いかかってきたことで、家族の中で母が最初におかしくなった。
始めはそれを父が一人で対処していたのだが、症状の悪化の連絡を受けて私も頻繁に帰省するようになり、やがて東京に戻るどころではなくなって私は実家で両親と一緒に過ごすようになった。
ただ私が一緒にいることになったものの、そこからもしばらく、母をなかなか精神科に受診させられなかったのだ。
これはひとつには私の無知によるものだ。我々家族にとって「精神科にかかる」ということが今までの人生で馴染みがなさすぎて、始めの頃はその手段が選択肢に出て来なかったのだ。
母に抑うつ傾向(よくうつ傾向=ひどい落ち込みなど、うつ病の始まりの症状)が出始めてからも、我々が行った対処は「母が別の件でかかっている内科で抗不安薬を一緒に出してもらう」というくらいであった。今は厳しくなっているそうなのだが、当時はまだ内科でもワイパックスやらデパスやらという精神(脳)に作用する薬をわりと簡単に処方してもらえたのだ。
愚かにも「なんか精神科っていうのは大げさで抵抗あるよな……」というイメージを我々素人は持っていて、そのせいで精神科の受診を敬遠していたのである。

その後、完全なる「ありがちなダメなパターン」で、うちもいよいよ母がおかしい、どんどん悪化しているぞ……という切羽詰まり感が充満してきたところで、やっと「精神科で診てもらおう」と考え始めた。
それから重い腰を上げて私がネットで評判の良い精神科を探し、電話で予約をしようとしたところ、初診はなんと、2ヶ月待ち……。
精神科、特に評判の良い精神科は、初診までそんなにも待たなければいけないということを我々はこの時に初めて知った。日本社会では、病んでしまうほどの多くのストレスに襲われている人がたくさんいるということなのだろう。
補足すると、精神科の初診ではそれまでの生活環境や家族構成や詳しい症状など、たくさんのことを聞き取りするために診察(ヒアリング)が1時間2時間とかかる。なのでだいたいのクリニックでは「初診を受けるのは1日1人か2人(午前枠1人、午後枠1人など)」と決まっているのだ。

我々のように「切羽詰まってからやっと精神科を予約しようとするが、初診を待っている間に破滅を迎える」というパターンに陥る家庭は結構多いのではないかという気がする。
私はたまに友人や知り合いの「精神が不調だ」「ストレスで寝れない」「家族が病んできた」というような話、あるいは書き込みなどを見かけると「とにかく一刻も早く精神科の病院を予約した方がいい」とアドバイスするのだが、それは、「まだこれくらいなら大丈夫だろう、精神科なんて大げさな、それはもっとひどくなってからでいいよ」という油断が、人生破壊、一家全滅、滅亡の道に繋がるということを痛いほどよくわかっているからだ。

7年前それから父と私はどうしたかというと、評判のいいクリニックに予約は入れたけどやはり「もうこれ以上持たない」となったので、他にすぐ診てもらえそうな病院を探した。
意外なことに個人病院ではなく、とある浜松の大きな総合病院の精神科はすぐ予約が取れたので、そこを受診した。
で……、そこの先生も決して悪い先生ではなかったとは思うのだが、しかしそのお医者さんは、家族の辛さというものをほとんど考えてくれなかった。
高齢者のうつ病は、時としてうちの母のように認知症のような症状を現す。認知症と違うところは、それがすごいスピードで進行していくということだ(その代わり認知症と違って「治せる」という救いがあるのだが)。
認知症が進んだ家族と一緒に暮らすのは不可能だという認識は、わりと浸透していると思う。一緒にいる人間の精神がやられるからだ。だから介護殺人や一家心中がちょくちょく起こるのである。
その局面での家族の精神の追い込まれ方というのは、なかなか経験のない人に伝えるのが難しい。経験がなくても想像で補えるレベルの苦しさを遙かに超えているからだ。
私もかつてはそちら側だったが……、とにかくそれは元気に生きている人にはまったく未知の領域の辛さであり、だから未経験で元気でなおかつ思慮が浅げな人は介護殺人などに対して「もっと他に方法はなかったのかね?」とか「ちゃんと相談できるところに助けを求めればよかったのに」とか短絡的な意見を述べたりするのだが、実際のところ他に方法なんてなかったのである。介護殺人や一家心中まで行かざるを得なかった家庭は、解決方法がすべて遮断されひと筋の光も見えなくなったために絶望して殺したり死んだりするのである。死ぬ以外の解決法があるんなら誰だってそっちを選ぶんだよ。

ともかく、精神の健康を損ねた人と暮らしていると、家族もまた精神をやられていく。
その総合病院の精神科では週1回受診し、薬は飲むようにはなったのだが母の症状は改善せず、だんだん父も私も弱っていった。
父は深いため息を繰り返しつくようになり、疲労で横になることが多くなった。私も弱って食欲が消え失せ、しかし食べないと親の心配を増すので苦しみながら親の前でごはんを食べ、食事以外の時間は自分の部屋で昼間からずっと布団に入るようになってしまった。そして部屋の外で誰かが動く音、ドアの開け閉めの音などが聞こえるとビクッ!と恐怖を感じるようになった。
母だけがそんな中、妄想の不安を呟きながら体は元気にウロウロ歩き回るという……

もう母を入院させないと家族が死ぬ、という危機感で何度目かの受診時に「一緒にいてすごくきついので、入院させてもらえないでしょうか」と先生に頼んでみたものの、「いやいやまだ入院するほどではないよ」と軽く却下されて、地獄に落とされるような気分だった。
もしあそこで、最初に頼んだ時点で入院が許可されていたなら、もしかしたら父も私も発症することはなく、今の家族の状況と私の人生も違ったものになっていたかもしれない。
その後、何度目かの受診の時に、父が倒れた。3人でフラフラと診察室に入って行って、私が今の状態を説明しようとひと言発したあたりで父は「やばい、倒れそう」と言って、かろうじてドアを開け待合室まで出たものの長椅子の上に倒れた。
そこまで来て、やっと先生は「ああ、入院させた方がいいかもしれないなあ」と言い、それでようやく紹介状を書いてもらい(その病院には入院できる病棟はなかった)、別の精神科専門の病院に入院することになったのだ。
書いているだけで、動悸がしてくる……。

入院できても母から毎日「帰りたい、出して」と電話で泣きつかれるなど苦しい状況は続いたが、それでも、母が専門の機関に滞在しながら治療をしてもらえる、我々がひと休みできる(我々自身の治療を始められる)、という安堵感は大変なものだった。
とにかく、入院が鍵を握るのだ。入院させられるかどうかは、本人よりむしろ家族が正気を保てるかどうか、日常を保てるかどうか、生きるか死ぬか、それくらいを左右する大問題なのである。

ようやく現在の話に戻るが、それから7年経って2度目の家族崩壊を迎えた今回、症状が出てから最初の受診で「入院」という言葉を出してくれたわかば先生……、私はこのクリニックにかかっていて良かったと思った。

しかしまず今日のところは、投薬の開始だ。
まだ母が悪くなって、ほんの数日である。治療の開始が早ければ……今日から薬を飲み始めれば、まだ家にいても回復が可能かもしれない。
母自身が入院をとても嫌がっているので、できることなら入院させずにいてあげたい。母は7年前の1年におよぶ入院を振り返って、よく「あんな辛い経験はもう二度としたくない……」と言っていた。
ただ、在宅で治療を進めることになっても、「いざとなったら入院という選択肢がある」と考えてよい状態になっただけで、私はいくらかホッとした。


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