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人を「好き」になれないきみたちへ

以前、若者の恋愛離れについて書いたnoteは「自分のことを書かれてるかと思った」とけっこう反響があった。

全国の20~40代の未婚男女2400人を対象にブライダル総研が行なった「恋愛・結婚調査2019」の調査結果によると、恋人がいない人は約7割、一度も交際経験が無い20代男性は4割もいたらしい。

先述のnoteでは、恋愛しない若者たちはざっくり言うと「関係性を築くのがめんどくさい/苦手なので彼女はいらない男たち」と「彼氏はほしいけど恋愛がこわい女たち」に二分される、と書いた。

関係性を築くのがめんどくさい男たちは手軽な出会いやその場限りのぬくもりを求めてマッチングアプリ上をさまよう。(男だけに限らないけど)

女たちは、自分に自信がなかったり、仕事が忙しすぎたり、男が「彼女を求めていない」せいで恋愛に踏み出せなかったりする。

だがしかし、最近また違った考えが出てきたのでまとめてみた。

人を好きになる、ってどういう感情?

交際うんぬんの前に、そもそも「人を好きになる」という経験をしたことがない、もしくは何年もしていないという人が多いのではないか、ということだ。

私の周りには「好き」っていう感情がどういうものかわからない、歳をとればとるほど打算的になって単純に恋ができなくなる、とつぶやく人たちが何人もいる。

かくいう私も、マッチングアプリからの出会いで何人かとお付き合いしたが、待てど暮らせど「この人のことが好きだなあ」という感情がわいてこなくて困ったことが多い。

マッチングアプリという土俵がそうさせるのかもしれないが、職業や肩書きや年収をきっぱりと切り離してその人の人間性を見ることは至難の技だ。

私も本当に申し訳ないことをしたと思っているけど、その人自身ではなく経験や職業に魅力を感じて付き合っては人間性を好きになれなくて数ヶ月で別れる、ということを繰り返してきた。

それに、まだ自分のことをよく知りもしないくせに付き合った途端に「好きだよ」と平気な顔して言える相手のこともわけがわからないなあ、と思いながら接していた。(ひどいやつだ)

そのうち、「もう自分は人を一生好きになれないのではないか」と真剣に悩むようにもなった。

そして過去の経験を振り返って、あくまで私の場合であるが、「好き」の発動条件について自分なりに分析してみた。私が人を好きになったときは、下記の①〜③の条件が3つ揃っているときだった。

①相手の言動が心の琴線にふれるものがある
②遺伝子レベルで受け入れられる
③女と男として、ではなく人と人として接することができる

順番に解説していきたい。

相手の言動が心の琴線にふれるものがある

関係ないけど、私は「心の琴線」という日本語が大好きだ。要は感動したり感銘を受ける、ってことなんだけど、娯楽があふれたこの現代社会で、刺激に慣れてしまった私たちの心の琴線にふれることはそう簡単ではない。

相手が自分のためにとってくれた行動やかけてくれた言葉、生きる姿勢なんかが「ピキーン」と琴線にふれたとき、私はその人のことを好きかもしれない、と思い始める。

遺伝子レベルで受け入れられる

人間に限らず生きとし生けるものは全て、種の存続のためにより生存率が高い遺伝子を残す、という使命感が知らず知らずのうちに埋め込まれている。

だから「生理的に無理」と感じる匂いであったり見た目であったりはもしかしたらあなたの遺伝子レベルでの拒否なのかもしれない。

体臭ひとつ取っても、「まあ受け入れられる体臭」と「うわー嫌だなーと感じる体臭」と「めっちゃいい匂い!」と千差万別だろう。

過去をふりかえると、体臭に目をつぶって付き合っても長続きはしなかった。

むしろ着ていたシャツを置いていってくれないか、と思うぐらいの方が遺伝子レベルで相性がいいと思う。

女と男として、ではなく人と人として接することができる

芥川龍之介も「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。 少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。」って言ってたように、恋愛感情は大なり小なり性欲から由来するものだと思う。

相手に対して性的に魅力を感じているのか、人間的に魅力を感じているのか、その割合は何対何なのか、恋愛の渦中において冷静に分析するのは極めて難しい。

そんな中で、相手が自分のことを女としてではなく人としてみとめてくれる、自分も相手のことを人としてリスペクトできる相手に出会えた時「好き」という感情がより確固としたものになる。

そして、人と人としての信頼関係を築くには、自分自身が自分のことを人としてリスペクトできる必要があるのではと思う。自分で自分がきらい!と思っているときに人から好きと言われても、「こんな私のどこが?」と信じられないから。

人を好きになるのは奇跡みたいなもの

「好き」の発動条件を分析してみて、こいつらが3つ揃うのは簡単なことじゃない、ということが改めてわかった。

だから人を好きになれなくても焦る必要はないし「おいら、もう誰のことも好きになれないんだ…」と悲しい怪物のような気持ちにならなくてもいい。

ましてや、その好きな相手が自分のことも同じように好きになってくれるなんてのは宝くじに当たるよりも奇跡みたいなものだから、両思いになれなくても自身喪失する必要はない。

「とりあえず付き合ってみる」派だった私だけど、これからは「好き」と思える気持ちを大事にしていきたい。結果付き合えなくても、それはそれで一生忘れらない思い出になる。人間てのは叶わなかった恋ほど忘れられない生き物だから。

明日はバレンタイン。
世の中の全ての本命チョコも義理チョコも友チョコも、無事届きますようにという祈りをこめて。


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