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GDPとは存外いい加減なものだ。計算のやり方で数値は2倍ぐらい変わる。

GDPとは「国内で生産された付加価値のうち、現金の移動があったもの」の合計だ。

まず、「付加価値とはなんぞや?どうやって測定するのか?」という問題がある。

一例として、公立高校を挙げよう。学校は生徒に教育をする。サービス業だ。そして生徒は能力を増した。ここに付加価値が発生している。

では、それらは金額にしていくらなのか?

こんなものは評価しようがない。だから統計ではこれを無視している。つまり付加価値はゼロと見なしている。

でも、無理やりやろうとすれば、その生徒の「能力」がいくら分の増額したかは、言おうと思えば言える。

例えば、高校を卒業した人と、していない人の生涯賃金を比較すれば、何かは言える。そんなものは、ほとんど当てずっぽうに過ぎないが。

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次に、

現金の移動があったものだけを評価すれば良いのか?

という問題がある。

これは例えば、超福祉国家を想定すると、おかしな事になるとわかる。

教育、医療、育児、住宅、出産、葬式、交通、通信などの、全て国が無償で提供したとする。

その国の社会は豊かだろうが、GDPはかなり低いはずだ。現実にはサウジアラビアがそうだ。

これは、GPDの計算方法がおかしいと言うよりは、GDPが「社会の豊かさ」を考える上では役に立たないことを示している。

そして、我々は豊かに暮らしたいのであって、GDPを高くしたいわけではない。

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もう一つの大問題。育児と家事をどう評価するか。

育児と家事は明らかに付加価値を生んでいる。しかし現金の移動がないのでGDPには含まれない。

しかし、例えばある日、次のようにみなが考えたらどうなるだろうか。

世帯というのは、多くの場合に男が主たる現金収入を得て、女性が育児、家事を賄っている。ちなみに「世帯」というのは、家計を同一にする人の集まりを指す言葉だ。

これを男の世帯と、女の世帯にあえて分ける。そして、女性の家事、育児の「労力」の対価として、男性は女性に現金を渡す

法的には何の問題も無い。やろうと思えばすぐできる。結婚生活で実行することは、以前と何も変わりが無い。

夫婦で使える「総額」も変わりは無い。

しかし、これをやるとGDPが1.3~1.6倍ぐらいに増えるのだ(英国当局の推定値)。

「労働」の実体は何も変わらないのに、日本のGDPは500兆円からいきなり800兆円に増える。

マジックだ!

裏を返すと、GDPが増えた減ったと一喜一憂しても意味などないのだ。

例えば、日本のGDPは世界3位とされている。でも、これは何かにつけて現金が移動するからだ。

スウェーデンやデンマークは、多くの「サービス」を政府が無償で提供する。それが故に、彼らは豊かなのにGDPは低い。

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実はさらに重大なことがある。出産だ。

これは、どう考えても、非常に大きい付加価値を生み出す行為だ。

しかし評価されない。

「それでいいのか?」と言う議論は、各国で延々と続いているようだ。

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もう一つ、重要だがGDPにカウントされない「サービス」がある。

国家安全保障だ。

米国は安全保障条約に則り、日本に「核の傘」を提供している。これは非常に重要な「サービス」だ。

仮にこれがなかったら、日本の防衛予算は2倍になるだろう。言い換えると、「核の傘」は年間5兆円の価値がある。日本のGDPの1%だ。しかし、金を払っていないので、これは米国のGDPにカウントされない。

しかし、これは実は「無償」ではない。バーター取引なのだ。

日本は、米軍に土地を提供している。在日米軍基地だ。また、日本列島は中国共産党の太平洋進出を防いでいる。もっと具体的に言うと、海上自衛隊が防いでいる。

これは米国からしたら、やはり毎年5兆円ぐらいの価値はあるはずだ。この金額は、空母打撃軍3個分の運用費に相当するが、仮に日本が中国共産党の支配下に落ちたら、その海軍力では中国の進出を妨げることはできまい。

実は格安なのだ。

話を戻すと、この5兆円の「サービス」は日本のGDPにカウントされていない。

GDPで「付加価値の生産量」を評価するのは、ほとんど不可能に近いのだ。



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