見出し画像

〈演劇〉が照らしてくれた

しばらく、すごく辛かった。
例えだけれども、洗濯機のなかに 頭からとびこむような気持ちで 義母との同居を受け入れた。

夫さんが勤め人じゃなくなる(家で、義父母の支援と家事をメインにする)ので、使ったことのない資格をたのみに、経験ゼロの異業種に「えいっ!」と とびこんだ。やっと馴染んだかも。。と職員になった1年目に義父がなくなり、プライベートで 大きな変化があるなんて。
ちょうど、〈私ったら ぜんぜん使いものにならないよ!〉って 職場であわてているタイミングだったから「今は無理だ~」って言いたかった。でも、これまでがんばってきた夫さんに 心からお願いされたら協力したくなって。

それで、状況に「合わせる」こと・すべてを「新しい」と とらえて「まるごと覚える」ことに、ほとんどすべてのエネルギーを使ってきたのです。すっごく大変だった。でも、やって よかったと思う。


私は、子育ても 働きながらだったから、忙しかったけれど  これまで 孤立を感じるような辛さはなかった(子ども自身は きつめのアレルギーをもっていて、それなりに大変だったかもしれない。本人は "ずーっとこうだから、気にしたことはない…" なんて言うけれど)。母(←実母のほう)にも 夫さんからもいやがられながら、我をとおして細々と 好きな演劇もつづけていた。

とおしきった我なんだから、たたむこともできるって 思えた。


30代なかばに病気をして入院したとき、自分のなかで大きく舵をきりかえようと、はっきり 目標を決めた。
1)小さくていい。戯曲賞をひとつ、とる。

佳作だったけれど、とれた。
これで、演劇やめたって〈いつか再開できる〉と安心できた。
そんなとき、憧れだった作家さん(詩人)と同席する機会があって。
「演劇やってるの? 私の友だちも劇団にいたよ。私、朗読するから呼んでよ。こんど大阪の女性センターでも朗読して、すこし話もするよ」
聴きにいった。
積年の謎がいっぱい解けて、ボロボロと涙がでた(そのことは、いつか また書きますね)。

2)そうだ、地元の演劇仲間とつづけている おもしろい朗読公演に 出てもらおう!

ちょっと無理したのか、手術が必要な病気をしたけれども、実現した。つきあってくださった詩人にも、いつものメンバーにも、スタッフさんたちにも全力だしてもらった。
でもね、そのとき私自身の分担した役割は 果たしきれなかったのです。いまも「ごめんなさい」が 残ってる。

だけど、それでもね。

その「ごめんなさい」が また、いつかの〈チャンス〉を呼んで、心のこりを晴らしていってくれる。きっと、おなじチャレンジが必要なときがくるんだから。未練や執着(まぁ、かっこよくいえば "目標"  "まだみぬ夢")は いったんふりきって、身近な人たちと・私の暮らしの安定を 優先させると決めました。満点はねらわないの。60点でいいよね。50点だっていいぐらい。

それで今、ようやく  ひと息ついてます。


カレンダーにも恵まれて、この9月には 2日つづきの休みがありました! 2度も!!💡

オススメいただいた 0歳から楽しめる音楽劇、
中学時代の恩師が歌う合唱コンサート、
演劇仲間が出演するダンス公演。
みんな観に行くことができて、道々にあるなつかしい場所・きになっていた 新しい所へも 足をはこぶことができました。


仕事へ行く以外は、ほぼ 寝ているしかできなかったくらいの つかれきった2年半でした。

ホントはイケナイんだけれど、明日のための持ち帰り仕事(工作の下拵え、糸仕事)があるので。
実家の母の顔をみてから、戻ってゆっくりするのが楽しみです。


母に、かわいいまち針3本と、おいしそうな食パンを買ったんです。喜んでもらえるといいんだけど。
まち針は、私と 色ちがいのお揃い。
。。と、いうといやがられそうだから。
じぶんの分は そっと持ってよう (^^)


こども本の森  中之島へ行ったこと、べつのブログに書きました。興味のあるかた、読んでみてくださいね。


欠けてしまった冒頭の写真を 再掲したいけど。。
サイズが大きすぎて貼れないみたい。

どうすればいいか分かったら、また
貼りにきますね  :-)