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愛と呼ぶには地味だった

誰にも邪魔されない朝は
誰も起こしてくれない朝。

一人暮らしはいつだって孤独で、だから大好きだけれど、残ったカレーを無理やり食べきるときばかりは、誰かが隣にいて欲しいと思う。

朝から隣人のギターと歌が聞こえてくる。

iPhoneで月ひとつをBASIと空音が歌っていて、さっきまで暖かかったココアも今じゃテーブルの上で冷めきっていた。

うたた寝じゃ足りない眠気をごまかして味の薄いココアを流し込む。

本当ならはやくシャワーを浴びて支度をしなきゃいけない時間。それでも胃の中に押し込んだカレーが滞在しているのを言い訳に、動けずにいる。

これまで生きていて、わたしは一人を謳歌していたから恋人が欲しいと思ったこともあんまりなかったけれど、近頃はそうじゃなくなった。

仲のいい友人に軒並み恋人が出来たのも原因かも。

無条件に電話をかけていい相手、連絡していい相手、存在を肯定してくれる相手、無条件に抱きしめてよくて、抱きしめられてもいい相手。

それが自分の好きな人であり、好きな人の好きな人が自分であるということ。


羨ましくないわけが、ないんだよね。

朝。起こしてくれたり、はたまた起こしたり、食べきれないカレーをペロリと平らげてくれたり、帰り道の電話とか食後のコーヒーを並んで飲むとか、そんな日常に溶け込んだ、愛というには地味すぎる夢に焦がれることもある。

それでも今朝のわたしは1人で、これからもしばらく1人の予定で、遅刻しそうなときは1人で歯を食いしばって支度をしなければならないんだよね。

なんとか支度をして家を出る。
あまりいかない銀座で待ち合わせ。

顔面を整える会である。

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銀座は所々が寂れていて、古い建物が残っているからいい。それから遊び心のある看板が多くてすき。

書を捨てよ、町へ出よう。あんなに悲しかった気持ちは整った顔面と銀座の街で回復した。

散歩。散歩。散歩。

街、ちりかけの銀杏がコートの色とよく似ていて嬉しくなる。お気に入りのコートを着てきてよかった。

それから気になっていた三十間。
珈琲専門店に滑り込む。

本日の珈琲とチーズケーキを頼む。
ブラジルは酸味がきいているのに飲みやすくておいしい。これぞ正しい休日というもの。

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店内BGMはボサノバ。
隣の席がちょっとうるさかったり、子どもの泣き声がきこえる。それすら愛しい土曜日の午後。

さみしい時がある。
さみしさに負けそうな時がある。

もううちに来ないでなんて、言わなきゃよかったと思う時もある。なんぱくん(自称王子)について行こうと血迷うこと、いやそれはないか。


それでも幸福だ。

幸福を感じられるわたしが幸福だ。

日常は愛であふれている。
愛と呼ぶには地味な日常を、わたしは愛している。


p.s. 久しぶりにおいしい珈琲を飲んだので、やなか珈琲まで足を運んでしまった。待っている時間に珈琲を出してくれる。今日は人生の珈琲day☕️

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