「いまなら死んでもいい」


君はいつもわたしを無責任に幸福にさせるね、とは言えなかった。


引越しをするのだと言った時、彼は少し驚いた顔をして、それでも、と言った。

「君のおうちはどこへ行ってもきっと素敵なんだろうなあ」

こういう幸福の呪いみたいな言葉はいくつもわたしの中に折り重なっていて、だからわかりやすい恋とか愛とかときめきとか、もうそういうのすべてにピリオドを打って、それでもなお致し方なく、彼の隣にいることを選んでいる。


引っ越す前に会おう、と連絡をしてから会うまで時間はそんなにかからなかった。それでも当日、待ち合わせは深夜にずれ込んだ。

引越し準備も途中のまんま、ダンボールに囲まれながらメイクを終えてわたしはiPhoneと睨めっこ。

あいも変わらず最後まで
彼は彼、わたしはわたしだった。


土砂降りの雨、一向に来ない連絡。

「雨だし、今日会うのやめない?」なんて気分で言いかねない男ということを重々承知しているわたしは、これまでそうしてきたように物分かりのいいふりをして、知らん顔して、期待しすぎないように「今日はないかも」を心の中で10回ほど唱えた。

それでも連絡はきて「遅くなってごめん。車で迎えに行くね」なんて、これまで一度も車でなんて来たことない癖に、最後にふさわしく彼は高そうな車に乗ってきた。

車内のBGMはかつてわたしが彼といる時に部屋でかけていたもので、ずれそうで正確なビートと雨の音を聞きながら、目の前でまたひとつ、呪いが丁寧に重なってゆくところを眺める。


夜の街は死んでいた。

終末世界のようだった。雨の音だけが勢いよく車内に鳴り響いていて、わたしも彼も、音楽でさえも控えめな呼吸をしていた。

不要不急じゃないよね、これは。

なんてくだらない確認をしながら閑散とした夜の街を車が滑る。

ちょうど週末"不要不急の外出を控えて"なんて緩やかでよくわからないコロナへの注意喚起が始まった頃だった。

「不要不急じゃない相手」なんて、言葉ほどの意味がないのもわかって、それでも選ばれてしまったことに密かに心が明るくなる。

「コンビニ寄っていこっか」

傘を持つのが嫌いだから彼の持つ傘の中に滑り込む。「傘は?」「入れて」なんて、こんな会話もここ数年、何度か繰り返したっけ。

コンビニの前には桜がぼんやりと発光していた。喫煙所に並んで立つ。傘、喫煙所、桜、音楽、彼との記憶はいつだって美しい。

「一本ちょうだい」「ん」

禁煙していたのに、でも「ちょうだい」と思わず口に出ちゃったのはわたしの方だった。今日だけだから、ノーカンにしときたい。


一晩中車を叩きつけた雨は朝になる頃も弱まることなく続いていて、わたしたちはポツリポツリと言葉を交わしたり、歌ったりした。きっとわたしたちの間には会話よりも音楽、音楽よりも歌ばかりが満ちていて、だからわたしたちはお互いの歌声を一番よく知っていて、それ以外を知らなくて、多分これからもそうなんだと思う。


「おれ、いまなら死んでもいい」

薄明るい車の中、幸せだ、とでも言いたげに
彼がそう呟いた。
身体の右側だけが熱っぽい。

無責任だ、と咄嗟には思えなくて、後から後から、こうして言葉を選んで思い起こしている今に至るまでの時間をかけて、ようやくじわじわと実感している。

無責任だ。この人はいつだってそうだった。

無責任な言葉をばらまいて、幸福をばらまいて、「え、そんなこと言ったっけ?笑」などと抜かすのだ。

それでもわたしは繰り返し忘れてしまう。何度も持ち上げられては叩きつけられるような心地がしていること。

忘れるから、人間は生きていけるんでしたっけ。

「3時解散とか言ってなかった?」「朝だね〜」

すっかり明るくなった空に若干の気まずさを携えながらも雨は降り続けていて、明るくなった桜の道をPretederを聴きながら抜ける。

特別好きでもないし、思い入れもない曲なのに「君の運命の人は僕じゃない」なんて歌詞に流れ弾。


ずっとなんてないのよ
連れて行ってあげるから
あんたのそばにいてあげるから


彼と一緒に歌った、すり抜けて一つだって届かなかった歌たち、同情申し上げます。


「おやすみ、またね。」「遊びに行くね。」


なんて、どこまでも本気じゃないセリフを置き土産に別れを告げる。さっぱりした、いつもの帰り道みたいな別れ方だった。  

明るい中、雨の音を聞きながら、ダンボールに囲まれて寝る。引越し作業はその後も続き、思い出もダンボールに詰めてわたしは引っ越した。


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