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加計呂麻から愛をこめて

もう10年以上前のこと、大阪に住んでいた頃、ルームシェアをしていた。女子4人で暮らすその家は、まるで実家みたいだった。1階に台所とリビング、お風呂があって、2階と3階に2部屋ずつ。わたしは3階の部屋に住んでいた。そこに住んでいたメンバーは、以下の4人(仮名)。

春子・・・占い師。ときどきみんなのことを占ってドキリとするようなことを発言する。

夏子・・・フォトグラファー。定期的にアフリカに行く。アフリカから友人を連れてきたこともある(わたし)

秋子・・・小学校の先生。冬はこたつの主(ぬし)で、夏はとんでもない薄着をする。モノマネ女王。

冬子・・・ソーシャルワーカー。夏子の高校の同級生。大胆で繊細でいつも直感が冴えている。

当時はシェアハウスという言葉がまだ浸透してなくて、そもそもわたしたちがしていた暮らしには「シェアハウス」という言葉がなんとなく似合わない。家は、レトロと言えるかどうか微妙な住宅街にあった。最寄駅にはオリジナルソングが流れる古い商店街があって、そこをぶらぶらするのが好きだった。今でもその歌を歌うことができる。

当時は少年スポーツ撮影のアルバイトと、大衆酒場でのアルバイトと、時々昼間の仕事を掛け持ちしていて、お金が貯まったらアフリカに行くという生活。ほとんど家にいなかったけど「ただいま」と言える場所があることは、とてもありがたかった。

冬は、1階のリビングにあるこたつでよく秋子が仕事をしていた。小学校のテストの丸つけで、赤いペンのシュッ、シュッ、という音が心地よかった。その音を聞きながら、春子に人生や恋愛を占ってもらったり、冬子にズバリ悩んでいることを当てられたり、みんなでマツケンサンバ(懐かしい)の練習をした。それぞれの友人が泊まりにきて、結局みんなの友達になったりもした。

今はみんな離れた土地に住んでいる。春子は2年前、加計呂麻という島に家族で移り住んだ。夏子は関東、秋子は関西、冬子は四国と、全国に散らばった形になった。今はグループLINEでゆるくつながっていて、時々思い出したようにLINEで会話をする。子どもの写真や近況を報告しあったり、いつか加計呂麻島にみんなで集合したいねと話していた。

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そしてこの夏、春子からみんなにすてきな贈り物が届いた。コロナもあって集まれないし「遅くなったけど、引っ越しのご挨拶」だそうだ。このタイムラグが春子らしくてなんだかうれしくなった。なにより、どこにも行けなかった今年の夏にぴったりの贈り物。箱を開けたら南の島のにおいがした。

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つるつるで美しい赤い色。大切に育てられたのがすぐにわかるようなマンゴーで、食べるのがもったいないくらい。アフリカの小ぶりなマンゴーとはちがって、ずっしりと重い。自然の恵みという言葉がぴったりだ。体はクーラーの効いた涼しい部屋にいて、魂だけ加計呂麻の海に飛んでいった感じ。

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奄美地方には行ったことがないけど、マンゴーの赤色を見ていると、加計呂麻の光を想像することができた。海と空の青、森の深い緑、果物や花の鮮やかな赤や黄色。かつて一緒に暮らした春子が、ここにはないたくさんの色彩に満ちた土地にいることを想像して、なんだかうれしくなった。

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包丁を入れると、部屋いっぱいに濃厚な南国の香りが広がった。みずみずしいオレンジ色が窓からの光できらきらしていた。ふと、みんなで暮らしたあの家の、駅からの道を思い出した。機材を抱えて汗だくで歩いた道。セミがわんわん鳴いていて、アスファルトがゆらゆらしていた。道中にあるサンドイッチ屋さんのおばちゃんと親しくしていて、よくおまけのたまごサンドをもらったっけ。家に帰ると秋子が下着姿だったり、冬子が窓からの夏の風を受けて本を読んでいた。玄関には竹のウインドチャイムがあって、そのカラカラと乾いた心地よい音を思い出す。

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マンゴーをていねいに切って、冷蔵庫で冷やして食べたら、太陽の味がした。長男は「町中のグラスというグラスをピカピカに磨きたくなるくらいおいしい」と、興奮して複雑な感想を言っていたけれど、要はすごくおいしいということ。次男は「最後のひとくちを飲み込むのがもったいない」といつまでも口の中にとどめてけれど、それも要はすごくおいしかったということだ。LINEのやりとりによると、冬子はあまりのおいしさに娘と一緒に無言で食べた。秋子は食べたあとのマンゴーの種を植えて栽培している。

一緒に暮らした時間が、加計呂麻も関西も四国も柔らかく結んでくれているような気がする。そして、いつか行きたい土地が増えたことがとてもうれしい。

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