マガジンのカバー画像

茶室の復原図

4
安土桃山〜江戸時代に代表的な茶人たちがつくった茶室の復原図と解説です!
運営しているクリエイター

記事一覧

宗旦の茶室(一畳半)

「宗旦の一畳半」 宗旦は利休の孫で、 現代に続く三千家の礎を築いた茶人です。 一畳半は利休が聚楽屋敷で初めて建てましたが、宗旦が建てたのは床なしの一畳半。 大名に仕えて知行を得ず、生涯在野を貫いた人。利休の侘茶を深化し、確立させる道を選びました。 花も掛物も要らぬ 一切の座敷飾りを返上し、 もてなす術は茶湯のみという境地。 この一畳半はそうした侘化を徹底させた茶室です。 (三千家の茶室をまとめています↓) (ステッカー、中々良き仕上がりですのでぜひ↓) ・・

利休の茶室(深三畳台目)

「利休の深三畳台目」 大坂城下の大坂屋敷にあったという深三畳台目の茶室。 その茶室には秀吉も迎えたともいい、博多の豪商・神屋宗湛がその茶室の様子を茶会記に記しています。 中柱を伴う台目構えの祖形で、当時は袖壁は下まであったため、次の間で御点前をしているように見えたそうです。 床柱には角柱、床框は塗框。 亭主は茶道口から回り込んで着座するスタイルです。 利休の死後、客側から御点前が見えるよう袖壁の下部は吹き抜けとなり、いわゆる「台目構え」は大流行へと向かいました

遠州の茶室(四畳台目)

「遠州の四畳台目」 遠州の十八番ともいうべき茶室です。 へうげものこと、織部の弟子でもあった遠州は、江戸前期の安定してきた封建社会にあって、武家茶の方向性をより進めます。 その特色は、客座から見やすい位置に点前座を舞台のように配置。 さらに織部の燕庵形式を進展させ、上座を一目でわかる位置に配し、相伴席の必要性を草庵形式の中に消化。 江戸幕府の作事奉行も勤めた遠州の優れた見識と閃きの光る茶室です。 (国宝・重文の茶室をまとめています↓) (茶室の間取りや復原図

利休の茶室(四畳半)

「利休の四畳半」 躙口を開け、茅葺屋根の簡素なつくり。 床柱は丸太柱、床框は塗框、窓は二つで深い精神性を反映したようなほの暗い空間。 唐物持ちによる茶の湯専用の座敷としての四畳半を完成させた紹鴎(利休の師)、 その紹鴎の四畳半を受け継ぎつつも侘数寄を探求した堺屋敷の四畳半、 そして、この聚楽屋敷の四畳半に侘化の完成を見ます。 北野大茶会で試みたものに整備を加えた、利休晩年の完成形。 弟子として唐物持ちの茶の湯を学びつつも、侘数寄の茶の湯を本流にしなければという強い