幸運は「下ごしらえ」した人のところへやってくる~【Good Luckを読んでの感想・気づき】
こんにちは!
さーちゃんです(*^^*)
「命の熾火を守りともに育てるFirekeeper」として、
セクシュアルマイノリティの子どもたちとその保護者の居場所作りや啓発活動を行ったり(ここいろhiroshima)、神石高原町豊松地区の子育て支援コーディネーターをしてます。
現在、【火】を通して自分自身見つめるファイヤーリトリートというもののプログラム化も行っています(*^_^*)
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今日は本の紹介。
1度は本屋さんで目にしたことがあるめちゃくちゃ有名な自己啓発本。
2004年に出版されて以来ずっと売れ続けていて、Amazonのスペイン文学カテゴリーではベストセラー1位。
私は本屋さんに行く度に、このきれいな四つ葉のクローバーの表紙が目に入り気になっていました。
が、手に取ることはなく。そのまま放置(笑)
ただここ最近の4,5月の休職期間で、古本屋に行ったときにこの本が目に入り。
50円という破格で売られてて!!(笑)
すぐ手にとって買いました。
この本は、物語形式で進む本で、
おおまかなあらすじとしては
①主人公が少年時代の親友に約50年ぶりにばったりと出会う。
②主人公は少年時代の親友が人生どん底状態であることを知る。
③主人公は自分がどうやって「幸運」を手に入れたかを友人に伝えるため
に、「クローバーの物語」を話す。
④「クローバーの物語」(←ここが本のメイン部分)
⑤主人公の話す「クローバーの物語」を聞いた親友は、気持ちを新たにする。
こんな感じで、物語の中に寓話チックな「クローバーの物語」が入っているという、マトリョーシカみたいな作りです。
「クローバーの物語」のあらすじは、
①魔法使いのおじいさんが騎士たちを集めて「今日から7日目に魔法のクローバーが生える!そのクローバーはあらゆる幸福をもたらす!探してみよ!!」的なことを伝える。
②白騎士と黒騎士という2人の騎士が魔法のクローバー探しの旅に出る。
③白騎士と黒騎士がそれぞれどんな風に魔法のクローバーを手に入れようとするか、比較しながら物語が進む。(←このパートが肝です)
④最終的に白騎士は魔法のクローバーを手に入れて、黒騎士は自爆して姿を消す。
こんな感じです。
(この説明だと黒騎士の扱いがかなり雑ですね(笑))
物語自体そんなに長くないですし、すっと読めました。
この本を読んで私が1番感じたのは、「幸運」は自分の手で作り出すものであり、「下ごしらえ」をする必要があるということです。
この本は、章ごとにいくつかのキーメッセージがあるのですが、
その中でも、
運は、呼びこむことも引き留めることもできない。
幸運は、自らの手で作り出せば、永遠に尽きることはない。
幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。
幸運をつかむためには、自ら下ごしらえをする必要がある。
幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。
だが、チャンスを得るには、運も偶然も必要ない。
それはいつでもそこにあるものなのだから。
幸運の下ごしらえは、自分にしかできない。
幸運の下ごしらえは、今すぐ始めることができる。
この4つが印象に残りました。
まず、「運」と「幸運」の違いとして、
運は、何もせずとも自分の元へ良い機会や出会いがやってくるようなイメージで、受け身な状態。
でも、「幸運」は手入れをしたり、下ごしらえすることで、自分で作り出せるものであり、かなり主体的な状態です。
イメージとしては、
運は、森の中を当てもなくぷらぷら歩いて「何かおいしいものないかな~」って探している感じ。
「おお!こんなところにスイカが!」
(※私スイカ大好きなんです(笑))
って感じで見つかったらラッキー!って感じです。
でも、当てもなくぷらぷら歩いているだけなので、当然お目当てのものが見つからないことも。
そういうときに、
「なんだよこの森、何にもねえじゃん!!」
って感じで、森に逆ギレをおこしたり。
「あいつ、この森にはおいしいスイカがあるって言ってたのに、嘘つきやがったな…!」
って、情報を教えてくれた人のせいにしたり。
(スイカがある森ってなんなんでしょうね。南国リゾート?(笑))
挙げ句の果てには、
「どうぜここにはおいしいスイカなんてないんだ。探すだけ無駄。真剣に探すなんてバカみたい。俺はどうかしてたぜ。」
そうやって、探すこと自体や探そうとした自分自身を否定して、動くことを辞めてしまいます。
こういう風に「運」に頼っていると、自分で何かを事を起こすこともないし、環境だけに依存してしまうため「他責」や「自暴自棄」になってしまいがちです。
それに引き換え、幸運は「畑を耕す」ようなイメージです。
おいしい野菜や果物が育つように、肥料を蒔いたり、土を耕したり、自分で環境を作っていく感じです。
「ほうほう、スイカを育てるには春には種まきをしないといけないのね」
「石灰やマルチを使って育てた方がいいんだな」
「虫除け、鳥よけのために網をかけておこう」
そんな感じで、手に入れたい作物(ここでならスイカ)に合わせて、その作物が手に入るように自分で環境を整えていきます。
もちろんあの手この手でスイカに合わせた環境を作ったとしても、
虫にやられたり、日照りで枯れたり、中身がおいしくできなかったり、うまくいかない場合もあります。
そのときも、自分で環境を作っていったからこそ、
「次は虫除けや水やりをこまめにしてあげるようにしよう」
「肥料を換えるとおいしくなるのかも。またやってみよう」
そんな風に、次にいかせる学びを得たり、またやってみようと思える気持ちも生まれやすいです。
こんな風に「運」と「幸運」は一文字違いですが、こんなにも違います。
運は、「運ばれてくるもの」
何が運ばれてくるのか、いつ運ばれてくるのか、それは誰にも分からないし、コントロールできません。
幸運は、「幸を運ぶもの」
自分にとっての「幸(幸せ)」が何なのかを知って、その「幸(幸せ)」が運ばれてくるように、自分で下ごしらえをして、手元にやってくるように「幸が運ばれてくるような道」を作っていくことが大切です。
もちろん、道をつくったとしても自分の望んだものが運ばれてくるか、いつ運ばれてくるかは、「運」同様分かりません。
でも、自分にとっての「幸(幸せ)」に確実に近づいていけます。
「幸(幸せ)」を求めることを恐れず、下ごしらえをできるってことは、自分にとっての「幸(幸せ)」を手に入れること、受け取ることへの許可が下りている証拠。
「運」だけに頼ってしまうときは、まだ自分にとっての「幸(幸せ)」が何か見えなかったり、自分で自分の人生に責似を取ることや、幸せに生きることを恐れているのかもしれません。
「環境が悪い」
「あいつが悪い」
「運がない」
そんな風に言い訳している間は、まだ本当の意味で「自分の人生」を生きていないんだと思います。
一攫千金や大逆転ホームランを狙ってばかりで、
「俺はこんなもんじゃない」と嘆く。
でも、そういう風に感じる時って自分の力を育てたり、コツコツ努力することを避けてしまう。
だって、本当に自分に力がついたり、努力したことが実ったら、「幸(幸せ)」が手に入ってしまうから。
結婚式の後にマリッジブルーになったり、昇進した後に鬱になってしまうのって、
幸せになる覚悟がまだないのに望んでいた「幸せ」を手に入れてしまったり、「幸せ」を手に入れることでそれと同じだけの「責任」も感じるからじゃないかなって私は思います。
(もちろん、他のもろもろの原因もありますが、ここでは「幸せ」に関することで起こる悲劇に焦点をあてます)
「自分にはこんな幸せはふさわしくない」
「自分にこんな重たい責任は負えない」
そんな風に、幸せそのものや幸せとともにやってくる責任やストレスを受け入れるだけの器がまだない状態で、急いで幸せを手に入れてしまうと、自分の器から「幸せ」も「責任」もあふれ出てパンクしてしまうんだと思います。
「幸運」は自分の人生に、幸せに、責任をもっている人がつかえるもの。
「自分は幸せになっていい」と幸せを受け取る許可が下りてるから、それに付随する「責任」も受け入れられます。
そして自分の人生に責任をもつから、自分に「幸(幸せ)」がやってくるよう主体的に「下ごしらえ」をすることができます。
自分以外の他の誰かが一緒に「下ごしらえ」を手伝ってくれることはあっても、代わりはやってくれません。
「自分は自分の望むように生きていい」
「自分は幸せを手に入れていい」
「自分は幸せな人生を送っていい」
そんな風に思えることが「幸運」の始まりなのかもしれないなあ、と感じました(*^_^*)
「クローバーの物語」の中で出てくる「幸運の下ごしらえ」で大事なことは、
〇今日できることは今日のうちにする(先延ばししない)
〇あらゆる可能性に目を向ける(自分が知ってることが全てと思わない)
〇できることを全てやったら焦らず、諦めず、信じる
〇甘い言葉や「幸運」をエサにつってくる人にだまされない
これらは、一攫千金、大逆転ホームランを狙うのとは真逆で、
地道に、謙虚に、感謝や信じる心を大事にして、目の前のできることをやる
って感じです。
少額でもいいからコツコツとお金を稼いでみる。
とにかく打席に立って、ヒットを毎回打てるようする。
そんな感覚が「下ごしらえ」の感覚なのだと思います。
という私も、今まで「下ごしらえ」が全然出来なくて、手っ取り早く幸せや成功を手に入れたいと思ってました。
はやく、スムーズに、かっこよく。
でも、そんな風に望めば望むほどうまくいかなくて焦ったり、
ちょっとしたことで一喜一憂したり、
すごい話だと思って舞い上がったらひどい話だったり、
そうやってあたふたしている間は、
「どうして自分はうまくいかないんだろう」
「どうして自分は望む幸せが手に入らないんだろう」
って悩んでばかりでした。
(悩んだあげく、書籍、自己啓発セミナー、情報商材などで100万近く使っています(笑)もっとかも。今度調べてみます(笑))
でも、心の奥底では、
「自分が望むように生きてはいけない」
「本当の自分は出してはいけない」
「自分は無力で、責任なんて負えない」
そんな風に自分のことをとらえて、「幸せになりたい」と思えば思うほど恐怖や不安も出てきていました。
今までの私はその恐怖や不安に蓋して、見て見ぬふりをしていました。
でも、私にはその自分の恐怖や不安に向き合ってくれる仲間ができました。
自分が恐れていることや不安をありのままに話して、向き合うことで、私は「本当に自分が望んでいること」にも気づけるように。
私は、はやく、スムーズに、かっこよく生きたいわけじゃない。
私は、心通える仲間とともに、大事な人たちとともに、幸せを感じて生きたいきたい。
私は、その人がよりその人になっていくことを後押ししたい。
私は、私だけしか歩めない道を歩んで、よろこびも苦しさも全て味わって生きていきたい。
そういう自分の望む生き方が分かり、そういう生き方をすることを決めることができました。
そうやって自分の生き方を自分で決めることで、少しずつですが「下ごしらえ」ができるようになってきてる感覚があります^_^
機が熟さないうちにゴールに着いてしまうと、自分がひどく未熟に感じる。
上の言葉は、ネイティブ・アメリカンのメディスンカードの「タートル(亀)」の説明に書いてある言葉なのですが、
自分のペースで、人生のいろんな出来事を味わい深く味わうこと。
自分にとって「最善のタイミング」で「幸運」はやってくることを信じること。
そうすれば「未熟」でなく、たわわに「成熟」した果実が手に入るんじゃないかなあと感じました(*^_^*)
あともう一つ、「下ごしらえ」で大事な考え方として、
自分の望むものや幸せを手に入れるために、何をしたら下ごしらえになるのか分からないことも多いと思うんです。
そういうときは、
「これまでやってきたことは、すべてこれからやることの準備である」
本当の自分を生きる/榎本英剛
って思うことで、自分が今やってることは全て自分が望む生き方、幸せ、未来につながっているって思えます(*^_^*)
いま自分がやっていることは全部「下ごしらえ」になっているのだと思えたら、じきに幸運の道ができて幸せを運んでくれそうですよね(*^_^*)
「幸運」は「耕運」とも言えます。
幸せは耕した人のもとへ運ばれてくるもの。
焦らず、腐らず、驕らずに、楽しみながら自分の幸せ畑を耕していきたいですね^_^
今日は、「Good Luck」を読んでの感想、気づきをまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
また紹介したい本がでてきたら、紹介記事を書いていこうと思います★
この記事が書けたのは、「Good Luck」と古本屋さんのおかげ!
ありがとうございました(*^_^*)
あなたにとっての「幸(幸せ)」って何ですか?
あなたは自分が望む幸せを手に入れるためにどんな「下ごしらえ」をしますか?
現在、【火】を通して自分自身見つめるファイヤーリトリートというものをプログラム化するためにモニターになってくださる方を募集しています(*^_^*)
ファイヤーリトリートを通じて、あなたの【幸運】をつくるヒントが見つかるかも★
【募集定員】5名限定→満員御礼!!ありがとうございます!!
ただいまプログラム化に向けて準備中です!今しばらくお待ちください★
最後まで読んでくださりありがとうございます!
今日も応援しています!
ホーミタクエオヤシン。
2021.7.24 高畑桜
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