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「楽しい」を集めながら生きること

仕事を辞めた10日後。
私はひとり、スイスにいた。

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夢を描いて下積みを重ね、働きながら資格をとり、30歳にして希望の職についた私は、その後身体を壊してしまった。
ホルモンバランスも崩れた頃には、心のバランスも失いかけ、数年間で退職という道を選んだ。

先のことは何も決めていなかった。
決めたことはひとつだけ。

ひとりで、どこかに行こう

それだけだった。

そんな正体のわからない決心を背負ったからなのか、出発前、私はこの旅に「期待」をした。

約1ヶ月の旅が終わる頃には、何か見えるモノがあるだろう。意を決して退職し、日本を飛び出した。自分と向き合い、日本ではできない経験をするうちに、これからどんな生き方をしたいのか、きっとまた直感が働くだろう。

そんなふうに、久しぶりの大きな冒険に「旅の答え」を求めていた。
その結果、途中から〝そうなっていない旅〟に焦りを感じ、帰国が迫る中「私はいったい、この旅で何を見つけたんだろう?」と悩むこともあった。
むりやり何かを感じなくちゃと思うことさえあった。

そんな時、帰国が2日後に迫ったチューリッヒの安宿で、初めて日本人に会った。
1ヶ月近いひとり旅の終わりに、初めて人と食卓を囲み、久しぶりの「おしゃべり」をした。それらが久しぶりだという経験なんて、日本にいたらありえなかったことに、この時初めて気がついた。

ああ、こんなにも人と会話をしなかったこと、今までなかったんだ。人と話すって、他愛もないおしゃべりって、誰かと囲む食卓って、楽しい。

知っているつもりで、まだまだ知らない感情があった。
そして、もう1つ思った。

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そもそも旅に答えなんてなくて、必要もないんじゃないかって。
「何かを見つけなくちゃ」
そう思うことが、もう心を縛っている。

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久しぶりの海外ひとり旅は、いろいろあった。全身虫に刺されて20ヶ所腫れ上がり、小さな街の病院を探し歩いたり、数十万円のキャッシング詐欺にも遭いかけた。
アジア系の団体客の波に揉まれ、嫌気がさした時には、自分もアジア人なのにどうしてそう感じるのか、ただ考え続けた日もあった。

誰もいない大自然で自撮りに挑戦し、タイマーと格闘する自分が滑稽でたまらなかった日も。

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「ダンケ」と慣れない言語でお礼を言うと笑ってもらえたり、駅で困っていると、アプリで私の乗り換え方法を調べてくれる人もいた。

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藁を敷き詰めた寝床で、ハイジのような世界を知った夜もあった。

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生きているといろいろあるのは世の常だ。
旅をしているといろいろ起きるのもまた、旅の常だ。
すべてが生きている実感に繋がり、知らないことを知るために、また旅をする。
「楽しい」って、笑うことだけじゃなくて、そういうことだと思う。

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「この旅」は終わるが、それは何かが終わるわけじゃなくて、旅は人生の途中であり、帰国したあともその途中。

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どうやって生きたいか。どんなふうに呼吸をするのが好きで、何を見て感じたいのか。どんな思考をして、どんな自分で在りたいのか。
楽しい週末のために平日を我慢するんじゃなく、楽しい今日を積み重ねて、楽しい毎日にしたい。
そのために、どんな選択をするのか。

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そんなふうに心のアンテナを研ぎ澄まし、「楽しい」を集めながら生きる。旅も含め、いつでもその道の途中にいるんじゃないか。そしてそれが、きっと"楽しい今日"になる。

そんなことを思い、この旅を終える。
今歩いている「途中」そのものを味わって生きたいと、ギシギシ軋む、安いドミトリーの二段ベッドで思った。

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