自己紹介
初めまして!
ついにアメリカからnoteへログインすることができたので、自己紹介と留学にいたるまでの生い立ちをお話ししたいと思います。
名前:宮下 咲良(みやした さくら)
生年月日: 2000年4月4日
出身地: 東京都
学歴: 田園調布雙葉高校
→順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科2年次中退
→ピッツバーグ大学2年次編入
中学時代
幼少期に英会話教室へ通っていたこともあり、英語でコミュニケーションを取るのに興味があった私は中2の春休みにアメリカへ短期留学へ行き、現地校へ1週間通いました。
たった7日間でしたが、日本の学校とは全く異なり、(授業も含め)学生生活を楽しんでいる姿にカルチャーショックを受けました。
毎日、決められた制服を着て、決められた時間割で授業を受けて、塾へ行く日本の生活は自分にとって少し窮屈でした。他人がやらないような事にチャレンジしたい!と思った私は親に1年間アメリカへ交換留学したいと相談したところ、英語力が身につくのであれば受験で有利になるかもしれないという理由で、承諾を得ました。
一貫校に通っていたこともあり、中学3年冬に受験をして、無事に高校1年の夏からアメリカへ1年間留学することが決まりました。
高校時代(アメリカ留学での経験)
高校1年夏 (2016〜2017)
留学した所は、オハイオ州のクリーブランド周辺。
自然と共存した田舎で1年間、3人家族のホストファミリーのもとでホームステイをしました。現地高校は、全校人数が1200人くらいの学校へ通いました。
英語でのコミュニケーションがうまく出来ない中、1歳年下のホストシスターがバレーボールをやっていた影響もあり、自分もチームに加わる事になりました。言語がうまく通じなくてもスポーツを通じて一緒にプレーしたりする楽しさ、友達の輪が広がる嬉しさを経験することができました。
試合には毎回ホストファミリーが観に来てくれたり、シーズンスポーツの試合を友達と一緒に観に行ったり、スポーツが大好きな私にとって、一生の宝物になりました。
怪我の影響でアスレティックトレーナーという職業を初めて知る
春は友達作りのために、陸上チームに参加しました。
しかし、練習中に大きく転倒してしまい膝を怪我をしてしまい、念の為病院へ行く事になりました。軽度の靭帯損傷と診断され、リハビリに通う事になり、そこでアスレティックトレーナーの方にお世話になりました。
トレーナーの方が、自分のためにリハビリメニューを考えてくれたり、励ましてくれる姿を見て、アスリートをサポートするってカッコいい!と思いました。そこから色々調べていくうちにアメリカの資格(ATC)は準医療国家資格で、この資格を取得したら世界で利用できるということを知り、絶対にトレーナーになって世界で活躍したいと思いました。この時の思いは単純でしたが、今でもずっと夢は変わっていません。
親からの猛反対
日本へ帰国し、アスレティックトレーナーになりたいという夢を親に相談したところ、全く理解してもらえませんでした。そもそも、その職業って何?インストラクター?どのくらい収入は貰えるの?どんな学部に進むの?と沢山の疑問を投げかけられました。
日本では知名度が低い職業だと思うので、親もかなり心配していました。アメリカに留学したのだから、英語を生かしてスポーツドクターになればいいのは?と何度も勧めらました。
私は、選手のリハビリやトレーニングに興味があったので、スポーツドクターとは少しやりたいことが異なるとずっと思っていました。なので、スポーツ科学部のある大学へ入学して大学院でアメリカへ渡米することを決心しました。
そして、2020年春に順天堂大学スポーツ健康科学部へ入学しました。
大学時代(寮生活や部活での学び)
コロナ禍の中、千葉県の田舎にあるキャンパスで寮生活が半年始まりました。順天堂大学は伝統として、医学部とスポーツ健康科学部の1年生が1年間共同生活するカリキュラムになっています。(私が入学したときはスポーツ健康科学部のみで、9人での生活でした)
新しい環境で初対面の学生たちと共同生活することは最初は緊張しましたが、お互いの夢を語り合ったり、行事に参加することで、濃密な時間を過ごすことができました。そして、同じ夢に向かって頑張る一生の友達を見つけることもできました。
田舎にキャンパスがあったので、私の部屋員は全員異なる部活に入っていました。
学生トレーナーとして、自分のやりたいことをやらせてくれる生徒主体の硬式野球部に所属することが決まり、選手の体調管理やリハビリの手伝い、データ入力など様々なことを学ぶことができました。
東京オリンピックでの経験
2021年夏に、東京オリンピック・パラリンピックのボランティアに参加することができました。応募したときは高校生の頃でずっと夢の舞台を見てみたいと思っていたので非常に貴重な経験になりました。NOCの方々と一緒に各スタジアムを訪問し、ボランティアの役割や組織の仕組みを見学したり、会議に参加したりしました。英語を喋れるボランティアが少なかったので、日本の役員の方に翻訳をしたり、NOCの方々とお話しする機会がありました。
ボランティアしたおかげで、また英語に触れて視野を広げたいと思えるきっかけになりました。
恩師との出会い
オリンピック開催中に、日本代表のスポーツドクターをしていた大西賢太郎さんにお会いすることができました。賢太郎さんとは前から面識があり、同じ留学団体を利用していた影響もあり、一度お話を聞いてみたいと思っていました。
賢太郎さんに将来アスレティックトレーナーになりたいことを相談したところ、ピッツバーグ大学(賢太郎さんが働いている大学)への視察を勧められました。スポーツ医学においてアメリカの教育は高水準で、もともと大学院へ進学しようと考えていたので、実際に行動してみようと思いました。
ピッツバーグ大学への視察
オリンピックが終わったタイミングで2021年の秋にピッツバーグ大学へ視察へ約1ヶ月半視察へ行きました。コロナ禍の影響で、日本の授業はオンラインだったので、時差をうまく利用して生活しました。
ピッツバーグ大学の視察ではシーズンスポーツであるバレーボール、サッカー、アメフトを主に見学させもらいました。実際に試合の手伝いをしたり、選手とのリハビリを教えてもらったり、施設の規模が大きく、日本との差を痛感しました。
視察をしていくうちに、大学院から進学するより、早くアメリカへ来て勉強した方が、知識も深まるし、沢山の経験を得られると思い編入を決意しました。ピッツバーグ大学の教授にも"You deserve to be here to study"(君はここで勉強する価値がある)と励ましの言葉をもらい、帰国して約半年で準備をし無事に合格をいただくことができました。
編入
2022年夏から正式にピッツバーグ大学へ編入することができました。手続きはほぼ全て自分で行ったため大変でしたが、やっとスタートラインに立てた気持ちです。
Twitterで発信を始めた理由は、もっと日本の学生がアメリカに留学してカルチャーショックを受けて欲しい、刺激をもらって日本に帰国し新しいことにチャレンジして欲しいという思いがあります。トレーナーという仕事は自分にとって魅力的ですが、世間ではあまり知られていなかったり、需要がまだ低かったり課題がたくさんあります。Twitterを通じてトレーナーの先輩方の意見を聞いたり、同年代と情報交換をして、自分がアメリカでどの様な経験をしているのか、未来の生徒たちに勇気を与えられたら嬉しいです。
これからも徐々にnoteを更新して、アメリカ大学生活について発信していきたいと思います。よろしくお願いします!
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