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ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を聴く(後編)


今回は1803年〜1822年の間に作曲された、
第21番〜第32番のピアノソナタを聴いていきましょう。

前期で古典派的ソナタを研究し、また実験的な試みを数多く重ねたベートーヴェンは、
中期においてソナタ形式を完成させ、後期においてはそれを自らの手で破壊しました。
後々の作曲家の追随を許さないほどに、この形式を征服し、孤高の存在となったのです。


前編の第1番〜第20番をまとめた記事はこちらです✨↓




♪第21番〜第23番

この時期のベートーヴェンは、交響曲『英雄』『運命』『田園』や、唯一のオペラ『フィデリオ』、『ラズモフスキー弦楽四重奏曲』など、
様々なジャンルで傑作を生み出し続けました。

ピアノソナタも例外ではなく、
『ヴァルトシュタイン』『熱情』という大作を含んだ3曲が作曲されました。



第21番『ヴァルトシュタイン』 op.53  (1803年)

『ヴァルトシュタイン』は、ベートーヴェンのパトロンだった伯爵の名前です。

ヴァルトシュタイン伯爵は、他のパトロンとベートーヴェンを引き合わせたり、ハイドンにベートーヴェンを推薦したりと、若い頃から彼を支援していました。
1792年には、「不断の努力によって、モーツァルトの精神をハイドンから受け取りたまえ」という有名な言葉とともに、ベートーヴェンをウィーンへ送り出しています。


曲は円熟したソナタ形式の第1楽章から、短く導入的な第2楽章をへて、
華麗で壮大なロンド形式の第3楽章へと向かっていきます。




第22番 op.54  (1804年)

第21番と第23番という傑作に挟まれた、小規模な二楽章制のソナタです。
同じ年に、オペラ『フィデリオ』、交響曲第3番『英雄』、ラズモフスキー四重奏曲という大作が書かれた割には、特筆する内容がないという少しミステリックな曲です。





第23番『熱情』 op.57  (1805年)

同時期に交響曲第5番の作曲も行われていたため、「運命の動機」が第1楽章のいたるところに現れます。
穏やかで美しい変奏曲の第2楽章をへて、
ソナタ形式の第3楽章は、激流のごとく終わりまで駆け抜けます。

ベートーヴェン自身もこの曲を気に入っていたらしく、その後4年間、新作のピアノソナタが作曲されることはありませんでした。





♪第24番〜第27番

これらの曲が作曲された時期は、中期から後期への過渡期とみなすことができます。


第24番『テレーゼ』 op.78  (1809年)

ベートーヴェンのピアノの生徒だった、伯爵令嬢のテレーゼに献呈されたことからこの通称で呼ばれています。
(『エリーゼ』候補のテレーゼとは別人です。)

二楽章制で、古典派のソナタとしてはめずらしい嬰ヘ長調(♯6つ)の調性が使われています。




第25番『かっこう』 op.79  (1809年)

『かっこう』の由来は、第1楽章にカッコウの鳴き声のようなモチーフ(3度の下行、シ→ソなど)が繰り返し出てくることからきています。

初版は『ソナチネ』として出版され、
ベートーヴェンのピアノソナタの中では比較的簡単な曲であり、入門的に取り組む作品の一つです。





第26番『告別』 op.81a  (1810年)

ベートーヴェンのパトロンの1人であるルドルフ大公が、ナポレオンのウィーン侵略のせいで国外に脱出せざるを得なくなったという出来事を受けて作曲されました。

『告別(Das Lebewohl)』は、愛する人に対してだけ使われる別離の言葉で、
第1楽章の冒頭に歌詞のように記されています。

第2楽章は『不在(Die Abwesenheit)』、第3楽章は『帰還(Das Wiedersehen)』と題されており、
フランス軍が撤退したあとに、ルドルフ大公がウィーンへ戻ってきたできごとを表現しています。




第27番 op.90  (1814年)

この曲はシンドラーによれば、「第一楽章は『理性と感情の戦い』第2楽章は『恋人との対話』である」と、ベートーヴェンが語ったのだそうです。

発想記号にドイツ語が使われていたり、歌謡的といえる長いフレーズが取り入れられていたりといった、
中期とは異なる後期作品の特徴が垣間見える曲です。





♪第28番〜第32番

ベートーヴェンの後期のピアノソナタは、
ロマン派(歌曲っぽさや曲調の劇的な変化)と、
それまでの時代(対位法や変奏曲)の音楽の特徴をあわせもった、オリジナリティの高い作品群となっています。


第28番 op.101  (1816年)

後期作品の入り口となるソナタです。

この曲は夢想的な第1楽章から、生き生きとした第2楽章へと進みます。
緩徐楽章のような序奏を含んだ終楽章では、第1楽章の冒頭が再現され、また対位法的手法が多く使われています。





第29番『ハンマークラヴィーア』 op.106  (1818年) 

『ハンマークラヴィーア(Hammerklavier)』とは、ドイツ語でピアノを意味します。

ベートーヴェンのピアノソナタ中では最大の長さで、全曲演奏するにはおよそ40分もかかります。
高度な演奏技術が必要で、作曲当時に演奏できたピアニストはいなかったといいます。
(作曲から約20年後、リストやクララ・シューマンはこの曲をレパートリーにしていたのだそうです…)

また作曲当時にこの曲を全曲演奏するには、2台のピアノを並べる必要がありました。
(第1楽章〜第3楽章はシュトライヒャー製のピアノでないと高音部が演奏できず、
第4楽章はブロードウッド製のピアノでないと低音部が演奏できなかったからです。)





☆第30番〜第32番は、「ベートーヴェンの後期三大ピアノソナタ」と呼ばれることがあります。

第30番 op.109  (1820年)

「モチーフをレンガのように組み立てる」という中期のソナタの作曲法を脱却した、柔軟性の高い第1楽章は、神秘的な美しさで聴く人の心をとらえます。
楽曲は変奏曲の第3楽章が一番のメインであり、こういった試みはベートーヴェンのピアノソナタでは初めてのことでした。



(アンドラーシュ・シフのベートーヴェンピアノソナタ全曲解説の音声を、YouTubeで聴くことができます。
これを見つけたときは「本当に良い時代になったな…」と感動しました🤣)





第31番 op.110  (1821年)

後期三大ピアノソナタの中で最もメジャーな曲であり、芸術性と聴きやすさをあわせもった曲です。

優しく包み込むような第1楽章に、流行歌を主題にしたちょっと不気味な第2楽章が続きます。

第3楽章は、沈鬱な部分とフーガの部分が交代に現れるといったかなり斬新な構成で、
異名同音的転調や、声楽曲にしか使われなかったレチタティーヴォの指示が使われるなど、
ロマン派的な作曲手法がうかがえます。





第32番 op.111  (1822年)

実力のある若手演奏家も、この第32番のピアノソナタにだけは尻込みしてしまうと聞きます。
技術的に難しいというよりは、この曲の深い精神性はそう易々と表現できるものではなく、ある種神聖化されているのです。

ハ短調のソナタ形式とハ長調の変奏曲という、ベートーヴェンの得意ジャンルで構成された二楽章制のピアノソナタは、
終わりに近づくにつれて高みへと昇っていき、
その様子はまるで「ピアノソナタとの決別」を表現しているかのようです。




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さくら舞🌸

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