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2000年の奴隷と自由民の魂

※今日は長文になってしまいました…。

バビロン大富豪の教え何気なく見たこのお話しを見て一つの氣づきがありました。このお話しの中に奴隷の話しが出て来るのですが、元々は商売人の息子だったのですが、借金から紆余曲折あり、奴隷に転落することになった男性。


彼は自分を買った主人の高貴な若い女性に余興としてこれまでのどう生きてきたかを聞いた時、


「私は元々バビロン(大きな都市)の人間で、今でこそこうして奴隷の身に甘んじてはいますが、本当の私は自由民の身分で、バビロンの由緒正しい鞍作りの息子です」


と答えたところ、


「愚かですね」


と嘲笑されてしまいました。


「自分の弱さのせいで奴隷に堕ちたお前が、自分が自由民だなんて良く言えたものです。自らを滑稽だとは思いませんか?奴隷になったから甘んじているのではなく、甘んじているから奴隷になったのではないですか?」


と返されてしまいます。彼はそこから「自由民の魂」を呼び起こし、「自由民」になるために命令ではなく、自ら動き出しました。

それをみた彼を買った高貴な女性は、夫は父の財産目的で自分と結婚し、そして、自分は子が産めない体なので、魂は奴隷だと打ち明けます。


「過去ばかり思案する自由人など道化です。お前の人生で証明して見ますか?ここから出られない私の代わりに」


後日、彼女が彼に“今、お前の魂は自由民の魂か?奴隷の魂か?”と聞いた際、


「自分の魂が例え奴隷だったとしても、いつか必ずバビロンに帰り、借金だけは返し切ろう。そう決めました」


と答えると、


「ではここに偶然変装用の服もありますし、今脱走したら逃げられてしまいますね。…証明して見なさい。あなたが自由民であることを」


そう言って脱走の手伝いをしてくださったのでした。彼は脱走する中で、死に直面するような目にも遭いながら必死で走り、目の前の世界の見え方が変わり、そしてやっと自由民の魂が燃えたと氣づいた。

そして、自分が返さなきゃいけないのはお金だけじゃなく、仲間への「恩」だと氣がついた。自分を信頼して貸してくれたのに、信頼を裏切っている。


この話しは思い出話の1つとして男性が語るシーンでの物語なのですが、何故この話しを男性がしているかと言うと、この話しを戦争で恩師や家族を亡くし、借金だけが残って、働く気力も無くした青年が

「もう奴隷で良い」と言ったことから、
「奴隷というものがどういうものか教えてやる」

と語られた話しでした。


「お前は誰かに何かを与えられてこなかったか?
お前は今日まで水だけを飲んで生きてきたのか?
お前は働きたくないと言った。それもいいだろう。
だが、その体に育ててくれた親に、
その知恵を授けてくれた師に、恩は返せたか?」

「俺はまだ恩を…返せてない…!」

「なら働け」



私は前世の記憶のほとんどが子供時代に死ぬ記憶で、奴隷か奴隷以下のような時も多々ありました。鬼のような大きな大人が人々を苦しめていて、自分も恐いと思いながらもどうしようもできないと開き直る日々。人扱いされない生活の中、幸せそうな家の明かりを見たり、楽しそうに通り過ぎるお金がある人を見かけると

「自分とは無縁だし、別世界の人間なんだ」

と割り切って、平気なふりをしていました。それが当たり前になりながら、死ぬ時も

「自分はこの世界に価値のない、ゴミみたいなもんだからこんなところで死んでもしかたないや」

と一人静かに世界の片隅で死んでました。


しかしこの話しを読んだ時にその歴代の魂がお世話になってきた人が次々と浮かんできました。

氣まぐれや、見下した感情で憐れんでいるのだろうと、当時お礼も言えないままになっている人たち。

ご飯や、コインをくれたり、話しかけてくれた人。
どうにかしようと影で動いてくれた人。
庭に入れてくれた人。
ゴミと思っていた私の死体を憐れに思い丁寧に
野草ですが花まで入れて埋めてくれた人。


私はあのどん底の中で実は、恩を受けていた。

神様が見ていてくれたんだ。


与えてくれるもの、与えられるものだけ欲していた。
そう氣がつけました。


「お前は恩を返せたか?」

その私の答えは

「NO」


「なら働け」

です。働くことが恩返しになる。


あの時の恩も、今の恩も返すために働き続けよう。

そう思っています。

自由民の魂だから。




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