見出し画像

「こうあるべき路線」なんか粉々にしろWセンターよ〜日向坂12th表題「絶対的第六感」先行配信 毎日note EX 2024年8月16日付

わからない。

いや、これでも本当に、努力はしたのだ。

一方だけの意見では公平ではないし、批判的な意見もちゃんと理解したうえで意見を述べるのが筋だと思ったから。
理解はしようと、努力した。

一日かけた。

わからん。

結局わからんので、勝手に自分の意見を述べておくことにする。いや、いつもか笑


今回のことに関係なく、というと身も蓋もない話から入ってしまうことになるけれど、そもそも論として、SNSの意見が大勢だと思うことそのものが間違っていると思っている。
ざっくりとイメージとして、ファンの構成というのを

こういうふうに考えてるところがあったような気がする。
もちろん個人的な脳内なので笑、細かいところは別として。
要は、ファンの大部分がSNSをやっているという前提でものを考えているところがないだろうか、と。
もちろんインターネットに触っていない、ということは考えにくいけど、公式HPで情報の受信は事足りると言えば足りる。
そこから一方進んで、SNSアカウントを開設して何かを発信しよう、他のおひさまと交流しようという積極性のある人は、果たしてそんなに多いのだろうか。
確かにSNSでないと得られない情報もあるけれど、あくまで閲覧用、受信用で開設している例が相当あるのではないかと思っている。

そういう大多数のファンの皆様の中に、私なんかより知識もあれば、熱量がある人もいる。
本当はぜひそういう方たちの想いを定量化したい。


個人的な感覚ではあるけれど、ひょっとすると実情はこうなのかもしれない。

まあ、少し極端かもしれないけれど笑
意外と何も言わない層、それこそサイレントマジョリティー層の多さをどこかで忘れているような気がしている。
SNSアカウントを開設して、閲覧には使うけれど何も発信しない人、というのも、SNS民ではあるけれどスタンスとしてはSNSやってない民に近い。

もしそうだとすると、そちらは圧倒的多数ということになる。

結局、以前書いたあの記事と同じような話になるのだけれど。

そのうえで。


日向坂12th表題。
「絶対的第六感」
聴いた。

大好きだ。

AKB48の楽曲はさほど知らないけれど、友人がよくカラオケで歌っていたので耳馴染みのある「ロマンス、イラネ」を思い出させた。
B'zを思い出した人もいて、確かにそれもわかる。

そして、「SNSにいるおひさま」の反応は、なんとなく予想はできた。
肌感覚で間違いないと言えるのは、批判派の絶対数は圧倒的に少ない、ということだ。

多そうに見えるのは、声がでかいからだ。

ノイジーマイノリティーだ。

でも、それでも言いそうなことはわかるので、その根源に辿り着きたいと思ってずっと投稿内容を見ていたけれど、そこが結局わからん、ということなのである。

概ね、言わんとしていることは、おひさまの求めているのは、キュンドレミハニデュ路線である、前作がその路線でスマッシュヒットとなったのに、なぜそれを続けないのか、という内容が最も多かった気がする。

ところが申し訳ないけれど、その「おひさまの求めているもの」の多数派は本当にその路線だとはっきり言い切れるのだろうか。
物言わぬマジョリティ層が、そう思っているのなら納得はするけれど、本当にそうかどうかはわからない。
今のところ、結局マイノリティー層の一部が叫んでいるだけにすぎない、という目を忘れてはいけない。


「SNSのおひさま」の中には、日向坂がカッコいい路線へ表題の舵を切ろうとすると批判する向きが現れるんだけど、ああいう層はBuddiesにはあまりお目にかからない。乃木坂方面は知らないけれど。
月星であったり、ゼロイチであったり、そういう方向性で行こうとすると「日向坂ぽくない」とかいう意見が出てくる。

…あ、もちろんそれも

この世界での話だとは思うんだけど笑

ま、そんな狭い世界の意見だから気にする必要はないとは思うけれど、それにしたってよくわからんのはいろいろあって

例えば「正源司藤嶌のWセンターでやる曲じゃない」という意見。

これはもしかすると、よーこセンターのハニデュやかほセンターの魔物のイメージに囚われすぎているのではないかという気もする。
確かに彼女たちで描く世界があるとしたら、受け取る側がイメージするのはそちらの楽曲だろう。それはわかる。
そして、それらが跳ねるのもわかる。

ただ、跳ねるから正解、なのだろうか。

彼女たちに、そのイメージの凝固を与えてしまうことにならないか。
イメージを凝固させることって、そんなに正しいのだろうか。

逆に彼女たちに失礼な気もするんだよね。
あなたたちにはこれが似合うから、というのはいいとして、でもそれは表現者たる彼女たちに対して、他の路線は似合わないからやめた方がいい、というのと同義とまでは言わないけれど、そういう裏の意味を生んでしまわないかと。


また以前の話の蒸し返しになるけれど、結局「らしさ」とか「ぽさ」などというものは、こちら側からの押しつけのような気がするんだよね。

だからこれ、ティザーで青春感を出そうとする映像を見せるフリをして、実は曲調がカッコいい路線、ということは、運営わざとそうしているような気もしてくる。批判覚悟で。

おひさまの批判?それがどうした、っていう自信も感じるんだ。

どうせオマエらはハニデュ路線が好きだろうし、そっちがくると思ってるんだろうけど、ところがそうはいくかい!それだけじゃねえんだ日向坂は!度肝抜かせてやるからよく見てろ!…みたいな笑

いやそこまで言わなくても、賛否両論巻き起こすのを敢えてやっている気もしなくもない。

もしそうだとしたら、それでいい笑


日向坂が一時期、停滞していた云々という話があった。
何度も繰り返すが、私はそうは思っていない。思っていないけれど、もしそれがあったとするなら、それはメンバーの問題ではなく、さらに運営の問題でもなく、おひさまの問題だったと思うのだ。

どうも見ていて思うのは、おひさまの中には一定数、自分の理想のグループの方向性へどうしても持っていきたい層がいる。
もちろん、全体からの数で言うと、少数のはずだ。
でも、やはり声が大きい。

もっと言うと、単純に自分の理想に近づけたいようにしか見えないのに、それをグループのために発言しているという免罪符を勝手に自分で貼って言葉にしているから実にタチが悪い。

SNSの意見を見ていると、何がどうダメなのかをしっかり理論的に書いている人が圧倒的に少ない。いや、それっぽいのはあるにしても、実は理論的ではないものも多い。ツッコミどころが多すぎる。

運営の問題ではなかったと書いたけれど、敢えて問題があったとすれば、どうもどこかでそういうマイノリティーの否定的意見を気にしすぎていたようなところがあったように感じる。結果、それに振り回されたところが、本当になかったと言えるか。

グループの色を決めること、それは大切かもしれない。
でもそれにこだわりすぎると、結局方向性の幅を狭めることになりはしないか。

日向坂はもともと、ダンスメンも多いのだ。
難易度の高いダンスナンバーをこなすことだってできる。
それがどこからか、可愛い路線にシフトして、それを求めて新たなおひさまが増えて。少し毛色の違う音楽性を出そうとすると、おそらく可愛さ青春感を理想としているおひさまに叩かれる。

そしてもっと厄介なのは、批判することがグループのためになる、と思っている人も、これまた一定数いるところである。
批判を封じ込めようとする動きを批判する投稿もあった。でもなぜ批判を封じ込めようとしているのか、そこがわかっていない。

これから売り出そうというときに、その批判が一体何の役に立つというのだろう。
その批判は、どうなったら日向坂の未来に繋がっていくのだろう。
これから発売する曲を批判して、何がどうグループのためになるのだろう。
こうした方がいい、という提言をそちらがしたとして、それが実現しても結局はあなたの理想が形になるだけで、満足するのはあなただけかもしれないのに。


だから、ここで記事のタイトルに立ち返るのだ。


こうあるべき路線なんかブチ壊せ!しょげかほ!

舐めるんじゃないと。

私たちにこの路線は似合わない?冗談じゃない!
ハニデュ路線だけやればいい?ふざけるんじゃない!
私たちだって、いろんな顔を持つ日向坂のメンバーだ。
勝手に色を決めつけるな。
私たちは、どんな色にだってなれるんだ。

この曲で、勝負だ。


批判的なおひさまの度肝を抜いてやろうじゃないか。



8/19、MV解禁。
仕事が始まっているので大した内容のnoteは書けないと思うけれど、この時点でのSNSの反応が今からとても楽しみだ。

noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。