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楽器可マンションで暮らした話

荒川区と台東区の境目、日光街道と明治通りが交わる街。
町工場の作業車が行き来し、都電が走る、下町の雰囲気を色濃く残した街。
春は桜並木に沢山の桜が咲き、夏はスカイツリーをバックに隅田川の花火が光り、秋は酉の市の屋台が並び、冬は時として雪が道路に降り積もる、あの街が私は好きだった。

住宅街の一角にある楽器可のマンション。上野まで自転車で通える距離とあって、マンションの駐輪場には芸大の指定シールが貼られた自転車が何台か置いてあった。
22時まで音出し可、完全な二重窓の作りで、冬は結露とも無縁の暖かい構造。二重窓は外に対しては良い防音効果を果たしていたけれど、マンション内では逆に響くようで、部屋にいると四方八方から色々な音が聴こえた。
金管楽器、ピアノ、声楽、邦楽。隣に住んでいた偏屈そうな女性は声楽で、メロディのある歌を歌ってくれれば良かったのだけれど、いつも21時半から30分間、ビブラートもりもりのボイトレばかりだった。片や反対側のお隣さんの男性は何の音も立てずに暮らしており、楽器可物件を選んだ理由は何なのだろうと常々思っていた。

大学時代、校舎の前を通るといつも学生会館からいろんな音が聴こえていた。マンションにいるとその頃の感覚が思い出されて、私にはとても居心地が良かった。
平日休みの日、遅くまで寝ているとどこからともなく金管楽器の音が聴こえてきて、一人じゃないんだと思う。そうしているうちに、マンション前の駐車場から週2回やってくる移動式パン屋さんの音楽が聞こえてきて、買いに行こうともぞもぞと起き出したりした。時には餃子の移動販売車が走る音が聞こえてきて、餃子!?とびっくりしたこともあった。
マンションの住人同士での交流はおそらくそんなになかったけれど、雪が積もったある日、雪で作られたアザラシが手を広げている写真がマンションの掲示板に貼られて、『金賞』と書かれた紙で可愛く飾られているのを見かけた。結構長いことその写真は飾られたままになっていて、部屋へ戻るたびに眺めては癒されていた。

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そのマンションに住んでいた期間の半分程度、付き合った恋人がいた。マンション前で眺めた赤い皆既月食。荒川の河川敷で雲間から切れ切れに見えた金環食。お気に入りの焼き鳥屋さんが2軒あって、ローテーションで訪れていた。マンションの下の駐車場から手を振って車で出ていく姿を、ドア前の手すりから身を乗り出して幾度となく見送った。

時が経ち、恋人とも別れて数年が経過した頃、私は実家に戻ることにした。この街はとても好きだったけれど、自分の仕事が忙しくなって部屋には寝に帰るだけの日々が続き、相場より割高なこの部屋の家賃を払う意義が薄れていた。前の年の秋にビビリな黒猫を拾い、実家で飼ってもらうことになった事情も後押しした。
管理会社に解約の連絡を入れて家を引き払う直前、2年ぶりに元恋人に連絡して会う機会があった。久しぶりに行った焼き鳥屋さんは、私が友達と行った時は気づかれなかったのに、彼の顔を見たら「ああ、お久しぶりです」と挨拶した。もう1件の焼き鳥屋さんは少し前に移転していた。
移転したお店のシャッター前まで足をのばし、シャッターに触れるか触れないかの距離でお互いの近況をぽつぽつと話す。元恋人は前年に結婚していた。やっぱりショックで、その時点でもまだとても好きだったけれど、別れはたくさん話し合って出た結論で、仕方がないとしかお互いに言いようがなかった。
後日もう一度だけ会う機会があり、駅のホームで微笑んで別れた。彼との今生の別れは済み、あれから一度もあの街を訪れてはいない。

私の人生の10分の1程度はあるだろう期間を過ごしたあの街と、音楽が常に近くにあったあの部屋は、たとえベランダにやってくる鳩に悩まされようとも、宝物のようなかけがえのない日々だった。
もう一生会うこともないだろう彼との思い出も、記憶にしか残らないあの部屋に閉じ込めて、きっと消えることはない。
どんな結末を迎えようとも、間違いなく幸せな日々だった。

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