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コロナ後、教室での私語対策の意味が変わってしまった話

この、近畿大岡本先生の教室の私語対策、コロナ前に私がしていたこととほぼ一緒で驚きました。ただ、アフターコロナで、このやり方はもう通用しないなとも思っています。(結論は最後の3段落に書いたので、先にそれを見てもらっても良いかと思います)

本年度、大学が対面授業を本格的に復活させるとして迎えた4月。その1回目の授業の後、私は軽く絶望していた。こんなのあと14週もやるのかよ…と。

Zoomなどのweb会議ツールを使ったオンライン授業は、学生が顔出ししておらず、反応が分からないから苦手、という先生は多い。しかし私は、かえって逆にやりやすかった。学生の反応に一喜一憂しなくてよいし、なにより私語対策をしなくてもよいからだ。

コロナになってからラジオやポッドキャストをよく聞くようになった。オンライン授業は、いわばそのノリで授業ができる。自分がDJになったつもりで、学生はリスナーである。授業の感想はお便りコーナーのように紹介できるし、チャットを使えば授業中リアルタイムに学生からの意見も徴収できる。それはまるでオンエア中のメールのようだ。こういうふうに考えると、オンライン授業はやっていて、本当に楽しい!のである。

楽しい楽しいオンライン授業。だが文科省によれば対面でしない授業は大学の授業にあらず(※1)、だし、大学としても「学生は対面授業を望んでいるのだ!」ということで、「対面授業原則」になってしまった。

※1 文科省通達「大学等における遠隔授業の取扱いについて(周知)」

もちろんそれは、大学生の権利として考えてもよくわかる。学費を払っているのに大学の施設を利用できない(しない)苦情や、大学に行かないから友人や先生とコミュニケーションが取れない、という問題はオンライン授業に突入した2020年当初はよく聞かれた。

しかしそれらは、ちょっと検討が必要なのは、授業の質や学習理解度とは少し違う問題であることだ。一番考えなければならないのは、教室で行うのとオンラインで行うのと、どちらが学生にとっての受講環境が高く、また授業の質もよいのか、ということである。

ここで先の、私が第1回目対面授業で軽く絶望した話に戻る。500人定員教室に受講登録者は276名。もちろん全員来るわけではないが、多少欠席したとしても、多くの列が3人がけの席に2人が座っており、全体としてびっちり埋まっている、という感じになっている。まあコロナ前はそれが普通でもあったのだけれど、のんびりとオンライン授業受けていた学生にとっては、窮屈で息苦しい感じもしたのではないだろうか。

そして、私語である。私は授業中の死後を含む迷惑行為への対応について、受講生に毎年、次のように説明している。

・周りの受講生の迷惑にならなければ居眠りなどしていても注意しない。
・おしゃべりは小声でも、継続して話していると周りに迷惑なので注意する。
・おしゃべりしたかったら教室の外でしてほしい。久々に友達にあって話したいということもあるだろうし。授業中に退室・入室することはとくに咎めないし成績状も一切不利にならない。
・あまりに迷惑行為が繰り返される場合は、威力業務妨害に当たると考え、厳しい対応をとる。

たぶんほとんど、先に引用した岡本先生が学生にしている説明と一緒だと思う。また、私の授業は教室で直接聞いていなくても、教科書を見ることで毎回の授業後の小テスト&アンケートを受けることができる。

それらはオンライン通じて、大学のLMS(学習管理システム)から提出するためだ。このため、授業を聞かなくてもデメリットはないし、逆に言えば授業を聞くメリットはほぼ、ない。

それでも教室でおしゃべりをする学生はいる。今回も体育会のおそろいのジャージを着た学生たちが楽しそうにずっと後ろを向いたり横を向いたりしてコミュニケーションをとっていた。

私の担当科目は「コミュニティ福祉論」といって、みんながコミュニティで幸せにになるためにはどうしたらいいのかを学ぶ内容である。だからその学生たちも楽しそうなコミュニティで何より…なのだけれど、いやいや、今は授業中なのでそれは許されないわけで。

ちなみに教科書はこちら↓

しかしひさびさに注意をしてみると、これがめちゃめちゃ疲れる。話している内容は一回そこで途切れ、集中力が切れペースが乱される。もう一回ペースを取り戻すのに時間がかかる。それからも注意した学生がまた話していないか気になる(「外で話していいよ」と言っても、何を意固地になっているのか分からないが、学生達はいつも絶対に外に行かない)。他の学生はどうだろうか。講義をしながら、500人教室の隅々までそんなことに目配りするのは、とてつもなく大変なのである。対面授業が再開して改めて痛感した。

それだけではない。その注意は学生のところまで教壇から駆けつけてするわけだが、マスクをしての動き回っての講義というのは、もう本当にしんどい。常に酸欠状態になっている。息切れしつつ話している先生の話など、学生達は聞きたいのだろうか?そうこうしている間に皆、寝る。撃沈。静かでよいのだけれど、皆が睡眠学習している前で授業するのって、オンライン授業で顔出ししていないない状態よりも、メンタルに来る。

そういうわけで心身にダメージが大きいアフターコロナの対面授業と、私語対策。おまけに授業アンケートでは「教室が暑い」という声続出。あー二酸化炭素濃度も高まって、皆睡眠学習に突入していたのね…と理解。気がつかず申し訳なかったです。いやいや疲れる…

つまり教員の仕事として、オンライン授業の場合は授業内容の運営だけでよかったのが、私語対策・教室の温度調整といった、教室の受講環境の整備までしながらやっていたのである。ただこれは、ビフォーコロナは当たり前だった。しかしオンライン授業を経験した後では、「そんなこと教員の仕事ではないのではないか」と思えてしまうのである。

おまけに(おまけでは全然ないのだが)、対面授業再開にあたって、弊大学からは「授業に理由があって来られない学生」にも、成績状不利にならないよう対応せよ、という厳命が下っていた。それは実に洗練された4種類の書類に基づいている。それらはこんな感じである。

書類A:コロナに罹った、または濃厚接触や感染疑いある場合。欠席扱いでよいが成績状不利にならない対応をせよ。
書類B:コロナに罹って出席停止になった場合。欠席扱いでよいが成績状不利にならない対応をせよ。
書類Ca:コロナに罹ると自身や家族に重篤な被害が想定される場合。対面授業を受けなくてもよいようにせよ。
書類Cb:日本に入国できない留学生。対面授業を受けなくてもよいようにせよ。
書類D:ワクチン接種した場合。授業に来なくても公欠扱いにせよ(欠席にしない)

お分かりいただけるだろうか。私は分からなかった。しょうがないので3回ぐらい読んだ。なんとなくわかった気がした。ではそれらについて、自分の授業での運用の仕方を考えてみよう。どうすればよいか、全然分からなくなった。ちなみに大学が設定している「感染拡大状況のレベル」が上がると全部オンライン授業に移行することになる。それも想定に入れておかねばなるまい。教室でしかできない想定の内容は危険だ。まるで1万ピースのジクソーパズルか、出来の悪い方程式問題のようだった。

X,Y,Z…という学生それぞれにx,y,z…という対応が必要で、日常授業運営a、成績評価項目b,c,dについて、=(ax+bx+cx+dx)(ay+by+cy+dy)(az+bz+cz+dz)…の解を求めなさい。ただし感染拡大への対応レベルが2から3になったときにはaはa’、bはb’になるものとする。なおxは毎回受講生300人中1%の確率で提出されるものとし、yは1〜3人から申請されると想定した時の授業形態の最適解を求めよ。なお感染拡大で授業形態が全面変更求められる可能性は毎月10%とする。なお講義授業は2つ、演習授業は4つあり、それぞれに求めよ。(立命館大学 2022年 授業運営問題)

そもそも、対面授業への原則移行としながらも、配慮が必要な学生のために同時にZoomをつないでオンライン配信をしなければいけないらしかった。結局、ハイフレックス(ハイブリッド)授業である。したことのある方ならばお分かりだと思いますが、教員1人でハイフレックス授業をするというのは、単純に対面だけ、オンラインだけよりも、格段に難易度が上がるのです。教室での話に興がのって、気がついたらZoomの方は画面共有をしていなくて学生置き去り…なんてことも。チャットに気付くのもハイブリッド授業では至難の業である(ちなみに前述の授業で私語を注意していた際、マイクをオフにしていたらZoomの学生からは「???」というチャットが飛んできた)。

当然、オンライン・授業、対面オンリーの授業に比べて、授業の質は落ちてしまう。

つまりアフターコロナの対面授業では、オンライン授業に比べて、教員の負担度が格段に大きく、それに対して得られるもの(授業の質)は少ない。学生だってオンラインだったら友達と受講しながらおしゃべりーそれは授業内容の理解を深めるのにも役立っていたかもしれないーもできていたが、教室に来たら咎められてしまうのを、不便に思っているかもしれない。なにより1時間半も黙って机にずっと座っていなければならないというのは、オンラインを経験すると、なんて辛いことなのだろうと思ってしまう、かもしれない。

オンラインを通じて授業をリラックスして受けられていたのに、やたら緊張と不愉快な環境である<教室>に強制的に押し込められる。監獄の誕生。ディスタンクシオン。ああ無情。いったいどちらの方が人間的であり、また快適かつ効果的な学びの環境なのだろう?

そしてその授業後、私はふらふらだった。いや、へろへろだった。いや、よれよれだった。マスクで酸欠・私語対策・ハイブリッド対応。オンラインに比べ、思ったように進まない授業。いまいちノレないしゃべり。室温・空調管理もできてなかったらしい。そして、終わってからぽこぽこぽこぽこメールで届く「授業配慮申請」。ひとつひとつ詳細に読み、誰に何をするか適切的確に判断せよ!なおこのメールは10秒後に消滅する。幸運を祈る。

えっこれ一人でやるの?これからも?できて当然?あー無理。もう無理だ…

今後の私の授業運営をどうするかはともかく、ここで結局言えるのは、教室での私語対策は、アフターコロナではもはや「対策すること自体が馬鹿馬鹿しく、また授業運営上、必要悪ですら無くなった」ということではないか、ということです。それを折り込み済で行っていたコロナ前の対面授業にそっくりそのまま戻ることはできません。

じゃあどうしたらいいか。いち教員が行ういち授業の工夫では限界があって、大学や文科が理解してくれないと難しいことです。例えばハイブリッドには補助教員(ティーチングアシスタント等)をつけてくれないと、対面オンリーに比べ授業の質は確実に落ちる(それはオンラインだけでなく対面で受けている学生にとっても)。いやそれはやり方や慣れの問題では?と言われるかもしれませんが、それは教員の負担を極大化させ、ものすごい力技でイーブンに持ってきているに過ぎないことを理解してほしいと思います。

「オンラインでは私語での迷惑はなかった」ということに気がついた教員・学生がアフターコロナに最適化された授業形態を模索できるよう、文科と大学には規制緩和と支援をしてほしいと思っています。

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