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拝啓


うめや(赤胴焼店)様

皆「遠軽はつまらない、何もない」と言い、
赤胴焼が閉店する話題が身近な人の間で出た時も、「そうなんだ、残念だけど仕方ないよね」で、終わりだった。

「残念だけど仕方ない」が、この街に住む人間の口から当たり前に出てくることが本当に悲しかった。
きっとこれまでもこれからも「残念だけど仕方ない」の言葉で、町が廃れていくことが正当化されていくのではと感じた。

私はこの街も赤胴焼の存在も、どうなってもいいと思っていない。
大切な帰る場所や好きなところだし、この先この地域で生きていかなくてはならない人たちが少しでも地元に誇りや夢を持てる場所や文化、繋がりがあってほしいと思っている。

赤胴焼はまさにその場所で、この街の文化で、人と人の繋がりを広く作り出していたように
私は感じている。友達、家族、お客さん、共通言語というか、みんなが愛する味というか。

お二人のつくる赤胴焼は作ることは出来ないことはわかっている。
変わったという人も、離れていく人も、いるかもしれない。
それはとても悲しいし辛いこと。

でも、それよりも、このまま月日が経って、シャッターにはられた閉店のお知らせも剥がれ落ちて、ここに赤胴焼きという、多くの人に愛された食べ物があったという事実も、思い出も、赤胴焼という名前も、人の記憶から消えていき、なにもないのが当たり前になってしまうことの方が悲しいと思っている。

私(達)に、引き継がせてくれませんか

                                  ふかいさくら



今まで書けなかった。自分の存在価値もリアルガチゼロ以下だと思ってたし、この街も腐ってやがると絶望していた。どっか、やりやすい地域でやりたいことやろうかとも思った。けど、切り離せなかった。ただ、生まれて育っただけなのに。この3年で、誇れる仲間も場所も居場所も沢山見つけたのに。

それでも、居心地のいい札幌から遠く離れた、少し憎んですらいる地元を誇りたいと思うのは、何故なんだろうね、ねえ。人間だね。

街をつくるのは、人間。この文章を読んでいる人も、人間。1秒後の未来もわからない世界、どうせ生きるなら、少しでも心地いいように生き合いませんか、一緒に生きてくれませんか、あ、あけましておめでとうございます


日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!