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もう東京には帰らないかもしれない

転職のために東京を離れて、8年が過ぎた。
東京には家族も友人もいるし、美味しいものやお洒落なもの、なんでもある。私は東京で過ごす時間が好きだ。
でも、おそらく今後、自分から進んで東京に住むことはないだろうと思う。どこにでも住んでいいと言われたら、迷わず大阪を選ぶ。
最近特に強くなってきたその気持ちについて、少し具体的に言語化してみる。

その前に、私と東京との関係(?)を簡単に書いておく。

私は東京で生まれ、30歳まで東京で育った。
ただし父親が転勤族だったため、1つの場所に定住していたわけではない。今ある実家にも、6年ぐらいしか住んでいない。中学から私立に行ったこともあって地元の友人というものはほとんどおらず、東京に帰って遊ぶ相手の大半が大人になってからの友人である。また、両親とも東京の人間ではない。
こういう生い立ちで「東京が地元!」と言い切るのは少々うしろめたいのだが、しかし30歳まで東京23区以外を知らずに育ったのでまあ、「東京が地元」ということにさせてほしい。

そんな私が東京を離れ、大阪に永住したいと願うに至った理由を挙げてみる。

東京の家賃エグい

恥ずかしながら、私は東京で暮らしていた間ずっと実家住まいだったため、東京に住むということのコストを本当には知らなかった。
大阪で一人暮らしをはじめてようやく、「東京にひとりで住んでる人たちエグいな!?」と理解した。え、みんな、私と同じお給料で東京で一人暮らししてたの?どうやって…??
東京の家賃の高さなどいまさら私が語るまでもないのだが、とにかく衝撃を受けた。

私が勤める会社にも東京勤務の部署はもちろんある。
地域ごとに家賃補助のグレードが決められているため、もし東京に異動となれば家賃補助の金額はいまよりも上がるが、しかし実際の家賃の増え幅はその比ではないと思われる。
多少補助が増額されたところで焼け石に水すぎない?割に合わなくない??
…と考えると、東京転勤はかなり切実にイヤである。

東京、広すぎる

家賃の高さとも密接に関係するが、東京にいると基本的に行動範囲が広がる。広げざるを得ない。
たとえば職場が銀座にあったとして、通勤に便利だからと銀座に住める人はほとんどいないだろう。
よくて30分、下手したら1時間半くらいかかるところに住まなくてはならない。
私の実家の所在地は周りに言うと「良いところだね」と言われるし、自分でもそう思っていたけれど、それでも通勤には30分以上を要した。銀座あたりで飲んで終電を逃すと、タクシー代は7000円前後かかっていたと思う。

大阪なら、私のような普通の会社員でも、住もうと思えば梅田からチャリ圏内のところに全然住めた。飲んでタクシーに乗っても2000円かからないし、なんなら歩いて帰ったりしていたので、もはや終電という概念があまりなかった気がする。

住まいを抜きにしても、東京という街自体がとても広い。大阪だと梅田、せいぜい難波(梅田から地下鉄10分)でたいていの用事が足りるのに対して、東京には大きな繁華街がたくさん散らばっている。「都心」の範囲がべらぼうに広いのだ。もちろん便利でありがたいことなのだが、用事に応じてあっちに行ったりこっちに行ったり、がなんだか面倒だなと思うようになってしまった。

東京、人が多すぎる

私は元来雑踏が好きだし、いま住んでいる地方都市は人が少なすぎていつも心細いが、それにしても東京は人が多すぎるのではないか。
ターミナル駅だけではなく、どの小さな駅で降りても、よくもここまで人がいるものだとなんだかびっくりしてしまう。まあ、私が帰るのが週末や連休ばかりだから、というのもあるのだが。
山手線なんてあんなに頻繁に来るのに、どの列車もきちんと混んでいる。すごい。
大阪の駅や電車ももちろん人は多いが、比較しても東京はもう一段混んでいるように思う。あと、大阪は基本的に電車が混んでいる区間が短い。朝の御堂筋線でも、梅田駅はすごいラッシュだけど、本町(梅田から5分)を越えたら結構すく、とか。
(そのぶん大阪の人は混雑に慣れていないというかマナーが確立されていないというか、私からするとラッシュ時の電車なんかは「もっと詰めればもっといっぱい乗れるのに!」と焦れったく思うときもある。笑)

私は「東京人」になれない

実を言うといままでの理由は全部後づけというか、些細なことで、いちばんのダントツの理由はこれである。
東京から出てみて分かった。私は「東京出身者」ではあるが、「東京人」ではない。

東京は、全国津々浦々から人が集まる街だ。
その人たちは地元でもとびきり優秀だったり、故郷を離れたいと思っていたり、東京で叶えたい夢があったり、会社から東京での勤務を命ぜられたり、様々な事情があるのだと思うがとにかく何かしらの志を持って東京に来ている。はずである。
東京ってそういう、「東京人になる」ことを決めた人たちが意志をもって創り出し、支えている街なのだ。
中でぬるま湯に浸かっていたときには見えていなかったが、一度外に出てみたらそのことがはっきり分かった。

「東京人」として東京に参加するには、エネルギーが要る。
どこに住んでもお金がかかるし、どこに行くにも結構遠いし、どこに行っても人が多いし、道ゆく人たちはみんな身綺麗だから自分もそうでなくてはと思う。日常生活にかかるコスト(お金だけでなく、費やす体力とか気力とか)が高い。基礎代謝が高い。変な比喩だけれど、なんていうか、普段から足に錘をつけて生活しているような感覚。
かつての私は、地方出身者である両親も含めた「東京人」が日々そうやって形を保ってくれている東京に、それと気づかず甘えて暮らしていたのだ。

もちろん東京で育って、そのまま自立して「東京人」になる人もいる。友人たちの大半がそうだし、私の弟もそうだ。
でも私は、出遅れたせいかもしれないし怠惰なせいかもしれないが、「東京人」として錘をつけて走り出せる気が全然しない。
外から見る東京は大きくて美しいけれど、いまから自分がそれを創り支える一員になりたいとは思えない。

私にとって大阪は、何もない自分自身でいることを許してくれる場所だ。街のサイズ感も適度な人混みも、清潔さと猥雑さが同居した雰囲気も、知らないおっちゃんおばちゃんが突然馴れ馴れしく話しかけてくる距離感も。
大阪人の元夫と離婚した今、大阪には何の縁もないのに、それでも自分の根を下ろすならここだ、と思う。
何が良いとか悪いとかではない。たぶん、人それぞれに合う街や土地というものがあるのだろう。


以上は現時点で考えていることなので、もしかしたらまた変わるかもしれない。
住みたい街に新しく出会えるかもしれないことも、人生にまだまだ選択の余地があるということも、すごくいい。

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