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二十二歳とか。

満員電車に揺られて家に着いたのは二十二時四十分で、四角い鞄を投げ出して真っ黒スーツのままぼうっとしていたら二十三時二分になっていた。固いパンプスを脱いでぐにゃぐにゃだった床はもう魔法が解けて元通り。今日は散々だったな。
ちょろっと行っておこうなんて軽い気持ちの説明会には電車が遅れて遅刻して、連絡をとったりなんだりしたわりに内容は想像通り興味なくて、メインイベントのはずだった面接は、けっこう狙ってたところだったのになんだか疲れちゃって手ごたえなんてないし。お昼ご飯は食べ損ねてカロリーメイトのゼリーのやつ。夕飯はいいもの食べようと思っていたのに帰ってきたらこの時間で、そんな元気もない。
散々だ。さ・ん・ざ・ん。ちりぢり、とも読める。わたしの、普段はひとつにまとまって「わたし」をやっている意識みたいなものが、解散してしまった。だからここにはもう残りかすの「わたし」くらいしか残っていないのだ。
ストッキングを脱ごうとして、爪に引っかけてビリビリと破いてしまう。さ・ん・ざ・んだから仕方ない、かな。七百円で三足入りが、安いのか高いのか分からなくなってしまう。爪くらい自由に伸ばさせてくれよ。ああもう。
将来の夢は幸せに暮らすことですなんて、誰にも言えなかったけどずっと思っていたよ。初詣で毎年お賽銭のあとの手を合わせる時間に、あの空白の時間にいつも祈っていた。お願いですから神様、わたしはいっぱいじゃなくて、ちょっとだけでいいから死ぬまで幸せに暮らしていきたいです。なのに、いったいこれは、叶っているのかな? 口に出して言えないような将来の夢は、言えなかったから、だめなんだろうか。
二十三時五十八分、今日と、明日がじわりと混ざり合ってすうっと移り変わっていく気配。意識を保ったまま日付を跨ぐことができるようになったのはいつだっだか覚えていないし、夜と朝を繋ぐのがこんなに大変だと感じるときがくるなんて誰も教えてくれなかった。
キッチンの下の棚からリキュールの瓶を取り出して、スプーンにほんのちょっとだけ流して、ぺろりとなめる。アルコールのにおいがして、ゆっくり息を吐く。
ここに引っ越してくるときには、とっても素敵だと思っていた小さな天窓には、星も月も映らない。わたしの部屋には星も月も昇らない。うさぎも来ない、ぴょんぴょん。そんなの分かってたはずなのになあ。いつもただ真っ暗な天井の穴を見て落ち込んでしまう。
もっと頭が良かったら世界をもっと楽しめたかもしれないし、もっと頭が悪かったら世界はもっと美しかったかもしれない。でもわたしがわたしじゃなかったら、世界なんてなかったかもしれないのだ、たぶん。
だからさ、残りかすのわたしは明日も生きねばならぬ。星と月の見える部屋に住む前に世界を滅ぼしてしまうのはちょっとムリ。あくびをしていたら天窓に流れ星が流れてさ、寝ぼけただけだったのか本物だったのかしばらく考えて、そのうちに涙が乾いてしまうような幸せな暮らしをさ。神様はまだちょっと遅刻しているだけかもしれないし。
床に座って上を見上げてスカートが捲れあがって足が丸出しで、ジャケットとシャツはちゃんとしたまんまだから、ビデオ電話がかかってきても大丈夫。上を向いて歩いたらコケちゃうから、座ってた方がいいよ。頭をごろんと後ろに倒して、お風呂もベッドもなんにもいらない。誰かの誕生日プレゼントに、どうぞ。
今日はとっくにもう明日になってしまったので、明日とわたしがおんなじところにいるっていうこと。これはとっても不思議だ。だってそしたら今日はどこへいったの。
ぴょんぴょん。
ああ、うさぎのところか、それならいいや。青いお空を永遠に知らないうさぎのところで、楽しくモチついて暮らしたらいいよ。そんな遠くにいるなら、わたしなんかの手には届かない。流れ星の背中に乗らないと、行けない。
暗い天窓、かなしいかなしい。でも、ぱちん、とこうやって電気を消しておけば、朝になったら太陽が見えるからそしたら太陽だって星なんだし、それでいいもん。羨ましくなんかないよ。
暗闇で何も見えないとき、世界がほんとうにあるのかなんて誰にも分かんないんだ。しわくちゃのスカートをクリーニングに出さなきゃいけないことは、分かるのに。クリーニング屋さんがちゃんとご飯を食べられるように、たまにはこうやって眠る日が必要だ。不確定な世界で、角を曲がった瞬間クリーニング屋さんがちゃんとあったら、ニコニコして喜んだっていい。お祝いにケーキを食べたっていい。ケーキ屋さんはケーキを売ってお魚とか食べてるから、ちょっと変だ。

将来の夢は魔女とケーキ屋さんとお花屋さんと……やっぱり全部取りやめにして、幸せに暮らすこと。

なんだ、そうか、そのための今日だったね。

神様は真面目に働いている。ごめんね気付けなくて。神様も面接とか受けて、採用されたのかなあ。

ふぅ。

まぶたをとじたらつきのうさぎがまわってきえた。

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