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過介入

介入し過ぎるということは、先回り自分の考えを伝える。 自分の考えを伝えると、まずはその通りのことをしようとする。 人から言われたそのことをやるから挑戦がない。 挑戦をしないから、失敗をしない。 失敗をしないから、考えない。 考えないから、学びがない。 学びがないから、成長をしない。 考えれない・成長をしていないから介入し過ぎる人がいなくなったとき、路頭に迷うことになる。 1人暮らしは突如やってくる。 学びが少ない状態でいきなり1人だぜ。 こんなんでいいの?

    • 我慢

      もうすでにいろんなことを体験している人に対して やってあげることは手助けになる。 まだ体験したことが少ない人にやってあげることは、 成長を妨げている。 成長を考えた『手助け』をしたいものである。

      • 環境

        怒りっぽかったり、不満ばかり言ったり、 いつも笑顔だったり、いつも楽しんでたり。 すべては、育ってきた、生活してきた環境に左右されている。 いい環境を整えなければいけないと考える。

        • 成長

          失敗をする、失敗をさせる、失敗を許容する。 これをやることが成長する一番の近道だと考える。

          投資

          いまこの商品を買うのか、買わないのか。 いまこの体験をさせるのか、させないのか。 いまここで手を差しのべるのか、差しのべないのか。 この時に『未来に投資となるのか』と考えると、 どうするべきか判断しやすくなる。

          作用

          まずは自分の意見を伝える。 その上で、相手の意見をうかがう。 少なからず上下関係の立場がある場合、 相手の本当の意見や考えを聴けているのか? まずは、聴き手に徹したいものである。

          自分の人生

          『自分の人生の責任は誰もとらない』 自分しか『責任』をとらないのであれば、 自分の心の声とちゃんと向き合って選択していかなばと思う。 また、そのように導いていかねばと思う。

          自分の人生

          ちょっと教えて

          「ちょっと教えて」と言っただけなのに、 違う道具まで持ってきてすべてやりながら教えてくれる。 良かれと思ってやってくれているけど、 こちらの「ちょっと教えて」はきいてくれないの? 他人の課題に「土足で踏み込まないで」とつくづくそう思う。

          ちょっと教えて

          差しのべ『過ぎる』

          当人が求めていないので、先に差しのべる。やってあげる。 差しのべる側は親切心でやっていると思われるが、 当人を信用していないこと、 ある意味強制・強要をしていること、 当人の成長の機会を奪っていることに まったく気付いていない。 また、自分の親切心を満たすためだけにやっていることにも 気付いていない。 本当に当人のことを想っているのであれば、 見守り、救いを求めてきたときだけ 手助けできればいいのでは?

          差しのべ『過ぎる』

          辞める。

          ルールとしても、空気感としても 辞める・離れる(移籍する)ことが、もっと柔軟になることを願う。 辞める・離れることが安易にできないから その会社、その団体、そのチームのトップは、 辞める・離れることができないことをいいことに、 横暴・横柄な運営や関わり合いをおこなっていく。 辞める・離れる(移籍する)ことがもっと柔軟になれば、 その会社、その団体、そのチームから人はいなくなる。 人がいなくなって困るのは、その会社、その団体、そのチームのトップ。 変化・進化で

          辞める。

          どちらも原因

          相手が「物的に扱われている」と感じ取ってる時点で、主従関係、従順になってしまっている。 発言をしても受け入れてもらえず...、の繰り返しでこのような関係になると考えるが、そんな関係になればすぐに辞める・離れれば良いが、辞めない・離れないからこのような関係になっている。 このような関係になっているのは、離れたくても離れないでいるから、離れない側も主従関係を構築する一員となってしまっている。

          どちらも原因

          指導者

          チームとは、個々人のプレイスタイルや個性を生かし、組み合わせて作り上げていくものだと考える。 だが、ある指導者はご自身の頭の中にある理想とするチームに選手達を当てはめていくパズル的な考えでチーム作りを考えている。(そのように誘導する発言が見受けられる) 育成段階の選手をそのような考えをもと指導していっていいものなのか? それが『指導』と言えるものなのか? (『指導』ではなく、ほぼ『指示』となっている) あなたのその考えは、ご自身の中だけに留めておけば別に間違いではない

          怒り

          怒っていることを伝えてこないけども、 いつもと違う態度や対応で「わたし怒ってますよ」とアピールする。 『怒っている』ことの理由はわかるけども、 伝えてこない以上、わたしは知りませんよ。

          価値

          昨日からいろんなことを考えたけど、行く価値、買う価値、使う価値などそこに『価値』がなかったら興味も持ってもらえないし行動も起こしてもらえない。 ある物が1,000円で売ってある。 ある人は高いと言って買わない。 ある人は安いと言って買う。 その基準はその個々人の価値による。価値とはその人にとって大切なこと。 高くても大切(必要)であれば買う。 手間が掛かっても必要なら作る。 お金や時間が掛かろうとも楽しいから行く。 存在していれば関わりを持ってもらえるそんな時代はもうと

          信頼

          ひと昔前はみな一律に同じことをやったり同調空気でやっていたりしたから人が集まったり寄ったりすることは容易だったけど、今の時代は皆と一緒でなかったり同調空気が薄くなってきたりしているから人を集めたりするのは容易ではない。 ではどのようにすればいいいのか、どのような判断基準があるのか考えると、今の時代やこれからはとにかく『信頼』でしか繋がらなかったり、始めれなかったりすることを強く感じる。 「昔は違った」「入ってみればわかる」とひと昔前の考えや想いはもう通じない。 とにかくい

          期待

          【期待】 《名・ス他》ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。将来それが実現するように待ち構えること。 『期待』とは、期待する人が結果を勝手に想像し待ち構えている。 期待をよせる人が良いも悪いも結果を出す(結果が出る)。 その結果は、期待する人が勝手に想像した結果だった場合はいいが、そうでなかった場合は不満となる。そしてその不満は本人に伝わる、伝える。 期待する人が結果を勝手に想像することは別に構わない。 だけどもその不満や想いを本人に伝えることはあ