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あなたは"たこわさ"を選べるか?

日本人は、みんなと一緒がいいと思う国民性を持っている。いわゆる同調性というやつだ。
みんなと違うのがいやだ、みんなと同じでありたいと考えてしまう傾向にあるという風に言われている。
確かにそのように考える傾向があることはなんとなく分かるが、僕はみんなと同じでいることにあまりメリットを感じない。むしろ危険とさえ思っている。安定とか安心とかを求めて同調していると、個性がなくなってしまうように感じられるからだ。自分の個性を殺してまで周りと同調するくらいなら、僕はのけものにされてもいいから自分の人生を生きたいと思う。やはり、自分の人生というものを捨てるという選択を僕はどうしても捨てることができない。
では、その自分の人生とはなんなのか?ということについて考えてみたい。自分の人生の対になるであろう他人の人生と比較してみる。

まず、
自分の人生=同調しない
他人の人生=同調する

ということが言えるだろう。
ここで、人間は異なる考えなどを持っておりそれぞれに違いがあるということを前提としておきたい。その前提を踏まえると、自分の人生を生きるときには周りと違うことをすることになる。例えば、あなたの1番好きな食べ物がたこわさだったとしよう。多くの人々は好きな食べ物といえばカレーライスやハンバーグなどをあげるだろう。周りがそのように考える中、自分を貫くならば周りとは全く違うたこわさを選ぶことになる。例は極端かもしれないが、自分の好きなことを選ぼうとするとほぼ間違いなく周りとは違う道に行くことになる
逆に、同調することが他人の人生を生きることになるということが分かりづらいと感じなかっただろうか?ブームは過ぎ去ったがタピオカが一時期爆発的に流行った。全く興味がない人でも一度は飲んだことがあるだろうし、毎日のように飲んでいた人も少なくないだろう。ただ、これらの流行やブームに同調するということは誰か作り出した流れに乗っているだけに過ぎない。タピオカが好きすぎてタピオカ学の専門家になるとかのレベルになると話は変わってくるが、みんな飲んでるから私も飲もうという考えでいるならば他人の人生を生きているだけである。みんなはタピオカ飲んでるけど、私はカレー飲もうかな、くらいの気概を持つことが自分の人生を生きるということなのである。

また、違う見方もできる。
自分の人生を生きる=創造する
他人の人生を生きる=消費する

という視点である。テレビやYouTubeなどをみて時間を消費することはほとんどの場合、他人の人生を生きるということになる(勉強のためにそれらをみているならば自分の人生といえるかもしれない)。反対に、自分で何かを創り出すことは自分の人生を創り出していることにほかならない。何を創るかが問題なのではなく、とにかく自分の好きなことであったりやりたいことを形にすることが必要なのだ。学校の授業なんかは違いが出やすい。ほとんどの人は先生の話を聞くだけで授業が早く終わってほしいと考えるだろう。しかし、一部の人々は積極的に質問をしたり、先生の話を聞くだけではなく自分で調べて学びを深めたり、授業なんてムダだと考えて放課後の部活のために練習したいプレーなどを考えるかもしれない。前者はただ時間と体力を消費しているだけだが、後者は自分に時間と体力を使って何かをしようとしている。それが自分と他人の人生を分ける少しの違いなのだ。その違いが大きくなれば、スティーブ・ジョブズ氏が創ったiPhoneのように多くの人々に消費してもらえる莫大な影響力を生み出すことができるかもしれない。

これまでの話をまとめると、
自分の人生を生きる=周りと同調せず創造する
他人の人生を生きる=周りに同調し消費する

ということになる。このときどちらの道を行くのかは人それぞれだと思う。自分の個性を大事にしたければ前者であるし、周りに流されないのはムリだと思えば後者である。
僕個人の考えではあるが、日本人は後者の数が圧倒的に多いと思う。でも、その中には前者になりたいと思っている人もかなりの数いるのではないだろうか?周りの影響というのは人の性格を変えてしまうほど強力なものではある。しかし、その影響に負けてしまっては一生自分の人生は生きられない。ほんの少しでもいいから何か自分がやりたいことを始めてみるのがいいかもしれない。意見が周りと違ったときには同調しないようにすると決めるだけでも、かなり大きい変化になるはずである。
いきなり大変身することはない。少しずつ少しずつ変化していって、徐々に自分の人生を取り戻していけばいいのだと思う。

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