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好きって気持ち一つできっと救われていくから

ああ好きだなぁという感情はいつもうまくいえずに、涙がただぽろぽろこぼれていく。

今回は、私の人生にたしかに何かを残したと感じたドラマについて、忘れたくないから記そうて思った。
もし、この作品に携わった方に届いて私のありがとうの思いが伝わったら嬉しいし、誰かが共感してくれたなら嬉しい、そんなわがままな想いをそっとこめて。

「初恋の悪魔」は、好きな役者である林遣都が主演だし仲野太賀も!楽しみ!みる!てテンションで見始めたのだけど、回を追うごとにどんどん物語が自分の心臓に食い込んできて。まさかこんなに自分の魂を揺るがしてくるとは想像以上だった。(ミステリーやコメディ、と番組が宣伝されていたから気軽に楽しむ気満々で、これほど人生について考えさせられるドラマだとは、やられた、いい意味で、打ちのめされた。)沢山泣いたし笑ったし、なんだろう、その全部抱きしめたくなるくらい素敵な物語だった。

まだ最後まで観てないけど気になってる、興味湧いてるぞ、て人はここからはネタバレがっつり含む、て感想の手前までよかったら読んでください。(こっからはネタバレありってちゃんと線を引くので)

好きで好きでたまらないものってどうにも胸が詰まって言いたいことは沢山あるんだけどうまく言葉にならなくて、ああもうもどかしいなあって思う。どうして愛しい、て伝えたくなる時、こうも心の臓はぎゅうぎゅうと痛くなるのだろう。
恋愛のはなしみたいになってしまった。でもこのドラマに恋しちゃったんだ〜て言っても過言ではないかもしれない、なんて思ったり。

この作品は、ミステリーというジャンルのベールをかぶってはいるけれど、その中には一人一人が、自分という人間のまま生きていく上での葛藤とか、色んな生き様、信念や迷いや怯え、交錯する人のやさしさ、出会いや救い、数えきれないほどの単一の言葉で表せない感情がぎゅうっと詰め込まれていて。だから何度も丁寧に観て様々な登場人物、立場からこの世界に触れたくなる。そういう人々の出会いや意志、ありのままの人間らしい姿に、みればみるほどのめり込み、彼らが愛おしくなっていくドラマだ。

この作品の紛れもなく主人公である林遣都演じる鈴之介の、不器用だけど一所懸命に歩いていく、成長していく姿は、うまく生きられないなぁて膝を抱えて一人で泣く人や、周りと違って変なのかなって悩む人、色んな生きづらさを抱える人間にきっと刺さる。救われたり勇気をもらうんじゃないかと思う。
少なくとも私はそうだった。この脚本に、言葉選びや表情に、素晴らしい役者たちの魂が宿った役の生き方に、心を照らされて、だから微笑んだり涙が止まらなくなったり、もうわけがわからなくなるくらい感情ごちゃ混ぜになって、大好きだよっていっぱい言いたいくらい、10話全て見終わり幾日も経ってもなお、余韻にぼんやりと浸っている。

ここからは最終回を観た上での想いをさらに書いていくので、まっさらな気持ちでまず作品を先に観たい方は、この続きの感想は終わってからぜひ!
(Huluで全話見られるみたい、1話は無料だったかな?回し者ではないけど一応書いておきます笑)



正直、最終回見終わった後の感覚は放心状態に近くて。喪失と同時に温かさもあって涙が滲む、登場人物一人一人、情が湧いていってみんながやさしすぎるからこそ切なくもあって。人生てきっと、寂しい別れはいっぱいあって、でも幸せだったことをなかったほうがよかったなんて悲しいことをどうか言わずに、世界の端っこでうずくまっている人が何かに救われて生きていけたらいいなと思った。
そう、きっと私は私に向けて言いたい。寂しかったこと、悲しかったこと、全部抱えていったらこの世界で息をするのはとても苦しい。
だけど、自分が自分らしくただこの世界で一所懸命歩き続けていたら、いつかきっと何かに出会える。何度も出会ってそして別れて、ひとりぼっちになったとしても、大切な人とずっとそばにはいられなくても、記憶があって、誰かに対する好きだという気持ちがあって、それは決して孤独なことではないのだろう。まだ自分の心の行き着く先が言語化しきれなくても、そんなふうに思えた。

「自分らしくしていれば、いつか未来の自分が褒めてくれる。僕を守ってくれてありがとう、って」

5話で鈴之介に向けて伝えられた、とても好きな言葉。この回から彼に共感する感覚が加速していって、この時は過去の私自身も、未来の私に救われるような思いがして、胸がいっぱいになった。


この物語が最終回を迎えると同時に、秋が訪れ始めていた。夜道を何となく歩いていて、ふと、風がふわっと頬をかすめていく心地よさの中で、彼らの笑顔を思い出しては涙が滲みそうになる。
今まで心身の痛みに爪を立てるように足掻くばかりの時だってあったけど、少しずつでも変わっていけるかな。
自分のまま、そのままの私で生きていくことを少しずつでも許して、ずっと生きていけば、いつか私をやさしく笑って抱きしめてくれる未来の自分にもちゃんと出会えるかな。そうやって考えながら空を見上げる夜ふけは、今までよりももっと柔らかい気がした。

自分を守って生きていくことを、許してくれる存在とは、とても温かな失くしてはならないものだと思う。目に見えるものはいつか消えてしまうかもしれないけど、私の魂が覚えてくれているなら、記憶は、誰かや何かは決してなくならない。
愛しているとか好きだとか、心の底からのありがとう、を伝えたいと思えるような対象がもしいたらそれは奇跡だ。そしていたとしても、ちゃんと言葉にしたり表すことはとてつもなく勇気がいることだと思う。
人って全然強くないし、怖いから傷つきたくないから、言葉を借りれば「安全地帯」から動かずにいることだって沢山あるし。生きること、関わっていくこと、思い出を大事に、嘆かずにやさしい気持ちで日々に向かっていくのって、単純なようで、時にはひどく絡まったり複雑で難しくって。
でもだからこそ、自分が「特別」だと思える何かに出会えた時、未来の自分に幼いまま動けずにいた自身をみつけてぎゅって触れてもらった時、救われて生きていけるんじゃないかと思う。いつの間にか、がむしゃらに生きていたら遠くまでやってきていて、ああ、「遠回り」して、出会えてよかったなぁって、泣きたいほど愛せるものに巡り合える瞬間があるのだろう。
この世界は結構意地悪で、当たり前だけど何もかもが報われるわけじゃない。悲しい現実に突き当たることだって、生きていれば、知っていけば、この世には沢山ある。
それでも、私はこの作品に触れた時、心を動かされて、自分の愛せなかった一部が救われたような気がして、私が私のまま生きてきたことに、意味があるように思えた。遠回りばかりで、躓いてすぐ俯く自分が、厄介者のろくでなしのように思える夜がずっと嫌いで、ああでも、今は、なんだか少しだけ。

鈴之介が「大丈夫」と言っていたから。彼のその寂しがりやなくせに不器用で、素直じゃないけど誰よりもまっすぐで、無邪気に笑ったりそれでいて大切な人を救う強さや最後に「ありがとう」と力強く言える姿に、胸を打たれたから。
私も共にこの作品を通して人生の長い旅をしたような気持ちになって、きっと未来の自分は私に大丈夫、とありったけの笑顔と抱擁をくれるのだろう、と強がりや願望ではない、勝手なる確信めいた気持ちで、これからの幾つもの夜を迎えようと思うのだ。
風が気持ちいい夜にはとびきり笑って。
誰かと時に素敵な遠回りをして、一人に思える日にもどうか、スプーン一杯分の宝物を溢さずにもっていて。
忘れそうになったら私はまた私に、何度でも言うよ。自分らしく生きていれば、大丈夫だって。


写真:深月さん


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