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さかさ近況②

今日も近況を書いていく。

かぐやSFアンソロジー関係でしゃべった

 ニガクサさんと一緒にアンソロジーの作品のことなどについてしゃべった。一週間ぐらい経ったが、未だに聞き直す勇気がない。しゃべってる内容はバゴプラさんの方で丁寧にまとめていただいたので、ごめん、それでじゅうぶんです。

「フラミン国」を朗読した

 これではイカンと思い、マイクの調整も兼ねて「フラミン国」を朗読した。自分で言うのもなんだけど、けっこう朗読に向いている作品だと思う。
 マイク環境は、Logitecの安いヘッドセットで、TwitterはスペースをPCで開けない仕様なので、コンピュータ上にBluestacksで仮想Android環境をつくっている。地声が好きではない(し残したくない)ので、ボイスチェンジャーソフトも使っている。ソフトは恋声で、仮想オーディオはYAMAHAのものを使わせてもらっている。

ノイズと言うより、途中途切れるというか、変換がやや安定していない感じなのが気になる。研究したい。

 「フラミン国」は自分でも好きな作品だ。これはあくまで「現在」のことを書いたように見えるけど、新聞記事の日付をちゃんと読み解くと、実は未だに到達していない(しかしいずれ到達する)未来だということがわかる、ちょっとした仕掛けがある。阿部和重氏の『ニッポニアニッポン』(新潮文庫)なんかでも使われている手法だ。

 朗読自体はとても好きなので、機会があればまた挑戦したい。読んだら楽しい作品があったら教えて欲しい。

公募がイマイチ

 今年は太宰も二次まで行けなかったし、創元も一次どまりだった(2つ通ってたのに…)。傍から見ると私はポンポン賞をとっているように見えるかもしれないが、打率は結構低めだ。
 私はそもそも(再び)書き始めて2年も経っていないので、たぶんストックがたくさんある。ネタとかそういうことじゃなくて、なんだろう、書く体力みたいな感じのストック。その瞬発力で書き散らしたものが運よく評価された部分はこれまであった。
 でも1年ちょっと続けてみて、自分に合ってそうな賞とかはなんとなくわかってきた(気がする)。そして、そいつらを倒すためには、じっくり腰を据えて書く時期にきたな、という感じもする。私は貧乏性なので、締切が近い賞があるとつい出したくなっちゃうんだけど、自分のリソースは有限なので、そこらへんは体調管理のようにマネジメントしていく必要がありそうだ。
 いろいろ意見はあるだろうけど、公募自体はけっこうおもしろい。最終に進めない作品はやはり欠陥があるので、どこらへんを変えていくとよくなりそうかなあと考えるのはまあまあ楽しいし、今のところは考えて直した分だけよくなっている(はずだ)。大工が家を建てるのに似ているし、建築と違って解体と再構成が物理的に容易であることが小説のよいところだ。書くのが楽しいうちは続けていくだろう。

平家物語を観ている

 『平家物語』のアニメを観ている。あと二話。素直によい作品だ。子供がもう少し大きくなったら、一緒に観てもよいなと思う。

 私は高畑勲監督の『かぐや姫の物語』が好きなんだけど不満があって、それは多分にプロモーションのせいもあるんだろうけど、「かぐや姫」の立ち位置がよくわからなかった。何となく、〈現代的〉な感性をもった女性のように見えるし、予告の映像(牛車から外を眺める場面はブラインド越しに外を覗く女性にも見える)やキャッチコピー(姫の犯した罪と罰)も、明らかにそれを意図しているように感じる。でも、作品を通してそれが鮮明にテーマとして貫かれているかというと、どうもそうでもない気がする。これは監督と宣伝側の意図の違いもありそうだ。

 その点で、『平家物語』は、びわという主人公を据えることで、そこらへんのテーマがしっかりしていた。もしくは統一されていた。未来が見通せるびわは、現代の私たちと視点が同じになるので、たいへん優秀な構図だった。
 少し気になるとすれば、びわ以外の登場人物も、近代的な思考のように見えた点だろうか。特に徳子はその辺が強調されていた。平安末期の人間たちと現代の民主主義的思考の我々は、火星人とミジンコぐらい捉え方が違うと思うので、そこらへんが受け付けない人もいるのかもしれない。ただこれは、こういった大河ドラマが常に謗りや称賛を受ける部分なのかもしれない。

掌編を書いた

 卒業シーズンなので、それに合ったものを書いた。私はこういう掌編を公開することで、観測気球にしている。

「みんなで考えよう! SF掌編コンテストの未来」を見た(聞いた)

 たいへん面白かった。運営側の話は聞いててためになります。

  バゴプラさんのフットワークが軽いなと思うのは、さっそく、上記の配信の簡単な振り返りを行っていることだった。お金のかかるイベントではあったので、そこらへんのパブリックな配慮もありがたい。

 さなコンの方の話は今まであんまり聞かなかったので新鮮だった。受賞者の「次」をどうするかという話題にもなったのだけれど、考えてくださっていたことがうれしい(そして坂崎はなんでもやりますよという気持ちではあることも伝えたい)。長谷先生にあとでほめられたのもちょううれしい。

 あと、池澤さんの司会がすばらしかった。言葉選びにも教養が感じられ、あまり教養のない私は見習いたいなと思いました。

春は憂鬱

 春は基本的にあんまり気分はよくない。気候もあわないので頭も痛くなるし、全体にぼんやりしている。イヤホンは片方なくなるし、歯医者ですら対応が冷たい。こういうときは何をやってもダメなので、ひたすら耐え続けるしかない。嵐の夜は、大人しく家に閉じこもっている方がいい。
 とはいっても、家族がいて子供がいるとなれば、日常生活はこなさなければならない。大雨でも出かけなければならないのだ。案外仕事の方がスムーズにできたりするので、この日々の営みをどれだけ省エネでやりくりするかは、ちょっとしたスキルに近い。私はあんまりスキルポイントがたまっていないので、いつも苦労する。でもこうやってだらだら文章を書くのはなかなかいいと思った。自分の考えを言語化するというのは、カウンセリングとかでも使われてた気がするし。

 以上である。思ったより長くなった。