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『愚かで可愛い「母親」という生き物①』

母親って、我が子のことを自分の所有物のように勘違いしてしまうことがある。先日、お弁当の水平を無視して通学リュックに放り込む娘に「傾けないようにして持って行ってよね!」と注意したら「それはお母さんの都合じゃん!」と一蹴された。

……

娘は次のように言い放った。『私はお弁当の中身が傾いていても全然平気。身動きがとれない満員バスの中で、リュックの中のお弁当の水平を気にしなきゃならないことの方が、お弁当の中身が傾くことの何倍もストレス。お母さんの都合を押し付けないでよ」と。

手持ちの「お弁当バック」を持たせればいいのでは?と思う人もいるかもしれないが、物を置き忘れてくる癖を補うべく、娘は手に荷物を持たないようにしている。

トホホ・・・、そうかぁ。私は娘が満員バスに揺られることまで考えていなかった。娘がお弁当の蓋を開ける瞬間のことしか考えていなかった。そこには、「人目」という余計な想像も加味されている。一緒にお弁当を食べるだろう友達に、中身を見られた時に恥ずかしくない彩りにしたりとか。それって、結局のところ「いいお母さん」の為の演出なのかもしれない。

ところが、娘はお弁当をいつも一人で食べるらしい。「いいお母さん」を演出しても空振りに終わるってこと(笑)。更に、娘の言葉から「え、一人ぼっちで食べているの?!」と、よからぬ想像を膨らませてしまう愚かな母なのだが、娘が言うには、運営委員などのやるべき仕事があるので、休み時間に早弁して、昼休みの時間を確保するのだとか。クラスのほとんどがそんな感じだと言う。

へ~~!ほ~~!と、我が認識とのズレにいちいち感心しつつ、母親のエゴというものにも気づかされたりして。しかし、例えそうだとしても、お弁当の中身が傾くことを諦めきれない私は、底が広いお弁当箱をやめて、縦に積み上げるタイプに変更した。教科書の隙間にぎゅーぎゅーと押し込まれるお弁当箱の包みが、物理的に傾きにくい工夫をしている。

そんな諦めの悪い母としての自分が、なんだ可笑しくてかわいい。そして「お母さん、お弁当、美味しかったよ、ありがとうね」などと歯の浮くようなセリフを決して言わない苦労知らず娘が可愛い。こんな日々も今年度限り。

写真は娘にとってテンション下がるお弁当
・ごはん(おかずの汁が染みるのがまずい・ごはんが嫌い)・卵焼き(嫌い)・プチトマト(嫌い)

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