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お父さん 2016年11月14日手記より

五つの時に父親と死別した父は「父親」とは何か分からないまま、私たちの父になりました。お手本などなかった父ですが、いつも頼もしくて家族の為に、懸命に働く姿しか記憶にはありません。

ある日、突然の病に臥した母。生涯、傍にいると信じた母が亡くなり、父は、ひとりぼっちになりました。幼な子のように泣いて震える父でした。

あの日から「父親らしさ」という鎧を脱ぎ捨てて、父は、ありのままの姿で歩き出しました。気力が湧かないと言って、母と共に築き上げた店を閉めました。母を病気から守れなかったと、自分を責めました。

そんな父を、私はそっと見ていました。強い父を好きだった訳ではありません。弱い父だから、嫌いになる訳でもありません。ありのままの命を繋いでいる父をそっと見ていました。

かつて纏った「父親らしさ」という鎧を脱ぎ捨てても今、ここに居るのは、私のお父さんなのです。たった一人のお父さん。大好きな、お父さん。

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母を送って5年。父の一人暮らしがやっと日常という平安を取り戻したかのように見えた頃、父は心臓の病気を患いました。

死ぬかもしれないと覚悟して向かった手術室。「じゃあな!後はよろしく!」と軽やかに右手を上げたその後ろ姿は、若き日の父のように潔く、痩せた背中に反して、なぜか大きく見えました。

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父は、誇り高き勇者の瞳を携えて、戻ってきました。回復途中の病室で、ふと人生を振り返る父。それは頂上を極めた者だけが見ることのできる風景にも似て、険しかった道のりも大地の一部となり、父の眼下に広がりました。

残りの人生を、穏やかに微笑んで過ごしたいと話す瞳は、昇り来る朝日を見つめるように清清しく澄んでいて「父親らしく」と憧れ続けたその横顔は、深く大きな愛に満ちて、それは正に「父」そのものだと強く感じました。

かつて纏った「父親らしさ」という鎧を脱ぎ捨てても今、ここに居るのは、私のお父さん。たった一人のお父さん。

大好きな、お父さん。


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