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『愚かで可愛い「母親」という生き物②』

母親って、我が子のことを自分の所有物のように勘違いしてしまうことがある。自分が母親になってみて、初めてそのことに気づいた。母もそうだったんだね。

……

昭和19年、農家の長女として生まれた母は、何かと辛抱と我慢とを強いられて育った。母だけが特別だった訳ではないだろう。戦後、多くの子供たちは多かれ少なかれ、兄弟姉妹の為に夢を諦めたり、自分の意に反した進路を選ばざるを得なかったりした経験があると思う。叶えたくても叶えられなかった幼少期や青春時代の夢を、自分の分身のような我が子に託してしまうのは、自然なことなのかもしれない。貧しさの後遺症のように。

母は、自分好みの赤いワンピースを私に着せて、白いタイツを履かせた。母はピアノが弾ける人が羨ましかったらしく、女の子が生まれたらピアノを習わせようと思った、と言っていた。私が年頃になって自分で洋服を選ぶようになっても、「それは似合わない、こっちの方が似合う」と、自分の好みを私に押し付けた。ファッションや持ち物だけではない。結婚相手も結婚後の生活もいちいち口を出し、母にとっての幸せのカタチを私を通して実現しようとした。私を、幸せな娘だと信じて疑わなかっただろう。

私自身も何の疑問を抱かずに大人になって結婚して育児を始めた。しかし、その日は来るべくしてやってきたのかもしれない。幼い我が子を育てながら沸き起こる、数々の疑問に向き合ううちに、自分自身が実態のない透明な人間だと気づいてしまったのだ。目の前の世界が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまった後は、何をしても生きている実感がわかなかった。日中、日の下を歩いていた時、自分に影があることに驚いて動けなくなったことがある。人から好きな色を訊ねられても、母が好きな色しか思いつかない自分が情けなく悲しかった。

目を閉じても、耳を塞いでも追いかけて来る母の影。私は自分が大嫌いだったが、それは母に人生を乗っ取られたことへの嫌悪感に他ならなかった。一体どうしたら自分の中から、母の影を追い出すことができるのか。いっそ我が身諸共燃やしてしまいたいような、恐ろしい感情にも襲われたりした。私は心を病んだ。今も思い出せない失った時間がある。

私は自分を一から取り戻すために、自分の声に耳を澄ますことから始めた。私にとって愛する人とは誰なのか。会いたい人に会いに行き、聴きたい音楽だけを聴いた。母親であること、妻であることをやめた。義務や責任を投げ出し、感情でのみ動くことにした。両親からも、世の中からも責められて、立場を無くし、ひとりぼっちになった。けれど、誰にも理解されず、みすぼらしくひざを抱えて泣く私は、紛れもなく私自身であるという実感が、私を支えた。

一度完成したジクソーパズルをひっくり返して、また最初からひとつひとつ埋め直すように、自分の「好き」だけを探し続けた。歌が好き。書くことが好き。言葉が好き。花が好き。水辺が好き。海が好き。家族を愛している・・・

 ※

結局、完成したパズルは、元の私のままだった。乗っ取られてなどいなかったのだ。全部、私だった。寂しそうで満たされない母が不憫で、笑顔になってもらいたくて、私は一生懸命に母の為に生きた。趣味嗜好が、偶然母と似ていたので、乗っ取られたと錯覚したけれど、単に似た者親子だっただけだった。自分を取り戻して最初に浮かんだ言葉は「お母さん、ごめんね」だった。それは母が、不安げな小さな女の子に感じられたから。抱き寄せて「いつも傍にいるよ、大丈夫だよ」と、まるで我が子にそうするように言ってあげたかった。私は、母のことが大好きだった。

人間として未熟で、寂しい女の子のまま「母親」になってしまった母は、自分自身を慰めるように子育てをした。でも、それでいいのではないかと今思う。愚かな一面があったかもしれない。一時、そんな母を憎んだりもしたけれど、自分を取り戻した今、私は自分のことが結構好きで気に入っている。母親のエゴという土壌で、エゴという雨に降られて育てられたからこそ、私は右往左往しながら真の私らしさというものに気づき、自分の花を咲かせる喜びを知った。エゴなどというものに染まり切らないどころか、それを栄養にしてたくましく生きる自分を知った。「今、幸せ」という事実が、過去のあらゆる過ちや愚かさを許せてしまう不思議さ。「今、幸せ」は愛の代名詞かもしれない。

母は、愚かで可愛い「母親」という生き物だった。そして、娘にとっての私も今、愚かで可愛い生き物だ。母は息をひきとるとき、笑顔でこう言った。「お母さんの子供に生まれてきてくれて、ありがとう」と。終わりよければ全てよし。母を笑顔にしたかった私の夢は叶えられたのだ。






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