沖縄はずーっと雨が降り注いでいます。
呼吸する空気もそうだけど、この降り注ぐ水も、太古の昔からずっとずっとここにあり続け、これまで地球にいたあらゆる生き物の体を通り、これまで地球に繁茂したあらゆる植物と交換し、あらゆる岩石と土と砂に染み込み溶け出して地下水や川や海に流れ、海流をつくり、風となりまた天に昇り、地上に降るということを繰り返してきた、その同じ水。
アマゾンにも流れたことがあり、人間には未知の深海に流れたことも、それから聖人の体内に入り、残虐な人もきっと飲んだ。生まれたばかりの赤ん坊の産湯にもなり、そして廃水や汚水として処理されてきた。
その水が「よくもまあこんなに!」というほど、ずーっと降り続いているんです。私は愉快になって、ベランダの濡れているサンダルをつっかけて両手を雨に差し出しました。濡れているベランダの手すりをこすって、水を感じ、生命を感じ、自分を生かしている命を感じ、傘をさして通りを歩いていく人々の足元の水を感じ、世界を感じた。「今」に折り畳まれた何層もの「時」と名付けられた営みを感じた。それはそれは愉快で、細胞がぴちぴちと喜びを発して世界と交歓する。
そんなことを感じている間に、雨がようやく止みました。
再びベランダに出て、湿り気をたっぷり含んだ空気に皮膚をさらし、肺に取り込みます。ありとあらゆる不完全を含む完全さの中にわたしはいます。
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