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【エッセイ】ちょっと気になる言葉の話

前提

 まず最初に言っておかなくてはならないこと。
 私は新語、造語、言葉の新解釈、言葉の変用等については、肯定派である。
 伝統的な文体とか、常識的な文体とか、定型とか、TPOとかについてはどちらかと言えば無知な方だし、興味もない。言葉と言うのは圧倒的自由を以て書き手が表現し、読み手はそれをまた圧倒的自由な思考で自分勝手好き勝手に、湾曲解釈拡大解釈上等で理解すればよいと思っている。私も作中で敢えて不自然な語句を使うことがあるし。
 これはまた別の記事で書くが、文章だけでなく映像、絵画、ダンスや歌唱、芝居、お笑いの世界等も含め、全ての表現に於いて一切のモラルもタブーも不要でいかに残酷であろうと反社会的であろうと猥褻であろうと、表現という創造物の中では完全フリーに許されると思っている。

だから決して堅苦しいことを言いたいのではないという事だ。

最近気になってる言葉① 「ポエマー」

 ポエマー。
 これを造語として使用しているのか、或いは誤用なのか、ちょっと気になっている。
 ドライバーとか、ライターとか、パフォーマーとかと言うのはもうズバリ英語でそういう言葉があるわけだからいいのだけれど、ポエマーってのは無い。
 詩はpoem(ポエム)である。
 詩人はpoet(ポエット)である。
 で、ポエマーという言葉を聴くようになったのは自分的に割と最近なので、もしかしてアムラー(古っ!)とかそういう感じで流行を現代的に表現した自称なのかな?と思ったりもした。ので、そういう形の造語なら良いのだが、仮に本来poetと称したいところを「詩がポエムだから詩人はポエマーでしょう」という感じで記載している場合、これ、仮に外国人が見たら「?」となってしまって、表現者にとって不利に働くのではないか?という気がする。
 なぜこんなことを感じたかと言うと、以前記事にもした「ブコウスキー・オールド・パンク」という映画の中にいろんな画像が登場するのだけど、そこにpoetという表記が出てきて「ああ、そうだよなぁ、詩人はpoetなんだようなぁ、なんかかっこいいけど、ブコウスキーがpoetってなんか、かわいくて違和感」と思って、その時に「そういえば最近ポエマーって自称する人が結構いるけどこれはpoetとはまた違うのかしらん?」という疑問が湧いたからである。
涌いただけの事である。

最近気になってる言葉②「永遠と」

 これもまぁ似たような事で、例えば「永遠に食べていられる」という意味の文章を「永遠と食べていられる」というように記述している場合があり、これは見た目上「に」と「と」の違いだけになるのだが、「と」を使うと一気に違和感が出てくる。
 この違和感を狙って書いているのなら前述の通り、完全に肯定するのだが、もしかして「延々と」という音的によく似た慣用句を聞き違えて「永遠と」としているのだとしたら、これは自作の創作物の中ならOK、しかしたとえば勤務先の企業に提出する資料や、クライアントにプレゼンする資料内で使うとNGを喰らう可能性がある。
 これ、わりと最近、かなりの頻度で見かけて、そのたびにやんわりとした違和感を抱いていたのでちょっと書いてみただけ。
 以前、小説投稿サイトでいろんな小説を読み漁っている時に、とても流麗な文体で美しいファンタジーを書いている作家さんが作中でこの語句を使っているのを読んだときに、なんだか一気に文章のリズムが崩れてしまったように感じたのですよ私は。私個人は。
 あくまでも個人的な違和感。
 すんません、オチがなくて。

随筆なんで

 そう、これはあくまで私個人が日々感じていることをつらつらと書き綴っているだけの随筆(エッセイ)なので、好き放題に書かせてもらう。
 私の自由だ。
 でもね、前提として書いたように、全然否定や批判のつもりではなくて、本当に個人的な違和感それだけ。

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