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現在の足場を、「どん底」と定めたこと

「もう一年休学するか、中退するか。どうしたいの?」

大学二年の後期にうつ病を発症し、一年の休学のちに復学したはいいものの学業に身が入らず、結局その年はゼミ以外に履修した全ての科目を落としました。

それでもなんとか大学には居続けたいと、障害者向けに大学が提案している学費納入期間の延長プランについて事務局に問い合わせました。
数日後に事務局から掛かってきた電話は、要約すると「あなた、精神病だからだめです」「それ治してから頑張ってください」というような内容でした。

冒頭の台詞は、それを聞いた母の言葉です。

同期が卒業して行き、卒論のテーマをいつまでも決めずにゼミの先生と揉め、卒業の目処も立たないなかで、ずっと支えてくれていた母親にまでそんなことを言わせてしまったこと。

「ああ、底、着いたな」と自覚しました。


勿論、大学を辞めて他の居場所や目標を探すという選択肢も間違ってはいないはずです。
現在、「精神科に通院し、毎日抗うつ剤を服用する必要がある」という事実を考慮して、「何かを成すにはもう少し回復してから」と冷静に諭されることも少なくありません。
だから、大学辞めるくらい全然どん底じゃない。


でも、いい加減にしたい。いい加減にしろよ。私。
もう後なんかねえんだよ。もう、後なんか無くしたいんだよ。
自ら望んで入った大学卒業できねえで、この先何が成せるってんだよ。


思えば、私は人生の上で、何かに食らいつくような頑張り方をしたことがありませんでした。

だって、どうしようもならなくなったら死んじゃえば良いと思ってたから。
自分自身の選択に、状況を打破するほどの価値があるとどうしても思えなかったから。

高校受験も大学受験も、習い事で世界大会に行かせてもらったときも。
私の担任をして下さった先生方が心の底からの言葉を持って擦れきった私の間違いを正そうと叱ってくださったときも。
ただひたすら息を殺して、周囲の人の意識が自分から逸れるのを待っていました。

ただ殻に籠って、周囲からの期待や追及が潰えるのを待って待って、その時が来たときだけ、息ができる気がしました。

自分が世界で一番可哀想で、他人が向けてくる激しい感情は全て耐え忍ぶべき八つ当たりだと思っていました。
自分に向けられる怒りの中に、私への慈悲が存在することに自分じゃ長らく気付けなかった。フィクションの世界に触れることでやっと、そういうものの存在を知ることができた。

そういう他人の優しさからくる叱責を、全部全部受け取れずに、いつまでも変わらないままでいることほど、それほど質の悪い甘え方は、他人の裏切り方は、他にはないんじゃないでしょうか。


後から聞いた話ですが、知能検査によると、私は自ら音を上げさえすれば発達障害の診断が降りるそうです。
その時に、「きっと今まで「健常者」として生きてきたせいで少なからずあなたは傷ついてきただろう」とも言われました。
そして、きっとこれからもそうだろうと。

文章であれ口頭であれ、自分の心の内をうまく伝えることができない。伝えたいことがあるのに、結果的に何も言えずに黙ってしまう。
自分のアウトプットに自信が持てなくて、学校の課題が一個も出せない。
何かに取り掛かるのに人よりも時間がかかる。
他にも、確かいろいろ。

これらのコンプレックスに関して、「困ってます」「もうどうしようもないです」とすぐにでも音を上げればいい。
まあちょっと手続きだの検査だのが必要だろうけど。

それさえすれば障害者手帳が手に入って、それを握って周囲に「この私に優しくしろ」と詰め寄ることができるようになるわけです。


でも、うつ病を発症してからの私は、それをしなかった。いや、事実知らなかったから、できようもないんだけど。

ほら、こうやってnoteを始めたり、他にも、日記を付けたり、人と話すときは目を逸らさないようにしたり。
苦手だった母との一対一の会話の時間を、積極的に持つようにしたり。
日常的にTwitterで心の内をアウトプットしたり。

うつ病を発症して、文字通り何にも出来なくなってやっと、「ただの病人で終わってやらねえ」と腹を括ることで、そうやって自分のコンプレックスの解消に躍起になることができた。

だから私、本当は努力家なんだそうです。
「人よりも三倍の努力」によって、目も当てられないコンプレックスを他人に気付かれない状態にまでカバーできるくらいの。
その努力によって、本当は障害レベルである健常者との能力の差を埋めてしまっている。それをすべきだと思っている。

この話を聞いた後、今までの人生が全て報われたような気がしました。
布団の中で息を殺して、自分の中で渦巻く感情一つ一つに名前を付けていた頃の自分は、決して怠惰なわけじゃ無かったんだと、心の底から安堵しました。

そして、きっとこれから何があっても、きっと自分を許して、信じていけるような気がしました。


もういい加減、甘えるのは、逃げるのはやめたい。
もう後なんかない。
卒業するから。

そう、咄嗟に母に言い返したら、驚いた顔をされました。
そして、少しの疑念はありつつも、卒業の目処の提示を条件に在学の継続を許してもらえました。
その後も、進路相談室やらゼミの先生やら、各所に頭を下げて回りました。
もうこれ以上、恩のある人たちを裏切っちゃいけない。誠意見せなきゃな、なんて思いながら。

周囲の期待に応えたくて、自分をギリギリまで信じていたくて、それで大学に居続けることを決めたって、そりゃなんだか大袈裟な気がするよなあとは思うんだけども。

学歴って、分かりやすく「個人が何かを継続したのちに成し遂げた」ことの証明だよなあと思うのです。

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