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強いブランドに共通してあるもの

なぜ、これほど何十年もずっと続いて子どもたちに人気なのか疑問だった。
自分の顔をちぎり取って、さあお食べと渡す、、改めて客観的に見ると何というアニメかと驚く笑

わが家の3歳児も漏れなくアンパンマンブームのときを通過してきた。

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(※おもちゃ屋さんでアンパンマンのDVD片手に絶対にこれを買うべきだと断固主張する1歳)


1年ほど前、アンパンマンミュージアムのシアターで偶然観て知ったアンパンマンに流れる確固たるやなせたかしさんの哲学。

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もともと、このアニメを描くきっかけになったのは戦争中に大好きだった弟さんを若くして亡くされたところから始まっている。

戦争中はお国のために戦うことが「正義」だったのに戦争が終わった瞬間その「正義」は真逆のものになる。

なぜ自分の弟は死ななければならなかったのか理解できなくて納得できない。

いつの時代も変わることのない普遍的な「正義」とは何かを大切な人の死への悲しみの中で突き詰めていく。

そのとき、戦後の食糧難の時代をその悲しみと共に生き抜く中で、お腹を空かせた人に食べ物をわけあたえることこそいつの時代もどんな場所でも変わらない「正義」なのだと確信するようになる。

そしてその「人を助ける行為」が自分の犠牲も伴う可能性があることなのだということ、それもわかった上でそれでも助ける行動に出ることこそが普遍的な「正義」なんだということに確信を持っていく。

お腹を空かせた人に持っているおにぎりを与えたら自分が飢えるかもしれない。

いじめられている人を助けたら今度は自分がいじめられるかもしれない。

それでもやるんだというこの普遍的な「正義」を子どもたちに伝えたいと描いていったのがアンパンマンだった。

たから、愛と勇気が友達だし、

「何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わる
そんなのは嫌だ」

「そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
たとえ 胸の奥が いたんでも」
という歌詞に表現されている。

こう知ると、細部にまで一貫してこの想いと哲学が流れていることがわかる。どんなに新しいキャラクターが出てきてもストーリーが変わっても、時代が変わってもこのアニメが何のために存在するのかは作り手側からは絶対にブレない。

子どもたちをはじめ、世の中は無意識的にその本気を肌で感じ取っているし、一貫したものに安心感と心地よさを感じているのだ。

この意味や物語こそ他の誰も真似できないところであり、唯一無二で、それがあるかどうかで、全体に本気の熱が流れ、全体の存在感に一貫した雰囲気が醸し出されてくるものになる。

細部にまでそれがブレずに落とされているから、アンパンマンのこれだってわざわざことばで説明されなくても、ましてや子どもはそんなこと知らないけどいつの間にか感じ取られているものになっている。

強いブランドや長く愛されるものは作り手側のなかで、それが上滑りのものではなく、深く核心を突くことばで言語化されていて、明確なすべての判断基準やゴール設定の基準になっていてブレない。

こう言うと、何の不自由もなく守られて平凡に生きてきて、こんなに壮絶な体験をした人の生み出した哲学には勝てない、、とか思ってしまう。
そんなに深く考えてこなかったとか、私には何もない、、とか言う人がいる。

でもそれはちがう。
どんな人にも必ず、その人にしか語れないことが「ある」。

生きている以上何もない人生の人はひとりとしていない。

でもそれを見つけるには、自分の生き方に向き合うこと、考え抜くことを避けては通れないし、本気かどうかが問われるし、ときにそれは苦しいことだったりするし、きれいなことばかりではないし、何より面倒で、遠回りしているような気がする。

でも、ここがあるのとないのとでは確実にちがう。特に現代に生きる人たちは感覚が優れている。
人間関係でも敏感なように、ものやサービスやそれを提供している人に対して、繊細に「ほんもの」かどうかを感じ取っている。

その事業の意味や物語を腹の底から自分のことばで語れるか、それが脈々と流れているか、それが大きなちがいの根幹にある。

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