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無理と思うか思わないか

友達と別れて、自分の最寄り駅のメトロの階段を登りながらふと思った。

同じ実力があっても、無理って思うか思わないかで、発揮できる力は全然変わってくるな、って。


去年の私は、友達と一緒に帰ると喋らなきゃいけないからやだった。なるべく一人で帰ってた。今は誰と帰っても、全然楽しく会話して、また明日ねって言えるようになった。

1人になってからの、あーあの時ああ言えばよかったな、とか、これ聞けばよかったな、とかどうにもできない心のザラザラ感は少なくなった。

ぶっちゃけ冬休み、英語の勉強は全然してない。けどなぜか休みがあけてから、吹っ切れたように喋れるようになった。

今日は、一緒に帰ってたカナダ人の友達とアメリカンアクセントの話をしてて、その流れで、「1ヶ月前と比べても、Saki(の英語)だいぶ変わったでしょ?見ててすごくわかるよ。」って言ってもらえた。ぶっちゃけ私もそう思うって返しといた。笑

そこにはもちろん、慣れっていう部分もあると思うが、単語力が上がったわけでも、急に英語脳になったわけでもない。

それよりも、「なんとかなるわ」とか「大丈夫やわ」とか謎の割り切った感、吹っ切れた感を前学期の3ヶ月間で手に入れたからかもしれない。いや、ただしくはその感覚が戻ってきたからかもしれない。人間どこにいても、結局人は人なんだよなっていろんな場面で思ったからかもしれない。


昔は、先生のアカデミックな英語の方が聞きやすくて、日常会話で全然喋れなかった。でも今はすっかり逆になった。

まだ授業で喋るのはめちゃめちゃ緊張するし、急にたどたどしくなるし、発音が悪くなるのを感じる。当てられそうになったら心臓バクバクするし、喋る前は身構えてしまう。

なんでかな、って考えたときに、私はまだ授業で喋ることを「無理だ」って思ってることに気づいた。

英語力が授業外と授業内で変わるはずがない。けど潜在的に、「無理」スイッチが入ってしまってるんだと思う。


そう思うと急に、無理だって思わない方が、絶対有利じゃん、って思った。

まぁでもそれが難しいんだよね。私は、無理じゃなくするのに、すごく時間がかかるんだよなぁ。下積みがいるんだよなぁ。

まぁじゃあ結局、自分に「経験」という餌を与えてあげて、自分の芽を「無理じゃないゾーン」の地上に出してあげればいいだけのことか。そしたら後はその芽が勝手に大きくなっていけばいいだけか。

なんかできる気がしてきたぞ。



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