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2020.3.13 まだ他人の名前で生きている

インターネットで本名の姓を名乗らなくなってしばらく経つ。最近のネット上の表記は「早」もしくは「SAKI」。どうしたって漢字表記は初見では読めないが、この下の名前は本名だ。本名なんだけど、なんとなくずっと「早[SAKI](仮)」みたいな気分でいる。読めない漢字だからというのもそうだし、やっぱりもう少し名字のような何かがないと名前っぽくない。

なぜしっくりきていないのにそう名乗っているの?と思われるかもしれないが、それは本名の姓がもっとしっくりこなくなっているからである。

わたしの今の姓は、生まれた時の姓ではない。

かといって、結婚した夫の姓でもない。

そんなややこしいことが可能な手段は、養子になる以外だとただひとつ、離婚だ。数年前に一瞬家族になってそして他人になった人間の名前を、わたしは今も本名として名乗り続けている。

知らない人も多いかもしれないが、離婚するときは姓を結婚前の旧姓に戻すか、そのまま結婚時の姓を継続するか、自由に選ぶことができる。法的に結婚する時はどちらかがそれまで名乗ってきた姓を捨てて夫婦で統一することを強いられるのに、別れる時には他人の名前を名乗り続けてもよいというのは、いったいどういう理屈なのかはわからない。だけど日本の法はそういうふうにできている。5年ほど前の自分の選択の結果として、わたしはまんまと2度目の名前アイデンティティ問題にぶち当たっている。結婚で1回名前を変えるのだって大騒ぎなのに、離婚で戻しても大変、継続してもそれはそれで大変。ほんと夫婦同姓にする決まりは人権侵害だよ、といまさらながらに思う。

ただ、当時そのままの姓を継続したことを後悔しているかというと、それはまったくしていないので不思議なものだ。他人の姓を名乗り続けること以上に、元の姓に戻るなんてことはもう違和感以外のなにものでもなかった。旧姓はわたしにとってはすでに過去の名前だったし、過ごした時間がたかだか2年くらいだとしても、新しい名前を名乗って生活しやっと作り上げた新しい人生を、あっさり捨ててなかったことにすることはできなかったのだ。

結婚するときにいったんはその名前で生きる覚悟を決めたのだから、それは相手との関係性がどうあれ簡単に戻せるものではなかった。結婚があったからこそ名前が変わったのは事実だけれど、わたしがわたしの名前を変えることを決めたのは、夫に従属する妻になることでもなんでもなく、他でもないわたし個人の意思だったのだから。

と、ちょっとカッコつけて主義主張を並べたりしてみたが、たぶん本音では、その時駆け出しだったフリーランスの仕事を新しい姓でやってしまっていたので別の名前で仕切り直すのが怖かったこと、役所や銀行やWebサービスの名義変更の手続きが死ぬほど苦手でやりたくなかったこと、旧姓の字面がずっと好きではなかったこと、今の姓と名前の相性がすごくよかったこと。継続した理由なんてそんなもんだと思っている。そんなもんが、当時のわたしにはとても大切だったんだ。

この名前問題はこれまでも定期的に浮上しているのだけど、また今日改めて書こうと思ったのは、このnoteの記事をふと目にしたからだった。

ペンネームやビジネスネームを作った方がいいのかもしれない、とは何度も考えていたものの、自分で自分の名前を好きに決めていい、となった途端に「そんな脈絡も何もない名前を名乗るのは恥ずかしくないか?」という自意識が作動してうまく決められないでいた。離婚するときは自分の確固たる意思で名前を選んだと思っていたのに、結局「名前とは与えられるもの」だという意識が強くあって、簡単には変えられないと思い込んでいるだけなのかもしれない。

変える、というのは何にしてもとてもエネルギーがいる。まして自分の名前だったら、もっとも「自分自身」を表してきたものだから、抵抗があって当然だ。だけど、いったん名付けてしまえば、思い切って変えてしまえば、驚くほどすんなり馴染むものなのかもしれないな。1度目の改姓がそうだったみたいに。


だったら今の夫の姓にさっさと変えればいいんじゃないの?と突っ込みたくてたまらない人がいるかもしれない。もちろん本名はいずれはそうするつもりである。それが名乗る名前になったら1番自然だし、それができればまったく悩む必要もない。ところがどっこい、今の夫の姓はものすごく漢字が珍しくて、そして絶対に一発で読めない。おまけに一文字である。ただでさえ下の名前が「早」一文字でとてもじゃないが読めないのに、さらに読めない1文字の名字をくっつけて名乗る気概は、申し訳ないがわたしにはない。下の名前が読まれないというだけでほどほどに人生めんどくさいので、フルネーム難読漢字では生きるのがより困難になることが目に見えている。だって新たに出会う人みんなに漢検を強いるようなのは、ちょっとねえ。それは他人の名前を使っている、という精神レベルの困難とは比較にならない現実的な困難で、悲しいかなわたしはすこぶる現実的な人間なのだ。

だったら現実的な解決策を、ということで、やっぱりビジネスネームなりペンネームなりを決めるのが1番いいんだろう。自分の名前でビジネスするつもりやペンや作品で生きるつもりが今後ないわけではないが、今現在は匿名性の高いサラリーマンなので、いまいち必要に迫られていないのだけど、noteを再び書き始めた今がそのタイミングでは?といったらそうかもしれない。最初はしっくりこなくてもえいやで決めるべきなのかなあ。少なくとも、名乗る名前を決められないと(法的に)結婚できない!と言っているので、今年中には決着をつけたいところ。

意味を込めるよりは音で遊ぶ方がすきなので、何かそういういい名前を思いついたら使っていきたい。

名字のことを考えていると、高校生のころに、同じさきちゃんという名前の子と「ぜったい結婚できない名字」として「ささき」さんを挙げて盛り上がっていたのを思い出す。だって「ささきさき」になっちゃうからね。一周回ってもういっそそういう名前にしたいよね。(ググったらすでにそういう感じのお名前の方がいらっしゃった。今の時代オリジナリティのある名前って難しい。)

まだその頃は事実婚とか夫婦別姓という単語の存在も知らなかったし、自分が2回結婚するとも思ってなかったし、それが「ささきさき」よりも大変な名前についての悩みを抱えるとは、まったく想像していなかったなあ。

たのしいものを作ります